都合の良いとこだけ受け入れても自分と向き合ったことにはならないよ。
耳触りのいい言葉だけを
〝受け入れる〟ということは、
都合のいい部分だけを切り取っていることに他ならない。
それは、自分と向き合っていることにはならない。
というか、
自分と向き合っているふりをして、他者に答えを求めているだけであって、自分から逃げている。
自分をどうにか納得させようとする行為に過ぎない。
自分に価値があることを他者を通して見いだそうとしているだけであって、外側だけを満たすことをしている。
だからいつまでも同じところをぐるぐる回っているだけ。
苦しさは一瞬消えるけれど、またふつふつと湧いてくる。
時に他者から心震える言葉をもらえることかある。
時に他者の言葉に傷つけられることがある。
どちらも等しく受け取る必要がある。
傷つけられたその言葉を悪にしないこと。
なぜその言葉に反応したのか?
なぜその言葉を受け取りたくないのか?
(あきらかな誹謗中傷の言葉は含まない、サッと逃げる!)
その言葉は、自分が自分自身に言いたい言葉だから。
そして、その言葉に怒りや苦しさを覚えるのであれば、その感情を自分が無視し続けてきたということ。
自分を蔑ろにしていたのは、いつだって自分なのだ。
それに気づく瞬間はとても苦しい。
自分と向き合ってきたつもりだったのに!
自分を大切にしていつもりだったのに!
そう、〝つもり〟でしかなかったのだ。
それを真摯に受け止めて、真摯に自分に謝るべきなのだ。
赦しを乞わねばならないのだ。
ごめんね、見て見ぬふりをしていたんだねって。
蔑ろにしていたんだね、大切にしているつもりで、向き合っているつもりで、本当は否定していたんだね、赦して欲しいって。
そうして初めて、人からかけられた言葉の美しさの本当の価値がわかるのだ。
傷つけられた言葉にどんな意味があったのかがわかるのだ。
言葉そのものではなくて、
そこに自分がどんな思考や思いを重ねていたのか?に気づける。
すべてが自分事になり、
世界が変わるのだ。
だから、耳触りのいい言葉だけを求めて、そこで思考を終わらせてはならいよ。
光も闇もすべて受け入れて自分の中で咀嚼をして、だから自分のものになる。
本当に自分事として捉えられれのだから。
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