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縁切り、縁結び

 私は父と母の元に生まれた。
 両親との出会い、これがはじめての出会いとなるだろうか。
 そこから今までいろんな出会い、そして別れを経験してきた。

 いろんな出会い、別れ、それらは自分の人生に影響をあたえたものもあればそうでもないし、いいご縁だったり、悪い縁だったりもする。

 社会人の時に嫌な人に出会った際には京都の安井金比羅宮に行き、えんがちょー! とかやってたもんです。

 きっかけは20代前半、ちょいと困った男性とお付き合いしてて本当に如何にもこうにもできなかった時にネットで検索した時に出てきたのが縁切り、と言うワード。

 そこから縁切り神社のこの神社を知り、その翌日が休みだったのですぐに行ったらその翌週には今までありえないというかんじで別れることになって。若さってすごい、行動力すごい。で、それ以来おせわになってました。

 何回目かのときに四人の友達との京都旅行に行った際にA子さんが鳥居の前で固まってて。動かない。
 他の二人は安井金比羅宮の雰囲気、いろんなものの縁を切りたい、恨みつらみやら書いてある絵馬とか、お札を持って2回くぐるだけでご利益のあるお札まみれの石像をみて楽しそうーと興奮してるのです。

 でもA子ちゃんは冷静。たしかにこの子は学生時代から優等生で真面目で勤勉。
「どうしたの?」
 と声をかけると

「だってさ、悪縁も自分の人生の一つだったからさ、それがあったからこそいまの私があるのよ。ぶった斬るのもあれじゃない? だから私は神社に入らないよ」

 と言って待ってるとのことでした。友達二人はそーなの?って感じでウキウキと入ってたんですけど、わたしはA子の言葉が気になってしょうがなかった。

 その後いろんな出会い別れを繰り返し、そのうちいまの旦那や他の家族、子供たちと出会った。ほかにもある。これからもあるだろう。

 まー色々あって縁を切りたかった人もあるし、切れた人もいたけどその人たちと出会ったことでその嫌な経験がいまの小説の執筆に繋がってると思うと「悪縁も悪くはなかった」と。

 でもその人たちと会わなくても違う人生があって違う小説書いてたかもしれないし、小説書いてなかったかもしれない。

 今になってA子の言葉が染みるとはね。やはりあの頃は20代、今30代後半。もうすぐ40歳。

 このエッセイを改めて読み直した40歳手前、10年ぶりの社会復帰。早速折りの合わない上司と出会ってしまったがそこでしか出会わなかったであろう人々と巡り会えた。

 専業主婦という枠の中で出会える人たちも限られていた。今は少しでも外に出てそしてPTAの役員になりもっと会う人たちが増えた。

 嫌な人も良い人たちもタイミングよく現れて私の人生を変えていくのだろうか、どうして会わせてくれたのかわからないまま生きていく。

 人生ってそんなものかな。

 子育てやら色々あって例の縁切り神社に行けてない。きっとその神社に今は縁ががないのかもしれない。
 その神社に頼ることなく、頼らなくても縁は結んでは切れる、自分の思い通りではならないようだけどそれらが意味があった、と後から思えたらいいけど本当にどうにもこうにもいかなかったら頑張って行けたらいいけど……頑張って行くほどなのか?(笑)

 ちなみにA子とは地域もちがうので会ってはいないが先日の私の誕生日にメールをくれた。私、彼女の誕生日にメールしてないのに。
 まだ彼女との縁は繋がっている、ということなのだろう。


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