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出力がバグっている
ヘッダーの写真は、知らない街の、一番最近に撮った空です。
こんばんは。こんにちは。おはようございます。
少なくとも私にはこんばんはな27時です。
眠れないのでnoteを書きます。
最近出力がうまくできない日々が続いてしんどいので、思っていることを思ったままに書きます。誰がどんなふうに読むかわからないですが、傷つけることだけしないようにして書くので、読みにくいと思いますがもし興味があったら読んでください。
ここ最近は、卒論の研究計画書と卒論を同時並行でどうにかするというアクロバティックなことをしていました。
卒論は、バトラーの文献研究なのですが、同期にも先生にもバトラーを研究したことがある人がいないので、(先生は3回頑張ってまだできてないらしい)
サポートはしてくれるけど、研究を導いてくれるようなサポートはしてくれなくて、
だからこそ自分の書いたものは合っているのか、間違った解釈をしているのか、自分の倫理観は割と当てになると思いたいけど何かしらで誰かを踏み躙っていないか、
そんなことをずっと考えて書いていると、何をしたかったんだっけ、自分はこの研究でどんなことを探究したいの?とわからなくなってしまいます。
すると筆も止まるし、思考も止まるようになります。
自分を疑い続ける作業はなかなかしんどくて、しかもそれは逃げられない作業で、
そんなことをしていたら、日常でも話をするのがとても苦手になりました。ここ数ヶ月の話です。
いや、昔から話をするのは得意ではなかったのですが、ここまで口から出力できなくなるのは人生で初めてだと思います。
研究だって本当は興味があるものだから難しいものに挑戦したんです。世の卒業研究は、興味があるものをできる人ももちろんいるけど、先生の決めた面白いと思えるかよりも単位のために、という人も多いのかなと思うのだけれど。私は心が躍らないことには目を向けられない輩なので、茨の道を歩もうとしてしまったわけです。
まあ、見事にだめそうです。
というよりも、
研究も、短歌も、ドラマも映画も、本も、お笑いも、ラジオも、友人と話をするのも、あんなに楽しいバイトも、
なにもかも、楽しいはずのものが楽しく感じられない。
怖い。何もうまくいかない。しんどい。
漠然としたままならなさと、はれない霧と、止まない雨と、
どうしようもない死にたさが混じり合って、私はパラレルワールドを探して、私のいない次元を探してひたすら歩こうとしてしまう。
それでも、私には友人や、多くの支えてくれる人がいて、それだけでどうにか、崖の淵で踏みとどまっている。
多分、ほんとうはいきたいんでしょ。
自分の内部でさえ何が本当なのか、何もわからないけれど。
それでも今私は必死に繋ぎ止めて、死ぬのをその場しのぎでもやり過ごすために人と会って、見たいものを見て生きていて、
それでもいいって、
誰も言ってはくれないので自分で今心にもないけど言ってみる。
それでもいい。生きていれば、それでもいい。
でも、本当に死にたかったら無理しなくていい。
友達にはさ、言えるからさ。
自分は自分で抱きしめてあげなきゃ。
頭にはないことでも、誰に見られるでもないこの文章が自分からださせたのはすごいことなんだと思う。
短歌も私にとってはその役割をしている。
のほほんとした短歌とか、あたたかい短歌とか、やさしい短歌とかを作る時は、
大抵は死にたい時で、生きるのがもう無理に差し掛かっていて、だからこそ自分で生み出して自分を抱きしめようとしているんだと思う。
どうしたもんかね。
でもそれでも、それをやって生き延びられるなら、続けようと思う。
もう寝なきゃ。寝るのが怖いな。怖くても寝なきゃ。
おやすみなさい。