見出し画像

教師を辞めることにしました。

突然ですが、新卒で就いた仕事である教職を、この3月で辞めることにしました。
次の仕事や、転職活動についても書いていきたいのですが、この記事では主に仕事を辞めたくなったきっかけや理由を徒然なるままに書いていきます。

自分は、2021年の3月に大学院を修了し、専修教員免許を取得しました。修士論文を執筆しながら、卒業後にどうやって生計を立てていくか考えた時に、一般企業も考えたことはあるのですが、学部時代に少しだけIT企業でインターンをし、成果やその指標となる数字とひたすら向き合う職業人生(それができている人は本当に尊敬しますが…)よりは、自分で身につけてきた知識や、アウトプットの方法論を、目の前の生徒たちに教えていくことの方が向いているのではないかな…と教育実習などを経験する中で考え、教職を選びました。

(渋谷のITベンチャー企業でインターンをしながら就活をするか迷っていた頃の話や、コロナ禍にどうにかこうにか受け入れてもらい、教育実習をした経験の話はこちらで詳しく読めます。興味があったら、是非目を通してみてください…。)

特に、今の職場を選んだ理由としては、
➀学校が行っている探究活動などの取り組みが面白そうだった。②採用面接の雰囲気がとてもよかった。この2点です。
➀に関しては、学校をあげてプレゼンテーション教育や、高校での論文執筆の活動を押し出していて、自分の学部から大学院での研究経験が生かせるのではないか、と考えました。
そしてどちらかというと、一番の決め手は②です。他にもいくつかの学校を受けていましたが、模擬授業や面接で、多少圧迫感を感じることが多かったのですが(キツいけど大丈夫…?とか、修士で教員免許を取ったことに対して、もう少し計画性のある生き方をした方がいいね…とか、後々一緒に働く仲間なのに、何故そんなに上から目線なのだろうとか…。)、勤務校では管理職メインで採用を行ってくれたのですが、採用の際には模擬授業も終始頷いて聞いてくれ、面接もとにかく和やかでした。就職・転職活動市場でよく言われることだと思いますが、これは非常に大事なポイントで、就職してからも周囲の人の良さ、やさしさに助けられたことがめちゃくちゃよかった。

2021年の4月に就職。まだまだコロナ禍で、学校活動は制限がある状態が続いていました。それなのに、正直めちゃくちゃ激務。一般企業で働いている子とは比較にならないほど月の休みは少なく、毎日退勤して帰宅すると、動けないほどへとへとで、ベッドにダイブして夜中に目を覚まし、そこから食事をしてシャワーを浴びて、5時くらいにまた起きて出勤していた。睡眠が二分割されているので、当たり前に疲労も蓄積されていくわけなのだけど、とにかくそのループから抜け出せない。夏休みは比較的多めだけど、本来休める日数よりも、夏にコンクールなどのある部活動の顧問をしていたので、完全な休みは少なく、コロナ禍で実家に帰れなかった。

部活動の話はコチラに詳しく書いています。吹奏楽という特殊な世界に、少しでも興味のある人は読んでみてください。こんな風に書いていますが、いい経験ができましたよ。

激務が原因で退職を決めたみたいだけど、そうではない。その時は、初めて担任して懐いてくれたり、相談事をしてくれる生徒への情と、勤めはじめ、1年目の若い気力で、授業の予習も、クラスでやる企画をどうするかも、全て自転車操業だけれど、毎日がなんとかなっていた。周囲の助けや、そういうのもあり、かなり幸福度は高かったと思う。何より、2年間の苛酷な研究生活と、それに伴うメンタル面の落ち込みや収入がないことへの焦り(よく考えれば学生なので当たり前なんだけど)もあったので、かなり満足していたと思う。

様々失敗もあったけれど、仕事と生活の両立にも徐々に余裕ができてきたのが1年目の終わりころ。そこから、3年目で初めて卒業生を出した。進路指導は、成功もあれば失敗もあって、受験に失敗し、口惜しそうな風に卒業していく子たちがいたのはつらかったけれど、卒業式では感極まって涙を流し、その後卒業生に会うこと、彼らは大学生活を楽しそうに報告してくれることも大きな喜びだった。

卒業式の話はコチラに。いまでもレミオロメンの3月9日を聴くと、少し涙してしまうくらいなのです…(笑)。

退職、というか転職のことが頭を掠めたのはその時期。
3年間面倒を見た子たちを送り出して、少し余裕ができた。
就職してから立ち止まらず、なんとかその子たちが進学先を見つけられるよう考えてきた。それが終わって一呼吸ついて、ふと自分が自分に焦点を当てたのである。

