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#2 少数民族モン族を読み解く〜暮らし ヒョウの斑点と要塞〜

こんにちは!

ベトナム北部ムーカンチャイでJICA海外協力隊として活動中のYukaです🌻

今日はある出来事があって、久しぶりにこの本を開きました。

モン族の民族史について書かれたベトナム語の本


半年前から更新が滞っていた(超マニアック)モン族民族史シリーズ、また再開しようと思います!

今回はモン族の暮らしに関してです。

第1章はこちら


第2章 暮らし ヒョウの斑点と要塞


ヒョウの毛皮にはアスタリスク(*)または五角形のパターン模様があります。

その模様は、モン族の村を構成する閉鎖的な暮らしに例えることができます。

モン族は、モン族内で住居や関係を持つ傾向があります。

高地の村には、常にモン族の人々の暮らしがあります。

低地の村では、他の民族と暮らす必要があったとしても、彼らモン族は共同のコミュニティで生活をする傾向があります。

例えば、イエンバイ省Trạm Tấu郡Xà Hồ村のBản Cu Vaiは52世帯が住む村で、暮らしている人々は100%モン族、そのうちの49世帯はMùaという同じ姓を持ちます。

彼らは異なる民族の人たちとは閉鎖的に暮らしていますが、モン族のコミュニティに新しいメンバーを受け入れることは容易にできます。

ムーカンチャイのラパンタン村のモン族


昔からモン族は、移住しながらも民族文化を維持し、保存していくことを大事にしていました。

モン族は居住形態が分散していて空間が大きく離れているため、タイ族、ターイ族、ムオン族のような階級が上から下まであって組織が統治されているタイプとは異なり、コミュニティや家族のつながりを通して自分たちの形態を維持しています。

まず、最も重要であるコミュニティの強さは家族の強さを表します

コミュニティの発展は各家族の発展そのものを示します

1つのコミュニティには複数の家族が住んでいる場合もありますが、通常は1つの大きな家族が住んでいます。

モン族の家族が分布する範囲は広く、どこに住んでいてもお互いを家族として認識することができますが、血の繋がった兄弟とは結婚することができません。

モン族にはこんな言葉があります。

「thungx xênhv, thungx đăngz」

『同じ家族なら、同じ幽霊』

つまり、同じ姓を持っている人が単に同じ名前(Giàng, Vàng, Lý, Thàoなど)を持っているだけではなく、先祖の霊を崇拝する方法も同じものを持ちます。

お供えするお皿の数、お皿の並べ方、お肉の分け方、祀る場所など、祖先の霊を祀る方法は基本的に家族によって異なります。

(例:Vàng家は3枚、Mùa家は19枚、Sùng家は13枚のお皿を並べるなど)

それぞれの家族によりますが、彼らは礼拝する方法やタブーな行為も異なります。

例えば、Giàng家では心臓を食べることはタブー、Lý家では膵臓を食べることはタブー、Thào家ではきゅうりを食べることがタブーである、など。

法事の儀式


閉鎖的な住居に付随して、彼らの家は要塞のようなシンプルな建築スタイルで、低くて暗くて、石造り頑丈な壁を備えています。

壁を作る技術は非常にしっかりとしていて、弾を通すこともないし、水牛が落ちることもありません。

更に、周囲は工夫された石積みの技術によってできた石垣の堤防で守られています。

この住居のスタイルはハザンでよく見られます。

イェンバイのモン族の地域で見られる一般的な家は、高い壁と屋根があって、家の周りを囲んでいる堤防は全てりんごの木の木材でできています。

ムーカンチャイのザオズーフィン村のモン族の家


それが徐々に苔を生やして化石のようになり、独特な美しさを持つ家で彼らモン族は生活しています。

イエンバイの木造タイプの家には、隙間のある長い板塀があり、危険が迫ってきた時に待ち伏せする場所として設計されています。

家の周りの柵


その隙間は弾を通すのには十分で、容易に弓矢を向けて外を観察することができます。

もし不利で危険な状態だったら、家の裏の森や山に逃げるために簡単に壁を壊すこともできます。

現在に至るまで、モン族の住居は安定してきているためより拡大していく傾向にありますが、基本的には今も独自の文化を維持しています。


おわりに

モン族の方々と日々生活していて思うのが、確かに同じコミュニティにいる人たちって大体が親族なんですよね。

同じモン族でも、コミュニティごとに文化や言語すらも異なる場合があるとも聞いたことがあって、家族や人の繋がり一つ一つの強さを感じます。

第3章は、自殺とランゴーン モン族を襲う強迫観念です😱

お楽しみに🖐️


Yuka


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