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虚しさを埋める行為

あくまでもそういうこともあるよね、そういうひともいるよね、という話。


私は家族から愛されているという自信がない。
幼い頃から放任主義で、悪いことをすれば叱られたが、叱られたくないから慎重に生きてきた。
何度かを除いては。

理不尽に怒られたことはなかった。
テストで悪い点数でも見せなくてよかったし、進研ゼミはほとんど出さなかった。


だがそれは良いことをしても同じである。
95点だろうと、お手伝いをしようと、お小遣いをもらえたことも特段褒められたこともない。

愛を感じないわけではない。
フルタイムでパートとして働いているのに、食事を毎食手作りしてくれるところ、どんなに忙しくても家事を人に任せず全部やってから自分のやりたいことをする姿。尊敬している。
それでも、成長したと思って久しぶりに会ったときの「元に戻ってほしい」という一言が、忘れられない。

体面はうまく取り繕い、経験はあるけれど反省と次に生かすということのできない、やること全てにおいて自信のない、1人の人間が育った。


他人から認めてもらいたくて、頑張ってるねの一言がほしくて、他人のために尽くすようになった。
優しいねと言ってくれる人は増えた。私は優しくなんてない、ただ自分の欲を満たしたいだけ。自分の存在意義が欲しくて、肯定してくれる一言が欲しくて、そこにいる。


ただ必要とされたくて、相談にも深夜まで乗る。
ただ必要とされたくて、相手に対し良い人でいる。
ただ必要とされたくて、アルバイトによく入る。
ただ必要とされたくて、体を重ねる。


"私はこの場に必要な人間なのかな?"

不十分なに一つない私が、ただ虚しく生きる理由。

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