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ドゥッチョの「荘厳の聖母」

ジョットと同じ時代を生きた画家の作品です。前回ご紹介した「荘厳の聖母」と同じテーマで、お隣のシエナ共和国出身の画家ドゥッチョの作品です。


ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ 「荘厳の聖母/マエスタ」 1285年頃 ウフィツィ美術館


中世の宗教画と同じく平面的で登場人物の表情が固く、空間表現がありません。そのため聖母子を取り巻く天使達は、上に重なるように描かれています。本来ならジョットが描いた様に、前後に重なるように描かれるはずなのにです。



ですが、ビザンツの宗教画とは違い、聖母の顔には憂いを帯びた優しい感情が見て取れ、彼女の膝にかかる布にグラデーションが使われることで、衣服の下の肉体の厚みを出そうとした事が分かります。彼女の指の優雅な線からも、女性らしさを感じます。


ドゥッチョ特有の憂いを帯びた顔
貴族が経済を担ったシエナならではの繊細な模様の布



ドゥッチョが生まれたシエナ共和国は貴族が経済を担った国でした。そのため、上品さや美しさ、華やかさを重視したゴシック様式が好まれ、フィレンツェでルネッサンスが開花してからも、ゴシックスタイルが主流でした。



ドゥッチョは出身地の様式を踏まえながら、フィレンツェで学んだ合理的な空間などの表現を習得し、制作に活かしていました。



この「荘厳の聖母」はドゥッチョがフィレンツェ滞在中にラウデージと呼ばれる檀家グループによって、サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂のために依頼されました。4,5mもの高さを誇る、黄金地を背景に幼子イエスを示す優美な聖母の姿は「荘厳」の言葉の通りだったのだろうと思います。



現在は、ウフィツィ美術館のジョットの「荘厳の聖母」があるお部屋に展示されています。ドゥッチョの「荘厳の聖母」は、ビザンツ様式から次の時代への変化を示す上で大切です。1289年頃のドゥッチョの作品と1310年頃ジョットの作品を見比べると、時代の変遷が見て取れます。



ウフィツィ美術館にいらした時の参考になさって見て下さい。


描きかけの手。この作品のミステリー。




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