CH ゆか
2013年11月8日に、何を思ったか突然、Facebookに投稿した文章そのまま。 (昭和~平成、個人的な備忘録のようなもの ー 長文・駄文すみません。) 幼児期の写真で、私が握りしめてモシモシしていたのは、黒いダイヤル式電話の緩やかな丸みを帯びた受話器だった。 物心ついた頃は、灰色のプッシュホンで、親戚や友達の家の電話番号をたくさん暗記していて、ものすごい速さで間違えずにプッシュしてかけることができた。 小学校でお弁当を忘れたことに気付いて家に電話するときは、学校のロビー
若い頃から、ジビエが好き、と言ってその季節になるといそいそとジビエ料理のレストランに足を運んでいた。と書き始めたものの、さらに遡れば、中学校時代には、友だちのお父さんが猟で獲って来たという鴨や鹿肉をいただいては、家でひとり料理していた。大学時代にお世話になっていたスキースクールの校長先生のお宅で、地元で獲れた鹿や猪が届くと嬉々として調理して同宿しているスキー部の仲間や、訪れるスクールの先生方に振舞っていた。 いつの頃からか、秋田マタギに憧れ、山を歩き回る健脚を持ち合わせない
地元のビールスタンドの2階の小さいけれども美しい檜舞台のある「おちあい座」で、ショートムービーを観た。腹を抱えて、というよりは、ふふふ、むふふと笑いながら。出演者が登壇するトークショーもあり、役者さんたちの素顔に触れることも出来た。挿入歌の作り手兼歌い手さんのライブは、会場が小さい分、臨場感も含めて最高だった! さて、始終私が考えていたことはと言うと。役者になりたかった。これは、劇団四季のミュージカルを見ても、古い映画を観ても、オペラや芝居を観ても思うのだが、今回ほど、ああ
まだこれからやりたいことはそこそこある。今になっても、初めて知って関心を持つことも沢山ある。しかし、若い頃と何かが違うと感じていた。そこに、年に一度しか会わず4年間離れていた娘が帰って来て、しばらく一緒に時間を過ごすうちに、気づいたことがあった。 若い時には、小さな一つひとつのやってみたいこと、関心のあることについてもっと知りたいという気持ち、想う人に対する感情、すべてにおいて「ほとばしる」エネルギーがあるのだ。自身が気づいている感情を越えて、内から湧き上がってくる、突き上
大変な思いをして山頂に辿り着き、そこからしか見えない景色を眺めて感動する、という状況を表す言葉だが、何にも登頂などしていないながらも、そんなふうに感じることがあったので記録しておく。 こうなったらいいな、こんなふうに出来るのでは?と想像を膨らませたり、もう少し具体的にプランを立ててみたりすることはよくある。その時に、今すぐそのために出来ること、すべきことはコレ、次はコレと計画する。このくらいまで進捗したら、次はきっとこうするのがよいだろう、などと先回りして考える。もちろん、
最近まったく聞かなくなったが、私が子どもの頃、「エスカレーター式」だから楽ね!とよく言われた。エスカレーター式だから、というのは、私立の小中高大学と一貫校だから、ということで、受験が無いから受験勉強のための塾に通ったり、そのために他の習い事を途中で止めたりしなくて済む、とか、それほど勉強しなくても、そこそこの大学までそのまま進学出来て、ラッキーね、というような意味で使われていた。 確かに、水泳、書道、テニス、英語といった、いわゆる勉強と関係の無いような習い事に勤しみ、部活と
人世のほとんどを過ごしてきた東京の家から離れて、マレーシアで8年弱、帰国して早々にまた東京を離れて早2年経とうとしている。最近やっと、自分が静岡県民で神奈川の端っこが生活圏の(ほぼ)住民であることがしっくりくるようになってきた。農家になった、ということの方は、早々にしっくりきていたのに、なんとなくその土地に受け入れてもらったなと感じるまでは、ぼちぼち行こうという気持ちからなのか、たまに東京に「帰る」とそれはそれで、そうそうこうだった、と安心するようなところもある。 とはいえ
