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都会に憧れて大学進学したつもりが、自分の田舎よりド田舎に進学しちゃった件
人生には、想定外のことが起こる。
わたしの大学進学もそうだった。
大学は、地元の群馬を出て京都に進学した。
地元の国立大学以外、めぼしい大学がなかったのも理由の一つだが、とにかく寂れた田舎を出て、都会で一人暮らしをしたかったのが大きな理由だ。
そんな田舎コンプレックスが炸裂していたわたしが進学した先は、うちの田舎よりさらに田舎の「ド田舎」だった。
1.そもそも「大学」の何たるかを知らなかった高校時代
私の住んでいた町は地元でも学力が低い地域で、そこそこ勉強ができたわたしは、中学時代「ガリ勉」と呼ばれてからかわれていた。
地元の進学校に進学して、周りも勉強する環境に変わり、居心地は良くなった。だが、先生から入学3日目に「じゃあ、大学受験のこと考えてね」と分厚い大学案内を教室に置かれビックリした。そもそも制服で進学先の高校を決めた私は、大学って何?と無知の状態だった。
家に帰って両親に「大学ってどんなとこ?」と聞いたら「知らない」と口を揃えて言われた。戦争経験者の両親は旧制中学卒。母は疎開先で貧乏の極みを味わったので学問どころではなかった集団就職組。当時は高校を出ただけでも「立派」と言われたくらいだ。
親の学歴が子に少なからず影響するのは、このように「選択肢があること自体を知らない」「親が教育に関心がない」ということがあるのだろう。環境ってデカイ。
わたしは学校で起きたことを話し、「わたし大学行くらしいよ」と言ったら家が騒然となった。
京都から借金の夜逃げで群馬に逃げた我が家だ。もちろんその後の生活も、別の職を得て生活していたが生活は楽ではなかった。
だがわたしは、大学進学は家から出るチャンスだと思い、なんとか進学させてもらおうと、奨学金も自分で交渉して手はずを整え、受験勉強に励んだ。
2.関東住まいなのに、あえて京都の大学に進学
結果、合格したのは都内の私大と京都の私大。私が選んだのは京都の私大だった。
わたしは京都で生まれて3歳まで過ごしたらしいが、その後借金取りから夜逃げしたらしく京都に住んだ記憶がない。
両親が懐かしそうに京都時代の話をしているのを聞いて、京都ってそんなにいいところなのかなぁと憧れていたのがひとつ。
それと、貧乏な我が家から1人暮らしするのに、都内は家賃が高すぎると思ったのも理由の一つ。
関東の人はほとんど関東圏に進学するので、わたしが京都の大学に行くと言ったら周りにかなり驚かれた。
ちなみに合格した2校は、どちらも下見なし。
群馬に住んでいるので、大学の見学も気軽にできない。第一志望の大学だけは都内まで見学に行ったが、それ以外はパンフレットを見ただけ。第一志望は残念で、どちらも見学しないままの受験だった。
特に京都の大学は遠いのもあって下見する気もなく、パンフレットの素敵な写真に惹かれ、あとは入試で英語の配点が高く、英語が得意だったわたしは受験に有利だなと選んだ。今思えば、なんてカジュアルに人生決めていたんだろうと思う。
3.都会と田舎、ひと粒で二度おいしい「2拠点キャンパス」の落とし穴
当時、そこそこ大規模の私大は、都会のキャンパスとは別に、田舎に広大なキャンパスを作り、1、 2年はそちらで履修、3、4年は本拠地に戻るスタイルのキャンパスライフが流行していた。
広大な土地の田舎キャンパスでのびのび学んだあとは、都会でキャンパスライフを楽しむ。やだ奥さん、理想的よね。
私が合格した2校も、どちらもそのスタイルをとっていて、都内のA大学は表参道にメインキャンパス構え、厚木の山奥に別キャンパスを作っていた。
私が選んだ京都の大学も、京都御所の近くにキャンパスを構え、もうひとつのキャンパスは、奈良に近い、「かろうじて京都府」みたいな場所にキャンパスを作っていた。
わたしの頭の中は、ひと粒で二度おいしい「2拠点キャンパス」ライフを楽しむ自分を想像してアドレナリンMAXのお花畑状態だった。
さて、進学を決めたら、まず必要なのは一人暮らしの住まい探し。
