社会に必要なのは、任せられる人間と、頼りにされる人間?

子供ころの頼りたくなる人って、話を聞いてくれる・相談しやすい・面倒見が良い・憧れる・優しいって理由があれば、なんだか頼りたくなる人だなって感じがした。

大人になって、社会にでてみると、自分がなんとなく生きてきたことが通用するわけでもないのだと気が付いた。
無難にコミュニケーションもとれる方だったし、不自由なく生きてきたつもりでしたが、会社員になり色んな人たちと触れ合っていくなかで、私の考え方も変わっていきました。

任されると頼りにされるって、どちらも信頼されているような関係性に思えます。


・できる
・なんでもやってくれる
・注文通りに仕上げる
・とりあえずあの人に頼もう
が、任される人間

・できる
・疑問に思ってことは訂正する
・より良いもののために提案できる
・相談しながらできる
が、頼られる人間


なのではないかと思い始めた。(私の今日の考えですが、私の考えは日々変わります、ご容赦ください)


同じそうに見えて、違いは「+α」ができるかどうか。
そこが本当の「信頼」を勝ち取っていくのではないか。

自分の仕事をどこまで登り進んでいきたいか。
言える・言えない、
思う・思わない、
は性格やセンスによるものもあるが、鍛えていけるところではないか。

こうしてしまうと迷惑かな
という考えではなく、
ここまで考えてくれてありがとう
と言われる、信頼される人間が頼りにされるのではないだろうか。


都合よく使われてる気がするな。と感じていても、結局抜け出さないでそこにいるのは自分の選択。
もっと頼りにされる人間になりたかったら、自分が何かを変えないといけないですね。


任される人間が良いわけでも、頼りにされる人間がえらいわけでもなく、社会にはそれぞれの役割があるんです。でも、少なくとも、これからの私は頼りにされる人間側に行きたいなと感じた今日このごろ。
今日がその一歩を踏み出そう。

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