食べるということ
趣味の極端に少ない私が楽しんでやることといえば料理だったかもしれない。とはいえ、お菓子とかそんな大層なものは作れないので、週日の夜ご飯が楽になるように、週末に近所の産直市場で野菜などの食材を大量まとめ買いし、下茹で下ごしらえ、とにかく切る切る切る。冷凍保存して冷蔵庫にストックしていく。買い物から戻ってキッチンに立ち一心不乱に食材を刻むことで母親業をしているフリをしていたのかもしれないんですが。贖罪的に。冷蔵庫にジップロックがズラッと並んでる様子を見て今週もお役目ご苦労私!と思って眺めます。ええ、自己満足です。
働くママは料理しないのか?
数年前に、料理をしないママ代表みたいな扱いで会議に呼ばれたことがあった。どうせ料理しないでお惣菜食べてるんでしょ?的な位置付けだったが、私、やってるんですよね。味噌も手作りにトライしたり、梅酒つけたり、漬物作ったり。私を指名してた人もなんともいえない顔をしてるから、笑っちゃうような思い込みで呼んじゃったんだね!ってその場を去ろうとしたんだけれど、野菜が余ってトラクターで潰されてるという農家の方々の生々しい声を聞いたときに、野菜食べてることをもっと伝えないとと少しずつ考えるようになったのがこの日から。
買って、食べて、支えること
私たちにできることといえば、たかがしれています。
買って、食べて、支えることしかできない。小さいな小さな活動です。
野菜を食べないのは、母親のせいだとかいう論調でまとめられるのも、一理ありますが、仕事しろ、キラキラしろ、子育てしろ、で野菜食べさろ、料理しろ。うん。息がつまりそう。
私は自分が完璧にできてるとは思っていないから、自分の中で折り合いをつけて生きているので、自炊したい、野菜食べたい!でも疲れ過ぎてちょっとしんどいです!無理です!ってときにはOisixやコープの宅配でバランスを取っています。料理の栄養バランスもさることながら、開始15分程度でテーブルに並べることができる献立や、料理法は身をもって学ぶ良い経験をさせてもらっています。
例えば、レンジでブロッコリーを下ごしらえをする場面では、レンジの適温と秒数や目安がわかることで日常的に別の野菜でも積極的に使う技になる。
一つ一つが、学びだなー。前向き!
料理の工程もなるだけ、とっちらからないような構成になっているので、下ごしらえと後片づけにかかる時間と余力を子どもたちとの時間に当てることができています。いつもより30分程度早く作り終わり、食べ始めることができることで家族団らんの時間がたっぷり取れます。早く食べて、早くお風呂!と子どもたちに言ってしまうストレスからも解放されました。プライスレス・・。ありがたい。
日曜のホットケーキ
冤罪的といえば、私にはもうひとつのルーチンがあります。日曜に家族みんなで焼くホットケーキ。ホットケーキミックス(薄力粉からじゃない!)と卵と牛乳。子どもたちも積極的に手伝えて、わいわいと作りながら食べることができるので共同作業です。簡単で料理とはいえないけれど、工夫をしたりしてるのを見ながら成長を感じることができる良い時間になっています。恐る恐る卵を渡していたけど、コンコンパカ(割ることの我が家の造語)ができるようになりました。
母親業という目に見えない鎖と食べること
気楽な稼業ときたもんだ。な訳ないんです。
がんばってるけど、がんばれない時はあるわけです。食べることが体を作ることも分かってるんです。煮干しの頭をとって、昆布だしで基本のお出汁を作ることも素敵なことですが、美味しい出汁パックを教えてもらい使うようになり、味も安定して自分の鎖との均衡もとれました。
茅乃舎が好きです。
最近、FBで無洗米を使うことの罪悪感のことを書いたら、大丈夫。ご飯のレンチンしたらOKのパックがあるから!と言われてすぐに買いに行きました。文明の進化がすごい。感動した!
人は様々な物事について自分なりにバランスを取って生きている気がします。母親という鎖に雁字搦めにされてる気がして息が詰まり、しんどいなあとため息がもれそうになるときも、出汁の美味しい味噌汁を飲んだりすると、なんで自分はこんなに悲観的なってたんだろうかと、ハタとするときがあります。私メソメソしてる時間はない。
子育てにはゴールがないから
子育てを通して食べるということを考えると、すごい無理してるとしんどくなるし、しんどくなったらイライラするので、和やかに生きていけるように頑張り過ぎないように、肩の力を抜きながら手も抜いて生きていこうかと思います。
無理すると続かないぞー!(大声)