頭の中のイメージは、京都御所の近くにある、重要文化財になっているメイン棟。素敵なキャンパスライフを思い描いてはいたが、1,2年の履修キャンパスからメインキャンパスまでは電車で1時間程度かかる。
だったら1,2年のうちは、通うキャンパスに近い場所にアパートを借りたほうが良いだろうと、不動産会社を訪ねるべく、母と一緒に大学から最寄りの駅に降り立った。
4.絶句するほどのド田舎に来てしまった衝撃
頭で考えることと現実は本当に違うなと実感した。
素敵なキャンパスライフを思い描いて降り立った駅は、ほぼ無人駅。駅前にお店らしきものが何もない。何もないので風がビュウビュウ吹き抜けて、吹きっさらしで寒い。
キャンパスと言えば聞こえは良いが、要は田舎の小山を切り開いてキャンパスをぶちたてたわけだ。広大な敷地に・・・という触れ込みは聞こえがよいが、冷静に考えたら、ど田舎ということだ。
現在はこちらのキャンパスもだんだんお店ができたり充実して、多少便利になっているようだが、私が進学した当時は本当に何もない田舎だった。
群馬の田舎さが嫌で進学を決めて、だから頭の中では行ったこともないその田舎キャンパスも、いくらなんでもうちよりは都会だろうと思いこんでいた。
とにかく進学を決めてしまったのだ。どこかに住むしかないので、不動産屋さんに入る。
京都は人口の割に大学が多く、地方出身者の大学生が多いため「学生の街」と言われる。このキャンパスに至っては、ここに住む人なんざ、当然この大学に進学する学生ばかりだ。
不動産屋さんも手馴れた様子で、予算などを聞きながらアパートの案内をし始めた。
私は京都に来た理由は、東京だと家賃が高いからなので、とにかく安いところお願いしますと言った。
我が家は貧乏だったので、そもそも一人暮らしで進学すること自体が大変だったし、母にむちゃぶりして勝手に決めちゃったので、そこに負い目はあった。
すると、大学から最寄りの新田辺駅の近くよりも、隣駅の三山木駅と言う所の方が家賃が安く、そこからでも大学まで歩いて15分程度だと言われた。
だったらそのほうが良い、ということでその近くに住むことに決めた。土地勘がないし、ひとり暮らしのイメージもわかないので、あんまり分からないまま、内見してすんなり決定。6畳一間、1K。
はじめての一人暮らし、田舎ぶりにはびっくりしたが、とにかくドキドキワクワクする。
5.市外局番がケタ違いでビックリする
とにかく住むところを決めて、あとは生活に必要なものを購入。安く済ませたいので、大阪のでんでんタウンに出向き、小さな電気屋のおっちゃんにまけてもらって、冷蔵庫、掃除機、洗濯機、炊飯器、小さなテレビ、など混み混みで10万ポッキリにしてもらった記憶がある。
アパートの契約も済ませてひと段落、いざ鍵をもらって引っ越しとなり、電話番号も決まった。
そこでまた驚いた。
市外局番が5ケタだったのだ。
わたしの田舎は、田舎とはいえいちおう「市」なので4ケタだ。なのにここの住所は〇〇郡で、市外局番が5ケタ。(現在は市町村統合により4ケタになった)
都会に行けば行くほど市外局番が短く、03は東京、06は大阪。田舎に行けば行くほど市外局番が長くなるので田舎殿指標にしていたのだが、まさか地元より市外局番が長いなんて、誤算にもほどがある。
都会に出てくるつもりが田舎に出てきてしまった。
6.夜に響き渡るウシガエルの鳴き声
その5ケタの市外局番が物語るように、わたしが初めて一人暮らしをしたアパートの周りも、それはそれは物騒で、夜になると周りは真っ暗。
コンビニに行くにも、真っ暗な竹やぶの脇を歩いていかなければならない。めちゃくちゃ怖い。
3年生になれば、にぎやかな京都市内に行けるのだから、ちょっとの我慢だと自分に言い聞かせた。
そうはいっても初めてのひとり暮らし。ワクワクする。
知り合いがゼロだから寂しい。何とか知り合いを作ろうと、隣に住んでいる人などに一応挨拶をしたら、隣は同じ大学の学生さんで、ほとんど全員同級生。
3年生からは京都市内のキャンパスに移るため、この田舎に住む学生は、新入生か2年生までがほとんどなのだ。
