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人はなぜネガティブな感情を語るのか?
情動にはさまざまなものがあります。喜びや楽しさといったポジティブな情動と、悲しみ、怒り、嫉妬などネガティブな情動があります。
私自身、どちらの情動経験も体感したことがあります。特に、ネガティブな情動を経験した後、自分の中に留めておくことがどちらかというと苦手で、他者に語ることを通して癒された経験があります。
語りを通して、癒される感覚は不思議な経験でした。
今回は、人はなぜネガティブな感情を語るのか、という問いと向き合った論文を見つけたので、そちらをまとめていきたいと思います。
論文名:『感情を語る理由:人はなぜネガティブな感情を語るのか』川瀬隆千さん
研究目的
人々がネガティブな情動経験(悲しみ、怒り、羞恥)を他者に語る理由を検討すること。
先行研究
一般に、感情的経験について語ることは抑うつのようなネガティブな情動状態からの回復に効果があると考えられている。感情的経験について話すと、情動が緩和するとも思われている。臨床心理学では、情動を言語化することはカタルシス効果を持ち、精神的な健康に有益であると主張されている。
Pennebaker(1989)は、トラウマティックな事象が言語に翻訳されないとき、それは十分に処理されないと述べている。思考や感情、行動を抑制するために費やす意識的な努力は生理的な活動を必要とするので、そのような努力が慢性的に行われると、ストレスに関連した身体的、心理的な問題が誘発されるのである。逆に、情動の言語的な表出は心理的なトラウマの身体的な健康に及ぼす長期的でネガティブな影響を予防する。ストレスやトラウマをことばに置き換えることによって生理的活動が低減するためである。情動について語ることはその情動からの回復にポジティブな影響を及ぼすのである。
しかし、情動的経験を語ることが精神的な健康に有益であるとは必ずしも言えない。情動のネットワークモデル(ex. Bower, 1985)によれば、ネットワークのどの要素の活性化も他の関連した要素に広がり、その要素を活性化させる。つまり、ある情動経験が活性化されると、その活性化は関連した要素に広がり、それらの要素を活性化させる。したがって、ある情動経験について語ることはその経験に関連した情動を喚起させることになる。情動の社会的共有さ自体が情動を再活性化する経験なのである。特に、ネガティブな情動経験を語ることは人々に再びネガティブな情動を経験させるだろう。
これらは情動経験を語ることがその本人に及ぼす影響であるが、情動経験を語ることはそのコミュニケーションの相手にも大きな影響を及ぼす。特にネガティブな経験を語ることは、共有の相手にとってはかなり大きなストレスになると予想できる。たとえば、Shortt & Pennebaker(1992)は学生たちにホロコーストの生存者が自分自身の経験を語っているビデオを見せた。生存者たちの示したネガティブな感情の程度はさまざまであったが、ネガティブな感情の程度が強くなるほど、観覧していた学生のネガティブな情動も強くなった。
情動の社会的共有にはこのようなネガティブな側面がある。それにも関わらず、人々は情動を共有しようとする。そして、この傾向は社会や文化を超えて一般的に認められるものなのである。本論ではネガティブな情動経験を語る理由について検討したい。
方法
宮崎公立大学の学生153人(男性30人、女性123人、平均年齢は19.05歳)が研究に参加した。参加者は悲しみ、怒り、羞恥の3条件のいずれかに割り当てられた。
質問紙
※詳細は割愛しています。詳細は、ぜひ論文をご覧ください!
1.情動的経験の再生
参加者はまず自分自身が過去1年間(ただし、最近の1ヶ月は除く)に経験した情動的経験を思い出し、それを具体的に記述するように求められた。
2.情動的経験の社会的共有
次に、参加者は情動的経験の社会的共有について尋ねられた。上記のできごとを誰かに話したかどうかを尋ね、もし話したのであれば、続いての質問に回答させた。
3.社会的共有の理由
情動的経験を他者に話した参加者は、さらに、その経験を語った理由について尋ねられた。まず自由回答により、情動的経験を語った理由を記述させた。
結果
できごとの経験時に参加者が感じた情動については16個の形容詞を使って回答させた。参加者が選択した形容詞を条件ごとに合計したものが表中の数値である。
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以下は、条件ごとの感情の強さ、継続期間、精神的混乱度の平均とSD(標準偏差)である。一要因の分散分析を行った結果、情動の強さ、継続期間、精神的混乱度の全てにおいて、3つの情動条件間に有意な差が認められた。
悲しみの経験は、怒りや羞恥の経験よりも強く、継続期間が長く、精神的混乱度も大きいと言える。
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参加者が情動的経験を他者に語ったかどうかを検討した。情動的経験を他者に語った割合がもっとも高かったのは怒り条件であった(84%)。ついで、悲しみ条件(75.6%)、羞恥条件(71.4%)であった。これらの感情条件の間には社会的共有行動の差はなかった。
表3からもわかるように、ネガティブな情動経験の社会的共有はできごとの直後も含めた「当日」に集中的に行われており、悲しみの経験では54.8%、怒りの経験では59.6%、羞恥の経験では65.7%であった。
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感情的経験を表出する相手は70%が親しい友人であり、次いで両親(約19%)であった(表4)。情動条件別にみると悲しみの経験の90%、怒りの経験の95.2%、羞恥の経験の80%は親しい友人、あるいは両親と共有されていた。
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「感情的経験そのものをどの程度詳細に話たか」また「経験時の感情をどの程度詳細に話たか」について7段階で尋ねたが、条件間に有意な差は認められなかった(表5)。
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ネガティブ感情の社会的共有の理由は以下の通りに分類された。全体で見ると「気持ちをすっきりさせたい」「不安を解消したい」などのカテゴリーIIに分類される理由が最も多く、次に多かったのは「気持ちを知ってほしい」「同意してほしい」などのカテゴリーⅠに分類される理由、および「問題を解決したい」「悩みを聞いてほしい」などのカテゴリーⅣに分類される理由であった。
このような結果は、人々がネガティブな感情によって生じた不安やコントロール不能感の意味を明らかにし、混乱した信念を回復しようとして、情動の共有良という社会的コミュニケーションを始発することを示している。
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考察
・人々が情動的経験を語る主な理由は「信念の回復」および「理解と受容」ということであった。このようなことから、情動の社会的共有には「信念の回復」に代表されるような「認知的側面」と「理解と受容」に代表されるような「対人的側面」があることが分かる。
・ネガティブ感情を語ることは心理的健康に一定の利益をもたらす可能性があるが、どのような状況で、どのような相手に語るのが適切かを見極める必要がある。
・特に、相手からの適切な共感的反応や支持が、感情を語る行為の効果を最大化する重要な要因である。
・Rime et al.(1998)は情動(特に強い情動)の社会的共有は、2者間の物理的な距離を縮めると述べ、情動的経験を語ることが親密な対人関係の発展と維持に寄与するとしている。情動の社会的共有が人間関係を作るのである。
人はなぜ、ネガティブ感情を他者に語るのか。さまざまな理由がこの研究で明らかになりましたが、個人的には、情動的な経験の共有が、人間関係をつくる一つの行為になる、ということが改めて実感できたことが大きかったです。