美しい日本語と教養
最近美しい言葉に出会い、ハッとして心を奪われた。
「水中に月影を掬(きく)するが如し」
あたかも水中に月影を掬(すく)いあげようとするかのごとし
今毎日見ているNHK朝の連続テレビ小説「虎に翼」の判決文で読まれた際に、
かっこよくて痺れたのだ。
こんな判決文の中で文学的でロマンチックな言葉が使われるのか…。
と同時に、普段からこんな言葉が出てくるなんて、なんて知的で教養があるのかと昔の人は凄いなと思ったし、自身の語彙力の無さに悲しくなった。
ここ数年、美しい言葉を知りたい、教養を身に付けたいと強く思う様になった。
それは、紛れもなく茶道を習い始めたから。茶道は禅の思想が元になっているので掛け軸から禅語に触れる機会もある。
茶道の九月の掛け軸にも「掬水月在手」という禅語があるらしい。意味はまた違うらしいけど。
それと、大河ドラマの「光る君へ」
思えば、源氏物語を初めて知ったのは小学生のとき。その時に「こんな面白いものがあったのか!」と衝撃を受けたのは今でも覚えている。歴史も平安時代が割と好きだったので今回ドラマを見始めたけど面白い。
その中で漢詩や和歌が出てくるので気になっていたけれど、今回「虎に翼」でも昔の言葉が出てきて、何かと今回の朝ドラと大河は共通点が多いなとも思った。
女性が弱い立場である時代の中で、自身の生きる道を探していく主人公たちの強い姿が見られる点が非常に似ている。だからこそ面白くて見ているわけなのだけれども。
美しい言葉といえば、年始に「perfectdays」という素晴らしい映画を見た。その中で主人公が読んでいた本が幸田文の「木」という本。美しい日本語を知りたいなら幸田露伴の小説を読むといいと聞き、その娘である幸田文の文も読んでみたいと思った。
日々の生活の中で、文章を書いたり人と話すことが増えたからこそ、余計に気になるようになった自身の言葉。
書く時も話す時も言葉が出てこない。
やはり日頃から言葉を鍛える努力が必要だなと改めて思った。
憧れる人たちはみな語彙力が豊かで教養がある。
人生における永遠のテーマなのかもしれないが、学ぶことは一生続くものだから焦らず楽しんで学び続けたい。
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