早速、隣の部屋に入居した佐賀から来た男子学生とおしゃべりして、さらにその隣に住む法学部の男性ともおしゃべりして、入学して1週間後には、互いの部屋で飲み会をするようになった。
この町全体が「寮」といった感じだ。
こちらの大学は西日本だけあって、九州、四国、山陰山陽、東海地方の出身の学生が多い。関西出身の両親を持つわたしは、なんとなく「西」な雰囲気が馴染みやすくて居心地が良かった。
サークルは英語やる気満々だったのでESS。(English Speaking Society)遊ぶだけのサークルがたくさんある中、英語を勉強したくて燃えていたので結構まじめ系の文化団体サークルに入った。そんなサークル内でも、大学周辺に住んでいる下宿生がたくさんいた。
サークルで友達ができ、門限も制約もない解放された18歳の若者たちだ。近くに住んでいる者どうしは、徒歩で互いのアパートを行き来できる。飲みに行く場所さえろくにないド田舎だから、誰かしらのアパートに集まり、飲んで騒いでワイワイ楽しんでいた。
みんな徒歩圏のご近所さんだ。好きな時間までいてもいい。もし電車できて帰れなくなった人がいても、そこに雑魚寝しちゃえばいいので終電の概念がなかった。若いって素晴らしい。
深夜にみんなで帰宅するとき、街灯がほとんどなくて、真っ暗。その中で、低い唸り声のようなウシガエルの鳴き声が「ぐぉぉ・・・」と合唱している。道が真っ暗すぎて、田んぼに足を突っ込みそうになる。
ウシガエルの声って、初めて聴いた。なんて話ながら、夜道を歩いた平和な日々が懐かしく思い出される。
7.一人暮らしの女子大生は少なめ。の現実を知る
アパートで一人暮らししているのは、圧倒的に男性が多かった。
それもそのはず、女子は何かあると困る、と親が心配して自宅通学圏に通学させるらしい。ひとり暮らしの学生同士で仲良くなるのであまり気にしていなかったが、振り返ってみれば確かに、地方出身で一人暮らしの女子学生は少なかったかもしれない。
うちの両親はまったくの放任だったし、わたしもすべて自分で勝手に決めていたので、なんの反対も受けなかったが、今考えれば確かに、18歳の娘を一人暮らしだなんて心配しかない。それは親になってみて分かるが、自分は早く田舎を出て、もっと刺激のある生活をしたかったのだ。
ひとり暮らししている子が男の子だったせいもあるのか、もともと自分が男っぽい性格だったせいか、大学に入ってからは女友達より男友達といる方がラクだった。
高校時代は女子校で、男子と話す機会がなくて、男性と話すのさえ緊張していたのに、なぜか新天地にきて、誰も私のことを知らないと思ったら、えらくラクになり、大学に入った瞬間に男子学生と話すのがとても楽しくなった。
男友達といると、女子同士みたいな面倒くさいことがないし、わたしを女性と見ない男友達といるのが気楽で楽しくて、男女関係なく誰かのアパートでごろごろしながらゲームをしたり酒を飲んだりしていた。
親が見たら泣くだろうな。と今になって思うけど、その時はとても楽しかった。
この話をママ友やパート主婦仲間にすると、けっこうビックリされる。それがわたしにとって意外だった。
わたしが住んでいる神奈川県は、都内もアクセスがよく、自宅から通える大学もけっこうあるし、金銭的な面を考えても自宅通学が多い。
だから、学生の多くが1人暮らしの環境って意外と少なくて、特に人口や面積の割に大学が多い京都特有のことなのかなと思った。
8.ド田舎キャンパスならではのビックリ施設
山を切り開いてキャンパスを作り、街には店もほとんどなく、田んぼしかなくてウシガエルが鳴く街。
「広大なキャンパス」といえば聞こえは良いが、その場所、要はド田舎だ。これから大学選びをする人は注意しておいてほしい。
ただ、若くて希望に満ち溢れた若者は、どんな場所でも楽しめるものだ。
すごい場所に大学を作ったものだな。と思いつつ、何もお店がない分、大学の構内の施設や学食がとても充実して、それはそれで面白かった。
8-1.専門店街がある、フードコート以上の学食
他に食べに行く場所がないので、学食がとんでもなく大きい。端から端まで見えないほどのだだっ広い学食と、なんと専門店が軒を並べている。