直接的な理由は1つには限定しづらい。複合的なものだと思うのだが、ひとつひとつを考えてみる。

➀ ルーティンワークへの閉塞感と停滞感。

教員の仕事を、「ルーティンワーク」と一絡げにしていいものかはさて置き(様々な予想外のトラブルやイレギュラーに対応していく仕事でもあるので…)基本的に年度の流れ、行事やそれぞれの学年のシラバスなどは毎年同じ。もちろん、受け持つ生徒は変わっていくので、飽きるということはないのですが、変化が欲しい。卒業間近の進路指導の疾走感を経験した後だから、なおさらそう思ってしまったのかもしれない。もちろん、継続していれば役職がついたり、見える景色が変わったりはするのだろうけど、流れていく日常をよりよいものにしていく気力がなかなか、もう一度生まれてこなかった。卒業生を出してからのもう1年も、それなりに学習管理や授業のやり方を工夫したつもりであるし、種々の驚きもあったけれど、抜本的な生活の変化が欲しいと思ってしまった。

② 身につくスキル面。

➀と関連して。
磨かれるスキルが限定されること。もちろん専門職なので、それが当たり前なのだけど。いろいろと複雑化する社会の中で、伸ばしていけるのが授業力や話す力、保護者対応力…それだけなことを少し心細く思った。免許ありきの仕事なので、それでいいのかもしれませんが、先々のことを考えた時に少し不安に思った。

③ 学校、そしてキャリアの将来性。

②から、さらに関連して。学校という組織の将来性、自分のキャリアの将来性。両方に対する不安があった。まず、少子化。日本社会に少子化という問題がある限り、どのみち経済の停滞やあらゆる衰退は避けられないので、この業界なら大丈夫ってないのかもしれない。でも、私立の中高は、とにかく少子化の波と喫緊で戦っていて、毎年出願数の増減に一喜一憂し、広報活動の過熱が進む。「もっとこういうのをPRすべきではないか」「もっとこういう施策をやるべきではないか」。日々の目の前にいる生徒の問題に向き合う仕事や、時間よりも、学校はそちらを優先しているように感じた。一区切りついたことで、そういう今まで気にしていなかったことが前景化したのも事実だと思う。管理職の考える未来の話や「これを考えておいて」「検討しておいて」と言われることや学校の将来プランは、今目の前の生徒たちの学習状況からはかなり距離があり、理想論臭くて、それでいて場当たり的な気がする。リソースも考えられていない。完全なる組織批判をしてしまったけれど、そういう計画になってしまうこと自体が、「行き詰まり」なのだとは思う。加えて、自分の将来性。その学校に所属して過ごして、到達点はもちろん学校の管理職なのだけれど、自分には向いていないとも思った。一人一人の生徒に、手厚く指導することよりも学校の舵取りや責任の所在を考える仕事に、自分はなれそうもないと思った。

④ 働き方、これでいいのだろうか…?という疑問。

すごくシンプルな疑問に戻ります。
でも、逆に30を前にして、以前みたいながむしゃらな働き方が現実的じゃなくなったから、その疑問に戻れたのだと思う。

最近、教員の人材不足が問題になって、様々な自治体が教員採用試験の時期を変更したりとか、文科省が調整額を変更したりとか、そういう工夫をしているけれど、確保に結びつかないのが現実だし、正直ファーストキャリアで教員を選び、今教職を離れようとしている自分としても、それは仕方ないことだと思う。

大学で教職をとるのは、それなり手間だ。介護実習や、教育実習、その他の授業コマ数などを考えたら、それなりに根も真面目で、くいっぱぐれないための資格をとろうという、先を見通せる学生、というのが教員免許をとっている若者の基本スペックではある。

そういう、真面目で先を見通せる学生が、(これは学校にもよるけれど)残業代なしで、働かされ放題の職場環境を選ぶだろうか。

これは一般論になってしまったが、自分に話を戻す。
私立なので、土曜にも授業があり、授業が無い時でも前述の広報のイベントなどが入る。日曜は、所属している部活動にもよるが、大会や練習の監督で引っ張られることもある。(土日手当も公立と私立で違いはあると思うが、うちの場合は正式な出張でなければほぼ出ないに等しい。)振休は当たり前にないし、ひどい時は月の休みが3日とか5日とか、そういうこともよくあった。悪いことばかりじゃないところを言うとすれば、長期休暇だけは長く、そこが振休のようなものではあるかもしれないが、連勤が続く時の肉体的なしんどさや、心のゆとりの無さは、なかなか回復できないでいた。教育への熱意が低下したとか、仕事が嫌いになったとか、よりも、そのゆとりの無さを乗り切れる熱意が切れてしまったところも一因になっていると思う。

以上が、教職を離れようと思った理由。
次の仕事がこれらすべてを解消できているわけではないと思うけれど、
とりあえず、次のステップにうつろうと思う。


いいなと思ったら応援しよう!