【不思議体験】縁切り神社
京都にある縁切り神社の力を借りた不思議な話。
短大生の頃に1年半京都で過ごしたことがあったのだが、当時はあまり寺社仏閣に関心がなかった。
そこそこ大きな神社の名前くらいは知っていたが、京都在住時には参拝に行ったことはなく、行きたいという気持ちに駆られたこともなかった。
今思うとかなり残念なことをしていたなと思う。
まだ20歳そこそこだったことで神社への関心や神仏への信仰心があまり芽生えていなかったこともあったのだろう。
目に見えないものよりは綺麗さや華やかさが目立つ雑貨屋や美味しい食事が出来るお店にばかり目が行ってしまっていた。
その姿はまさに目に見えるものだけを追っていたにすぎない。
若さ故の当たり前の行動だったのかもしれないが。
当時の私は父方の祖父が霊能者だったことすら知らなかった。
離れて暮らしていたことで祖父の能力のことはあまり把握していなかったし、大きな霊現象で悩むことが今までなかったことで知る機会もなかった。
本当の意味での目に見えない霊的なものに惹かれていったのはある程度年齢を重ねてからだ。
35歳を過ぎてからは毎日のようにスピリチュアルな本を読んだり、そういう情報が記載されているブログやホームページをチェックするような考え方の変化が起きていった。
それからは神社や神仏についても関心が増えていくことになる。
本題となる京都の縁切り神社の名前を知ったのは数年前だ。
愛犬のコニーが老衰のために天国に旅立ってしまい、寂しさで心にぽっかりと穴が開いてしまった私はネットで色々検索をしていた。
偶然にも訪問したサイトにペットの死後について色々記載されていたことで、私は少し気持ちが救われたような気がした。
そのサイトの他の記事を見ている時に縁切り神社の情報がチラっと目に入った。
・・・京都にこんな神社があったんだ。
でも、今の私には縁がないだろう。
ペットの死のことで頭がいっぱいだから。
ペットを失った悲しみが癒された時にまたこのサイトを利用するかもしれない。
軽く内容を確認してからサイトを閉じてしまった。
それから1年ほど経ったある夏頃のこと。
職場の先輩の悪い癖がかなり暴走していた時期だった。
後輩へのパワハラ行為が段々エスカレートしていったことで、みんな精神的に疲労していた。
上司は先輩を怒らせたくないために見て見ぬふりだった。
パート仲間のひとりが上司にそれとなく相談してみたところ、黙って顔を背けて知らないふりをされてしまったとのことだ。
相談するんじゃなかったと愚痴を聞かされたのだが、いくらなんでも保身行為が強すぎではないか。
パート仲間の中には勤務中に先輩の嫌味攻撃で涙をポロポロこぼしていた人までいた。
私は可哀想だと思いながらも、私にも矛先が向けられていたことで自分のことで精一杯の状態であり、とても助けられる状況ではなかった。
とはいっても、本心では私も誰かに助けて欲しかったのだが、誰も私に救いの手を差し伸べてくれなかった。
みんな助かるためには何でもやってしまうくらい悪い方向に向かっていた。
身を守るために先輩に媚を売ったり、矛先が他へ向くようにうまく立ち回っている人まで出てきた。
私は誰かを犠牲にしてまでそんなことはしたくなかったから、先輩からキツイ態度を取られた時にも誰にも相談しなかったし、誰が敵で誰が味方か分からなかったこともあってひたすら耐えていた。
だが、それも限界に達していた。
もう辞めてしまおうか、そのくらい追い詰められていた。
そんな時にペットロスだった頃に覗いたサイトのことを思い出した。
そういえば、縁切り神社について書いてあったな。
何もしないよりは何か行動を起こした方がいい、そういう気持ちでそのサイトに再び足を運んでみることにした。
縁切り神社について色々書かれていたが、私が想像していたものよりはもっと強いものだと改めて知らされた。
そして、多くの人がその神社に救いを求めていることも理解した。
体験談なども知りたかったことでSNSや掲示板で続けて検索をしてみるが、メリットとデメリットが書かれてあったことで、参拝するにはそれなりの覚悟が必要なのかもしれない。
さて私はどうしようか。
もう限界に近いのならイチかバチかでここに頼るしかないと決断を下した。
神様の力を借りるにはそれ相応の対価が必要かもしれない。
礼儀もわきまえなければならない。
私は、誰にも助けてもらえない苦境を何とか出来るならば、何でもする。
そのくらい強い意志で神社のお守りを取り寄せることにした。
自宅にお守りが届いてすぐに変化が出始めた。
媚を売っていたパート仲間の1人が急に退職してしまった。
理由は一切分からない。
一部のパート以外は退職の日まで何も知らされていなかったというあり得ない状況になってしまっていた。
あとになって退職したパートが先輩に気を使わせていたことが判明する。
先輩のストレスの元凶になっていたパートがまさかの退職をするとは思いもしなかった。
これは偶然なのか、それともお守りの効果が出てきたのか?