カレー屋、ラーメン屋、蕎麦屋、お寿司屋さんなんてのも学食の他に専門店で入っていて、イオンのフードコートを越えてる感じ。(※今は寿司屋はないようだ)
今はさらにレストラン施設が充実しているようだ。大学でグルメが楽しめるのは結構レアかも。
8-2.キャンパスが広すぎて端まで行けない
とにかく広いので、土地が必要な施設があれこれあるのだが、キャンパスが広すぎて結局わたしはキャンパスの端まで行かずに大学を卒業した。
山を切り開いているので、大学に行くまでも坂だし、門をくぐってからも坂。正門から体育館まで徒歩10分はかかる。わたしはアパートから最寄りの入り口が南門という端っこの門だったので、門から体育館に行くのに徒歩20分近くかかった。そのおかげで体育に間に合わないことが多く、2回くらい体育の単位を落とした。
最果ての地は地図でしか見たことがないが、グライダー格納庫や、馬場があるらしい。自動車の練習場なんかもあるそうだ。いろいろできることが多いので、サークルの数も多い。文科系サークルに入ってしまったし、もともと歩くのが嫌いで坂も大嫌いなので、土地の広さの恩恵は全く享受できなかったが。
けれど、広大なキャンパスで、休み時間に芝生に寝転がる学生なんかを見ると
「おお、青春」と思う。
自分はあんまり大学の友達ができなかったのと、真面目に大学に行ってなかったので、芝生に寝転がって未来を語り合うことがなく、これもあんまり活用できなかったが、田舎は田舎でいいところがある、ということだ。
9.意外と早かったド田舎との別れ
何もわからず、とにかくド田舎キャンパスから近いところ、と思って借りたアパートだったが、2年生の半ばで京都市内に引っ越した。
やはり田舎すぎて不便なのと、どうせ3年生から市内に行くのだからと市内に引っ越す人が増えてきたからだ。
市内から通うにしても電車で一本、1時間かからず通える。2年生は履修授業も少し減るので、エイっと思い切って、3年生から通う予定のキャンパスから徒歩5分の場所に引っ越した。
はじめてのひとり暮らしは楽しかったけど、田舎コンプレックスが強かったわたしには、やはり都会に憧れる気持ちが強かった。(とはいえ、京都はさほど都会でもないのだが、当時のわたしにとっては都会)
それで引っ越した京都市内のアパートが、例の、苦い思い出がある「天下一品」の近くだった。
このアパートがまた結構いろいろあって、ド素人の大学生が何も考えずに安さだけで決めた物件なので、なかなかのポンコツ物件だったのだが、それはまた別の話で。
10.遠い存在だからこそ憧れる都会
わたしの想像力が豊かすぎて、おめでたい性格のせいか、あれこれ妄想してものすごい期待をしていたのに、実際は全然違ってガッカリ、という経験がこれ以外にも何度もある。
大学を出て新卒で就職したときも、丸の内OLみたいに制服を着て、ランチタイムには同期社員とちっちゃいランチ用バッグをもって外出し、今日何食べる?とか話してるはずが、勤務先が神奈川のド田舎で、ランチする場所もないような場所だった。
その後、リベンジのように都会に転職して、思い描いていたランチタイムも満喫はしたのだが、別に田舎だからといって楽しくないかといえばそうでもなく、そこはそこなりに楽しい思い出がある。
会社員時代は、金曜日の夜はオール覚悟の片道切符で、神奈川の田舎から、東海道線で六本木に向かった。そのおのぼりさん感も、懐かしいと言えば懐かしい。遠いからこそ憧れる都会。
結局は人とか環境とか。そして新しい場所はわたしにとって刺激的で、どこに行ってもまあまあ楽しめるようだ。
ちなみに横浜生まれの中2息子は、都会っ子のはずなのに、最寄り駅が住宅街で何もないせいか、いまだにイオンがあるだけで「都会だ!」と驚く。スタバがあると「オシャレ」と驚く。
田舎コンプレックスで、あんなに都会に憧れて意地と根性で都会に出たかったわたしに比べて、せっかく都会に生まれたのにのんびりしている。
手の届かないものほど手に入れたくなる、人ってそんなもんなのかもしれない。
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