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持てる想像力を発揮しないことを選択した日々、後悔と。

気づいたら夏が来ていた。

音楽を聴かなくても、お香を焚かなくても、すぐに寝れるようになった。夜中に目が覚めることなく、朝を迎えられるようになった。直接的に誰かの命を背負っている日々は、思っていたよりも心に負荷がかかっていたみたいだ。

3月の最終出勤日を終えて書いたこと。

今日で終わりなことをおばあちゃんにつたえたら、「いいな〜!」と真っ直ぐに言われた。

意図的に失ってしまった"終わりがない暮らし"への想像が一瞬にして戻ってきて、後悔とか申し訳なさとか寂しさに押しつぶされそうになってしまった。

今後失わないために、文字しよう。
落ち着いたら。

このおばあちゃんとは、働き始めと入居の時期がほぼ一緒だった。私がやっと独り立ちできたころ。

「こんな場所にいられないわよ!早くお家に帰しなさいよ!じゃないと警察を呼ぶわよ!」

置いてある受話器を抱えて、21時に本気の取り合いをしたのが最初の思い出。

経管栄養の寝たきりの人がいたり、動かせないほど身体の拘縮が進んでいる人がいたり、大きな褥瘡をみたり。

初めての経験の連続のなかで、受話器取り合い事件から始まったこのおばあちゃんとの日々は、特に印象深かった。

正直イライラすることも多かったけど、愛おしいなぁと思うことも多かった。

認知症の進行とともに、不穏な時間が増えていった。日常のできないことが少しずつ増えていった。その度に寂しさを抱いた。

死に近づいていることを、自分の状態を、おそらく自分で理解していることが伝わってきた。だからこその葛藤を、寂しさを、不安を、私たちにぶつけてくれていた。

時間があるときには、手を繋いで一緒に散歩にいった。今は亡き旦那さんとの馴れ初めを聞いたり、人生相談に乗ってもらったこともある。いつも「いんじゃない?なんとかなるよ!」って励ましてくれた。カメラを向けると裏ピースをしてくれるような、かわいいお茶目さを持っていた。

公私混同も甚だしいけれど、私が自分の母から受け取りたかったような包み込むような愛情を、このおばあちゃんは無条件に渡してくれていた。

それでも、不穏なときには私の心に余裕がなくてイライラしてしまうこともあった。このおばあちゃんにだけゆっくり関われる時間があるのなら、イライラはしなかっただろう。ただ、大量に追われる業務と他で起こる事件と、頭を使うことで精一杯だった。

私が私の1日を終えることで精一杯だった。

看取りがあると、私の1日とここで暮らす人の1日の重さは違うように感じた。生は平等に"無"であるはずで、誰もが死と隣り合わせであるはずで、それでも暮らしは続いていくもので。

私なんかとは比べ物にならない数の選択と意味の積み重ねをしてきたという事実が、無意識に生の重みを感じさせていた。

ここで生活をする人のうち、どれだけの人が今の生活を望んでいたのだろうか。どれだけの人が、ここで死ぬことを望んでいるのだろうか。どれだけの人が、自分の人生に満足しているのだろうか。

認知症ではないおばあちゃんは、いつも自宅に帰れる日の話をしていた。認知症のおばあちゃんは、いつも自分の家を探して歩いていた。誰も、ここで生活することを望んではいなかったのではないか。

そうは言っても、ここで生活を送ることを受け入れなければならない。その葛藤の渦に巻き込まれることを楽しめる日と、苦しくなってしまう日があった。

空想と現実の境目が曖昧な状態で現れるのは、日常の記憶だ。特別な何かではなく、その人を形作ってきたであろう記憶の破片だ。その破片をもっと丁寧に受け取り、想像したかった。

想像することで、愛おしくなった。
どの破片も生きてきた証拠であって、つなぎ合わせて見えてくる人生は、関われなかったことを悔しく思うほど愛おしかった。そして、最期のこのタイミングで出会えたことに感謝したくなった。

同時に、その想像をすることは苦しかった。
破片から人生が見えてくると、最期に関わる責任の重さを感じてしまった。関わってきた人たちだとか、想いだとか、願いだとか。全ての意味づけを変えてしまうかもしれない気がした。

◇◇◇

死に際には「生き様」が現れる。

看取りは生き様の"まとめ"のようだった。
一晩中思い出を語りながら過ごす家族、あっさりとしている家族、後悔をこぼしてくれる家族、いろんな場面に立ち合わせてもらった。

どの人生が正解か、優れているのかなんてのはもちろんない。"生"を簡単にまとめることができてしまう瞬間に、まとめることで自分の生に向き合おうと決意する瞬間に、私のみていた"生"の切り取りを伝えきれなかったことを後悔した。

そして、受け取っていた破片から、願いを想像しなかった日々を後悔した。もっともっと、この瞬間を豊かにできたのではないか。想像をしない選択をしたことで、その豊かさを削ってしまったのではないか。

いつ終わるのかわからない、この場での生活。
早く終わりたい、楽になりたい、元の生活をしたい。暮らしを続けていくために存在した私は、この想いを受け取ることで、続けていくという意思をもてなくなってしまいそうだったのかもしれない。わかんないけど。

"生きる"とはなにか、考えれば考えるほど答えはみつからなくて、わからなくなった。

けれど、色んな最期に密に関わらせてもらえた経験は、確実に私のなかに刻まれた。

人間はどこまで行っても寂しくて愛おしい。

◇◇◇

結局のところなにもわからなかったけれど、この経験の答え合わせはこの先何十年もかけてしていくんだろう。受け取っていたけど見ないようにしていたことを忘れてしまわないうちに、また書き留めよう。

「逃げるんじゃないわよ!!この泥棒!!」と叫ばれたあの夜を忘れずに、持てる想像力を発揮しないことは、向き合うことの放棄だ、と心に刻んで。

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