子育て(中編)
(前編)のように、30代から40代半ばまでを駆け抜けた。子育て視点では、駆け抜けた、が一番しっくりくるが、その間、自分はなんのために生まれて来たのか視点では、苦悶の時代だった。20代は、学問とそれにつながる分野で仕事を得て、やってみること全てが新しく、自分が成長し、取り組んでいること全てが発展していっているという実感があった。
30代前半は、なんだか頭の中がうにゅうにゅしていた。サラリーマンを辞めなくてもよかったのに、前時代的に、結婚を機に辞め、結局それでは落ち着かず、自分で名刺を作って同じような仕事をし始めた。新しい会社も作った。それだけでは、うにゅうにゅ感が続いていたのか、政治の勉強でもしてみよう、と学校に通ったりもした。「この閉塞感の中にある日本をなんちゃらかんちゃら!」と駅頭で選挙演説をしていた私は、自分こそが閉塞感の中にいたのに違いない。いきなり理由や目的もはっきりしない退職をして、新婚のお嫁さんのような生活をしてみて、ちがうな、と新しい仕事を初めてみたりして、何のために生きているのかが全く見えていなかったことによるものなのではないかと、思う。
結婚したんだからいいじゃーん、とはいかない私は、むずむずしていたのだ。公にはしていなかったし、自分自身ですらはっきりとは気づいていなかった、「子育てしたい」という気持ちが大きすぎて、それ以外のことにあれこれ手を出しても、自分の中に、やりたいのはこれじゃない、という反発があって打ち込むことも出来ずにいたのに違いない。
そんなところに、ちょっと遅ればせながら、ハイッどうぞ、子育てスタート!という日がやって来ることになった。世の中の他のお母さん(お父さんでもよいが)が、子どもを迎える前やその時に何を考えるのかは知らないが、私は、ただただ「どうか強い子に育って欲しい」と願っていた。神さま仏さまに手を合わせても、そう呟いていた。出来ることなら、身体も精神も。人は、強さを持っていれば、優しくも、賢くも、そして柔軟でもいられると信じているからだった。
かくして、ジャーン♪ 強い子が登場してきた。34歳にして、この世に無いものがあるになる瞬間を目の当たりにし、しかも、その現象の当事者、というのか?!それとも仕掛け人?!として立ち会っていることにワクワクしながら。医師が、肺の音がなんとかとか、心音がどうとか、頭囲が大きすぎる(苦笑)とか言って別室で特別な機械の中に赤ん坊をしまい込んでしまっても、いやいや、この人強いでしょ、問題ないでしょ、見ればわかるじゃない、と「母」たる私は強く反発し、ちょっぴり涙を浮かべながらも、自信を持ち始めていた。
ん?世の中の「ママ」という人たちは、わが子のこととなると、エスパーかなにかのように、この子の考えていることは分かります顔をしていて、あー、やだやだ、と思っていた私が、私は分かっていますさんになり下がってしまったのか?と一瞬焦った。違う。そうではない。この人がどんな人なのか、私は知らない。つい先ほど、繋がっていたものが断たれた瞬間からは、完全に別の人格としての一歩を歩み始めている、と考えていた。しかし、強いはずだ、という(まだ)根拠の無い自信が芽生え始め、同時に、絶対に強い人間に育てる、という意思の表れでもあったのだと思う。
これが、私なりの母性、なのだと思う。
つづく。