父の意思そして遺志
おはようございます。
2024年9月4日午前9時11分。
この時間ですでに5回電話がかかってきました。
父からです。(と言ってるそばから6回目の電話)
昨日もかかってきました。
私のスマホにかけたあと、すぐに家の固定電話にもかけてきます。
弟たちのところにも毎日10回くらいかけてくるようです。
電話をかけたこと自体を忘れています。
母の体調が悪化して救急車で搬送された後の電話は本当に大変でした。
・俺の知らん間にかーちゃんが拉致された!
・俺が病院に行ってすぐに連れ戻す、家で二人で暮らす
・免許を返納してしまったからタクシーで病院に行く
・誰も俺に本当のことを言わん!
まぁ、そういう感じの内容の繰り返しです。
私はいいとして、弟たちは仕事中です。
あまりに回数が多いので
「弟たちは仕事中だから、せめて夜に電話して」というと
「親が子供に電話して何が悪い!」
そしてすぐに泣き出してしまう。
もうすっかり子どもに戻っています。
威厳のある父親像から程遠くなっていってます。
精神的にも肉体的にも、弱っているのがよくわかります。
それはそうですよね、もう91歳。
下の弟はマメなタイプで、気になった電話の内容はメモしているそうです。
彼いわく
「ジキル期とハイド期がある」。
ジキル期の父はご機嫌で、毎朝
「元気元気!もう朝ご飯を食べた!」
と朝6時半頃かかってきます。
弟たちのところには5時半くらいにかけてくるらしい。
ハイド期の父はいきなり喧嘩腰で
「俺は家にかえって一人で暮らす」の一点張り。
なにか言うと
「もうよか!お前たちには何も頼まん!」
以前は母のことも口にしていましたが、最近はあまり…。
医療養護院に入院中の母のところに連れて行ったことがありました。
その後の感情の高ぶりがひどく、せん妄も混じって施設の方に暴言を吐いたり…。
幸い、暴力を振るうようなことはないようなので、そこは安心していますが、主治医の先生と相談して精神安定剤の服用も検討されているようです。
思えば、父は母ともう半年会っていません。
それは会いたいだろうし、二人で一緒に暮らしたいという気持ちは当然ですよね。
ただ、母はもう点滴のみで命をつないでいる状態です。
父が一緒にいて、安全である保証はありません。
「かーちゃんがかわいそうや」といって外しかねない。
今は母のことを口にしないだけマシ、な状態です。
というか、記憶が薄れていっているのならそれも心配です。
以前、家に帰ると言ってタクシーを呼びました。
が、応対に出た方も電話の様子から普通じゃないとわかって受け流してくださったようです。
その後どうしたかというと、父のスマホのタクシー会社の連絡先を施設に変えたそうです、グッジョブ✌
なので、タクシーを呼ぶと施設の方が「あいにく今、出払っています」と応対してくださいます。
父の言いたいこと。
「俺が自分で建てた家で一人で暮らす。そこで死ぬ」
「家を早く売らんか」
大体このどちらかです。
今月7日に弟が帰省するときに、弟に家の売却の話をすると言ってました。
なので、今朝の電話は「7日に帰ってこれんか?」です。
6日にドセタキセル最終。
7日は相方が東京出張。
ちょっと無理です。
父の存命中に家を売ると、「最期を家で迎えたい」という父の意志は叶わない。
実は、実家の隣には母方の実家があります。
表札は、京都の施設で暮らす伯母の姓になっています(これも色々事情がありまして)。
所有者は母の弟です。叔父も大阪の施設に入っています。
うつ病に加え、認知症も出てきています。
上の弟のラグビー部の先輩が不動産業で、うちの実家と隣の家を一緒に売ってくれないかという話があったそうです。
おそらく、二軒同じタイミングで売却ということになります。
そういう話を父はおそらく理解できない。
理解したとしても5分で忘れてしまうことでしょう。
なので、その時その時で父の機嫌にあわせて話を取り繕うしかありません。
母が嫁いだ時、大姑、姑、小姑(7人!)いて、大姑が寝付いていたそうです。
次男の嫁の母が看取り、続いて姑も。
その時は母は上の弟の妊娠中、姑の初盆の日に弟が生まれるという、めでたいのに大喜びできない、慌ただしい出産でした。
1歳9ヶ月の私もいましたしね。
そういうのを見ていた父は
「俺は絶対延命措置はしてほしくない、人工呼吸器とかは必要ない」と常々言ってました。
もう一つ、父の頭の中にある光景は、祖父の最期の時でしょう。
7人の娘たちが毎日交代で病室に付き添っていました。
最期はたくさんの子や孫に囲まれて旅立ちました。
一人で病室で最後を迎えたくない。
そういうことなんだろうな、と思います。
その願い、叶えてあげたい。
とはいえ、いつ「その日」が来るかわからない。
こういうとき、本当にがんが憎い。
こんな身体になった自分が情けない。
その前に母のこともあります。
とりあえず、父にはこう言いました。
「今度帰ったときに、わかさん(父の母)の話を聞かせて!私は全然知らないから。どこからお嫁に来たのか、結婚前は何をしていたのか、とか全然知らないから教えて!思い出したことをメモしておいて」
父は「おお!」と良いお返事。
「死」よりも今生きていることに向き合ってほしい。
多分、父が最後に言いたいのは「姉弟仲良く」でしょう。
大丈夫、そこは無問題だから、安心して!
☆トップ画像は桜島バックの10年前の両親です。