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他人に振り回されないために。「例外」を認めない線引きが大事
とても嫌なことがあって、
その相手とは一線を引いて付き合おうと決意した。
けれど、不思議なもので、
日にちがたって怒りがおさまってくると、
「あちらも、いろいろ事情があったのかもな」
なんて、情状酌量の気持ちが湧いてくる。
物言いがキツイので、怖い人と思われがちなのだが、そういうところが妙にお人よしでおせっかいだな、と自分で思う。
そんなときに見た、ゲイの精神科医Tomyさんの記事。
ピリッと気が引き締まった。
きょうのひとことは、
「例外は認めないほうがいい」
きょうはちょっとおカタい話をしますね。
「例外のないルールはない」なんてことがいわれます。
たしかにそうかもしれませんが、基本的にはルールに例外を認めないほうが、いろんなことがスムーズに運びます。
それに対するアンチテーゼが、「例外のないルールはない」ということ。つまり、例外というのはレアケースであり、基本的にはルールに例外を認めないほうがいいということなのです。
~中略~
『「関わらないほうがいい人」の一番の特徴とは?』という記事で、自分だけ得て人には与えない「テイカー(得る人)」には関わらないほうが無難だという話をしました。
仮に「テイカーに関わらない」というマイルールを設けたとしたら、例外を認めず、基本的には一切関わらないと線引したほうがいいということです。
振り返ってみれば、わたしは「失礼だな」と思いつつも、なんとなく流してしまう。
そのときはバチバチやり合うんだけど、喉元過ぎれば熱さを忘れてしまうのか、また付き合いが続いて、何度か繰り返して、もう無理!!!と縁が切れる。学んでないなぁ。
それはきっと、わたしがわたしの中のルールを侵されたあとも「例外を許している」からなのであろう。
ほかの部分では気が合うのに、ここだけは許せない、ということがあった場合、なんとなく見過ごしてしまう癖があるのだ。
きちんと線引きしていれば、そこまで入れ込むこともないのに、ついつい親身になって距離を縮めてしまうのが悪いところだなぁと思った。
人づきあいが面倒くさい分、人間関係のトラブルが皆無の旦那からわたしを見ると、「もう50にもなって、いい歳こいたおばさんがケンカすんなよ」
と思うらしい。
たしかにわたしは子どもっぽいところがあるが、旦那と違って人が好き。という面もある。人間関係にトラブルはつきものだが、少しずつ学んで、次に活かしていかないとね。と思う。
人生は有限なのだから、できるだけ気持ちよく過ごせる術を身に着けて行かないとね。
今日もお読みくださりありがとうございました!