お守りを手に入れてから3か月ほどが経った秋頃に母と2人で京都に出かけることになり、縁切り神社に直接出向く機会が巡ってきた。
今までは取り寄せたお守りに願いを込めることしか出来なかったが、ようやく念願叶って京都の縁切り神社に願掛けと今までのお礼に行く事が出来る、気持ちはとても軽かったと記憶している。
京都駅からはタクシーで神社に向かったのだが、道中に運転手からこんな話を聞かされた。
運転手も過去に何度か神社に参拝したことがあったのだが、どんな願掛けをしたのかというと、お酒と縁を切りたかったそうだ。
奥さんからお酒をもっと控えてと言われ続けて何十年、一度も成功した試しがないらしい。
・・・どうやらお酒の誘惑には勝てなかったようだ。
縁切り神社に入った瞬間に肩の重みが少し楽になったような気がした。
母に何か変化起きていないか聞いてみたが、母は何も感じなかったという。
神社の中を歩いて行くと白いお札がびっしりと貼られている縁切り縁結び碑が見えてきたが・・・この石は以前夢で見た気がする。
ペットロスで悲しんでいた時からしばらくして夢に出てきたと思う。
今見ているこのままの姿で。
夢に出てきた縁切り縁結び碑を少し離れた位置から眺めているだけのものだったが、大量のお札に少し恐怖を覚えたかもしれない。
いつの間にか目が覚めていたのだが。
気を取り直してまずはご本殿にお参りをさせて頂いた。
私の願いはただひとつ。
これ以上パワハラで苦しみたくない、パワハラと縁が切れますように。
私の願いが正しいものでないならば、罰を受ける覚悟は出来ている。
この苦しみから救われるならばどんなことも受け入れるつもりです、だから助けて下さい!
確か、このくらいの覚悟で願掛けをしていた。
先程の石碑の元へ足を運ぶ。
形代に願い事を書き記す。
もちろん、パワハラと縁が切れますように・・・と。
形代に願いを込めて石の真ん中に開いている穴の中に体をくぐらせて真剣な気持ちで縁切り縁結び碑に形代を張り付ける。
神社参拝後は母と2人で食事をしたり少し買い物をして自宅のある隣県に戻ることにしたのだが、夜に衝撃的な体験をしてしまった。
自分の部屋で眠りについていた私は悪夢でうなされていた。
ふと目が覚めると体が動かなくなっていた。
どうやら、金縛りにかかっているようだ。
視界は真っ暗だが、自分の部屋に居る感覚がしなかった。
あれ?私は自分の部屋で寝ていたはずだけど・・・?
次の瞬間に私は顔に強い衝撃を受けてしまった。
暴風が私の顔に吹き付けてきたのだ。
目を開けられない、声も出せない、ただただ強い風の衝撃が私を襲う!
痛みや恐怖心はなかったが、なぜこのような現象が私に降りかかっているのか理解できなかったことで少し困惑していた。
何なんだ、この台風並みの風の強さは!
動けないし喋れないし・・・もう何が起きてるんだ!?
訳が分からない、これはどうすればいいんだ!?と思った瞬間に目が開いた。
自分の部屋だった。
さっきの体験は夢だったのかな?
