東京プロトコル
人世のほとんどを過ごしてきた東京の家から離れて、マレーシアで8年弱、帰国して早々にまた東京を離れて早2年経とうとしている。最近やっと、自分が静岡県民で神奈川の端っこが生活圏の(ほぼ)住民であることがしっくりくるようになってきた。農家になった、ということの方は、早々にしっくりきていたのに、なんとなくその土地に受け入れてもらったなと感じるまでは、ぼちぼち行こうという気持ちからなのか、たまに東京に「帰る」とそれはそれで、そうそうこうだった、と安心するようなところもある。
とはいえ、電車の乗り換えや、リニューアルしてしまった駅構内の移動、以前はどうやってすいすい歩いていたのだろうと思ってしまう人混みの中など、もうここでは暮らしたくない!と身体がWARNINGを鳴らしてくる場面も沢山ある。しかし、東京はキライ、と言っているわけではない。寧ろ、ああ、疲れる、ここで暮らしたくないと言いながらも、どこかしっくりくる何かがあることに気づいた。
その何かの正体がなんとなくわかってきたので書き留めておこうと思った。名付けて、「東京プロトコル」。格好つけすぎだというならば、東京ルールでもよかもしれない。規則ではないから、プロトコルの方がよいのだけれども。
東京は、住民の大半が、その世代か一世代前あたりに「東京に出て来た」、他の地方出身者の街だ。(生粋の江戸っ子の皆さんごめんなさい!)良い意味でも悪い意味でも、色々な地方の文化が混ざり合って、勝手に作り上げた東京文化、東京語、東京らしさを謳歌している人々の街。即ち、干渉し過ぎるとお互いボロが出るので、適度の距離を保ちながら、見せたい部分だけを見せて暮らしている。それがうまく行っていない時に、色々な問題が起きていると言っても過言ではない。
それを成立させるための暮らし方の結果として、なんとなく皆お互いの顔色を見、想像力を働かせ、それなりに足並みを揃えて「普通」に行動することに長けていく。批判を恐れずに言うならば、あの辺りに住むと、こういうイメージで見られる、この辺りで買い物することがこのくらいのプレステージを示すことになる、こういう学校に子どもを通わせ、こんな服を着て、しゃべり方はこう、持ち物はこんな感じ、と。
かく言う私も、そこで育って働いて人生の大半の時間を過ごして来たわけで、その「東京村」の中での自分の立ち位置を知らず知らず確立してきていたのだと思う。自己紹介する時はこう、その中で、相手の方との接点や共通点を見つけて、瞬速で無難な話題を発する能力。こんなものが何の役に立つのか分からないが、無意識の作法のレベルにまで発達してしまうと、関わりを持つ相手の中にそれが存在するか否かに対しても、無意識で確認しているようなところがあるように思う。
そのことが良いとか悪いという問題ではなく、ここで「相手」と呼んだ、東京村の住人の一人一人の頭の中でも同じようなことが為されているとすれば、それは「東京プロトコル」なのではないか、と考えた。と同時に、マレーシアの2つの街で半分ずつ暮らしていた時にも、似たような「ジョホールバルプロトコル」「キャメロンハイランドプロトコル」をひしひし感じていたことにも気づいた。そのずっと以前に暮らした「英国プロトコル」「ロンドンプロトコル」などもっともっとそうだ!
さて、今暮らすこの町のプロトコル、それに加えて「農家プロトコル」、考え始めると非常に面白い。それを正しくこなす、ということが目的ではなく、その中で周りの人たちと気持ちよく過ごすための大切な決まり事とでもいうべきか。人それぞれが自分の気づいたことをちょっと気に掛けながら行動するというのも悪くないではないかと思う。
そう考えると、郷に入っては郷に従え、と言われても、その郷のプロトコルに気づく感性が無ければ、従いたくても従えないというものだ。わはは。
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