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令和5年目を迎えて、諸々。

また新たな年がやって来た。
この間成人式を終えたと思ったら、もう数年も経っていた。なんと時間の流れとは恐ろしいことやら。


さて、半年前に休職していた件については前回の記事をご覧頂きたい。
その後のわたしは、まあ端的に述べれば、何とか会社の温情で復職に至った。
体調と相談しながらゆっくりとリハビリ期間を過ごし、後半の繁忙期も乗り越え、現在は次の春の繁忙期まで小休止といった具合で仕事をしている。


前回の休職期間を経て、わたしは他者のネガティブな感情にとても引っ張られやすい体質だったのだと、20云年生きていてようやく気がついた。
昔からやけに睡眠時間が人よりも多いと思ったら、まさか無意識下で自分の心を守る防衛本能が働いていたとは。

まあ自分自身も、ましてや家族も気づくことなく、度々「もう昼過ぎてるぞ、いい加減起きろ!」と叱られる休日を送っていたので、単に自分もよく聞くロングスリーパーというやつなのだろうとぼんやり感じていたけれども。

多分幼い頃から両親が喧嘩するシーンを目撃するなどしていたので、それが精神的ストレスになって睡眠に表れていたのだろう。


別に夫婦仲も家族仲も悪い訳でもなかったのだが、幼き頃の私にとっては、特に父の存在は「大好きなお父さん」でもあり、同時に恐怖の対象であった。

とにかく怒りの琴線が分からないのである。
会話していた矢先、何か怒りに触れて急に激怒し出し、怒鳴る、挙句の果てに物を壊し出す、下手をすれば数日無視されることもあった。
伴侶である母すら「この人はいつもこうなんだ」と諦めムードで、私VS父の時には緩衝役として立ち回り、父VS母ならわたしはただの傍観者にしかなれなかった。ただ父は物に怒りをぶつけてはいたものの、人に暴力を振るうことは決してなかったので、それだけは唯一救いだったとも言える。

改めてハッキリとこれらがモラルハラスメントという類の精神的なDVだと気がついたのは、大学でのカウンセリングを受けた時であったので、随分自覚には遅かったように思う。
悲しいかな、ちゃんと愛は与えられていたのに、同時にDVも受けていたとは。
通りで電話越しでも父の一言一言が怖いと感じて、自分の本心がなかなか話せなかった訳だ。

ちょっとショックを受けていたら、DVの被害者が実は気がついていなかったパターンって結構あるんだよ、とカウンセラーは言っていた。そんなものらしい。

現在は母も空の上に行ってしまったため、彼なりに大切に感じていた伴侶が隣から去ってからは、父もほんの少し意気消沈したとも言えるし、烈火のごとく怒ることは無くなった。
父には、そんな調子の中申し訳ない気持ちも多少あったが、これまでの父への恐怖全てを包み隠さず打ち明けた。

本人は気がついていなかった。
聞くところによると、父も所謂DV被害者だったらしく、父の父(つまりわたしの祖父)から受けた身体的暴力は、娘である私にも、妻である母にも絶対にやるものか、という強い意志が根底にあったらしい。
しかし、確かに身体的暴力は無かったものの、代わりにそれが物に当たる、その打撃音に怯え、精神的なDVとして表れてしまっていたという事実に、父は酷くショックを受けていた。

それが結果として更に父を憔悴させる要因とはなってしまい、かなり罪悪感はあるが、わたしとしてはようやく父との関係に一歩踏み出せたような気がした、とだけ記しておく。


どこかの消費者金融のCMかのように、そこには確かに愛があった。
ただ、互いに歪なカタチに変じてしまっただけで。
これからわたし達はどのように歩み寄り続けるのか、それは空の上の母と、未来の自分たちが知るところである。





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