夢を語る時間(ヒマ)がある人は、夢の実現からまだまだ遠く、夢の実現の最中にいる人は、とても忙しい、とつくづく感じる今日この頃。 これからのことを多いに語り合いましょう!というのは、20年前に沢山やっておいたので、それが今に繋がっているかどうかは別にして、今は、語っているヒマなどない、ただやるべきことをやりたいという気持ちに従うことにしている。 そんな中、気になることがあったので書き留めておく。 大きな業を成し遂げる人は、仕事を楽しいと言いながらなんてやっていない。楽しい
キョロキョロして、あれこれと次々に興味を持ってしまうところは、子どもの頃から今まで全く変わらない。と言っても、なんでもかんでも見ているわけではなく、視界に入って見えていてもまったく記憶に残らず素通りのものと、ぼーっとしながらもそれだけはじっくりと味わって、その後もずっと頭の中に残るものがある。 自然が好きだ。空、雲、山、川、湖、海、小さな池、森、樹木、草花、そこに暮らしている生き物たち。山歩きをするわけでも、キャンパーでもダイバーでもバードウォッチャーでもないが、コンクリー
近頃は、フォトアルバムがご親切にも「何年前の今日」やら、「〇〇さんとの思い出」などという写真を見せてくれる。暇に任せてチラッと開いてみると、家族旅行の思い出や小さい頃の子どもの写真、猫たちの仔猫時代などにほっこりさせてもらうこともある。 そんなふうに、忘れかけていたその時代の姿をはっきりと画像でみせてもらいながら、思い出や記憶の輪郭を薄れさせないようにしていくことができる文明の利器には感謝しきり。 一方、数カ月前に久しぶりに娘に再会した際に感じたこと。間もなく新成人という
最近よく耳にする言葉、「~しかない」。感謝しかない。尊敬しかない。なんて、ポジティブに使うと最上級のように聴こえるということもあって、文化人というカテゴリーのメディア出演者の間でも大流行りだ。 日本語に詳しい方によると、本来の、というか、これまでの日本語では、「~」の部分には、限定された良くない意味の名詞句が入るというのが定説で、「しか」は限定の意味を副える副助詞とのこと。 ( https://bibuntai.jp/2020/08/08/supplementary-par
海外留学中の娘は用事が無い時には連絡して来ない。これは当たり前。では、用事がある時というのは?TOP3は、1位:欲しいものがある時、2位:頼みごとがある時、3位:相談ごとがある時、となっている。 コロナ禍で授業がリモートになることが多く、さらに長期休暇でも帰国も旅行も出来ず、暇を持て余した時に、番外編で、ただしゃべりたいだけ、というのもあったりして、嬉しい。そしてこのたび、さらに嬉しいことがあった。どういう風の吹きまわしか、「ママがよく作るごはんのレシピ本とかある?」とメッ
昨年末に引っ越してきた先は、東京から電車で1時間半、車ならもう少し早く着いてしまうような近郊の温泉地だ。日本は地面を掘ればどこでも温泉が湧くような国ではあるが、ここは万葉の昔から、河原に温泉が湧き、その後も時の為政者の直轄になったり、傷病兵の治療地になるなど、温泉が活用されてきた土地として有名だ。 とはいえ、川一本を隔てた隣には、温泉を中心とした一大観光地として栄えた街があり、そちらとは対照的に、文学者や政治家など人から離れて静かに事を為したい人たちに愛された土地柄だけあっ
25年ぶりくらいに英語を教え始めた。中学時代に私が習っていた英語の先生は、人に教えると自分に力がつくから、と小学生の生徒さんを紹介してくださり、そこから家庭教師(もどき)を始め、高校時代には中学生を大学時代は小中高校生を教えていた。社会人になっても、どうしてもと言って来てくださる親御さんのお子さんの受験をこっそりお手伝いしたりもしていた。 それ以降は、自分自身の仕事上での英語の出番が増え続け、学生時代はおろか、留学時代の英語、あれはなんだったんだ?あの程度でよくやっていたな
小さい頃に母から繰り返しきいていた言葉、「継続は力なり」。水泳、ピアノ、習字、テニス、何を習っても特段上手くなることもなく、後から始めた人や年下の人にもどんどん抜かれていき、やる気などどこにもなく、でも止めたいと言い出すほどの理由も勇気もなく、一緒に通う友だちとのおしゃべりの時間、というくらいの気持ちですべて惰性で続けていた。 母は、いいのいいの、続けててごらん、やっていてよかった、と思う時がいつか来るから、と言った。いつかうまくなる日が来るから、ではなく、やっていてよかっ