選択すること
久しぶりすぎてnoteの書き方に戸惑っております。
アルバイトに勤しみすぎて、自分を振り返る時間が少なくなっていました。
今月、私は働かされていると感じるようになったバイト先を休み、新たに、経営に自主的に参加することができるバイトに就くことにしました。
選択肢が増えた、そしてどの選択もしやすくなったこの時代。
私たちは、自分の好きな、自分に合った生活の仕方、考え方を選択することができるようになってきたのと同時に、選択を必要とされるようになってきました。
必要になったことは選択することに限らず、選択する理由もしくは過去からの一貫性、将来の展望、今自分が何に寄与できるか、など、付随する事柄まで必要になりました。
もちろんこれまでに選択できなかったことで悔しい思いをした人々が歴史的にたくさんいるでしょうし、私たちはこの時代しか体験していないので、いまの私たちが特段大変だとは考えていません。
しかし、選択肢が増えて、楽になったとか、いい時代になったとか、というのは私にはまだ考えられないんです。
人間は一日に35,000回しか選択できないという研究結果があります。
そのうち、人生の道の作り方を決めるのにどれだけ使われているのかと思ったり、理由を探すこと、今の自分にできることが何かを客観的に見ないといけないこと、将来を考えないといけないことを考えると、どうしても楽にはなっていないと思うんです
自分で決定せず、選択せずに生きることが悪、のような風潮も出てきつつあるのもまた違う気がします。自分の周りの環境づくりよりも自分の中にある課題や選択したものの中の課題に全力で取り組みたい人もいますし(私なんですけど)
「どの生活も認められる」「どの選択も応援できる」
そんなの難しいです。目の前にいる人に10km離れた場所にある荷物持ってきてと言われても考えるのや断るのと同じで、自分に近いほうが似た感覚を持っていたりして、理解できることが多い。
労力がかからないことのほうが簡単で、やりやすい。
でも、「どの選択にも口を出さない」「どの生活も存在していいものだと思う」ことは、できるのではないかと、思います。
選択せずに、いい学校に行って、成績優秀で、いい会社に就職して、結婚して、子供を産んで、育てて、働いて、老後を楽しみ、死ぬという人生が成功、正解である時代は終わりました。
でも、選択するという選択肢がある以上、選択しないことを選択することもアリなんだと、言っていきたい。
じっくり選択して生きていきたい私の、「いまを記録する」選択をした結果のnoteでした。
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