一度目が覚めたはずなんだけど。
多重夢というものを見ていたのかもしれない。
金縛り体験なんて久しぶりだったが、予想外の内容にも少し驚いてしまった。
怖さがなかったことが唯一の救いだったが。
・・・次の日の朝に目が覚めると汗でパジャマがびっしょりだった。
まぁ、あれだけの体験をしたのだから、汗をかいても仕方ないだろう。
それにしても、昨日の神社参拝の影響が強く作用したのだろうか。
金縛りの夢と暴風の組み合わせは初めてだ。
でも怖くなかったから、大丈夫だと思いたい。
それからのパート先での先輩のパワハラにも変化が出てきたのには驚きを隠せなかった。
あれほど暴走していた悪い癖が少しばかり大人しくなっていた。
正確には感情の振れ幅の波が少し穏やかになっているような感じだろうか。
不機嫌になってとっつきにくいと感じる日もあったが、以前のように裏で涙を流しているパートの姿はなくなっていった。
これは偶然でも何でもない。
縁切り神社の力だ。
私の願いは叶ってくれたんだ。
神社に参拝してから1年程が経ったある夏頃にまたしても金縛り体験をすることになる。
部屋で眠っていた私はふと目が覚めたが体が動かない。
視界は相変わらずの真っ暗だったが、自分の部屋に居る感覚がなかった。
あれ?この体験以前にもあったような・・・?
金縛りにかかっていることにすぐに気が付いたが、今度もまた強い風が私の顔に吹き付けてきたではないか。
以前ほどの強風ではなかった気もするが、ひたすら吹き付けてくる風に為す術もなかった。
風が収まるのを待つか目が覚めるのが先か・・・気づいた時には目が覚めていた。
また・・・あの時と同じ金縛り体験と強風を受ける体験をしてしまった。
怖さは一切なかった。
これは、何か動きがあるかもしれない。
次の日の朝、通勤バッグにつけてあるお守りを確認してあることに気が付いた。
お守りの紐が切れてしまっているではないか。
そうか、そういことか。
お守りが何かを訴えようとしてあの体験をさせたのかもしれない。
出勤してすぐに奇妙な出来事の真意を知ることになる。
パワハラを行っていた先輩が退職することが決まったのだ。
一身上の都合で退職するとだけ・・・。
パート達は急展開にみんな驚いている。
私も驚いたことは驚いたのだが、縁切り神社に願掛けをしたことでこのような結果になったのは明白である。
先輩が退職する直前に、直接手紙を渡されたのだが・・・そこには意外なことが記載されていた。
霊的な話が出来るのはあなただけしか居なかった、今までそういう話をしても周囲には信じてもらえずに変な目で見られることが多かった、もうそういう話が出来ないのは寂しい・・・と。
パワハラ行為を行っておきながら話をするのが楽しかったというのも妙だと思ったのだが、もしかしたら感情をうまくコントロール出来ないことがパワハラ行為に繋がってしまったのかもしれない。
今までに霊的な話を誰かに話していたということは、何かしらの心霊現象を抱えて1人で悩んでいたのかもしれない。
感情の波も霊の影響があったとしたら、もしかしたら誰かに助けを求めるつもりが憑いている霊の影響で出来なかったのかもしれない。
・・・あくまでも私の憶測ではあるが。
何の進展もないまま先輩は退職していった。
今頃どこで何をやっているのか。
まだ感情の波で悩まされているのか。
誰か霊的な話が出来る人と知り合えただろうか。
最終的には先輩の退職でパワハラと縁を切ることが出来たわけだが・・・。
加害者である先輩は一切救いのないまま会社を去っていってしまった。
もし先輩がもっと早くに何かしらの対処をしていたのならば、もっと違う結果になっていたかもしれない。
※縁切り神社へのお礼参りは済んでいる
こちらの内容は私が実際に体験した出来事を出来るだけ忠実に書いたものである。
合う、合わない、反動が来る来ないなどのメリットやデメリットについてはある程度理解はしており、参拝する際は自己責任でお願いしたい。
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