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東北という地が、自分に教えてくれたこと。

私は、大学卒業後、宮城県石巻市というところに移住した。
当時、災害ソーシャルワークの研究をしていて、いちボランティアではなく、いち住民として復興支援がしたいと思って、移住したのだった。

当時23歳の頃に書いた、私にとっての「働く」ということ。
公益財団法人 勤労青少年躍進会が主催する「若者のつどい」という作文コンクールに2017年に書いたものを久しぶりに眺めた。(当時、入選した作品)

その作品を、今日はそのまま載せようと思う。

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「私は本当に東北の役に立っているのだろうか」

大学卒業後に京都から石巻に移住した私は、ずっと考えていた。

学生の頃からボランティアで足を運んでいた宮城県石巻市。

社会福祉学部で地域福祉を専攻していた私は被災地のコミュ二ティ支援や対人援助に面白みを感じ、被災地の役に立ちたいと社会福祉士を目指していた。

そして、周囲の心配や反対を押し切って石巻市に移住を決め、今年の4月から移住し、働き始めた。

だが、実際に働き始めると、現実は想像と全然違った。

「今の余震なんか震災当時に比べるとどうってことないよ」
「仲良かった近所のおじちゃんがまだ見つかってないんだよねえ」
「震災当時はガソリンがなくて大変だった」
その土地に根付いてこなかった私には、共感することが全然できなかった。

自分のやっている仕事内容が、本当に石巻市の役に立っているのか、全然わからなかった。

「私はなんのためにここにいるんだろう」

京都で決意した信念が一瞬で崩れ落ちた。

崩れ落ちてからは、仕事に身が入らなくなってしまい、何をしても誰と話しても、

「私は本当に東北の役に立っているのだろうか」

この考えが頭から離れなかった。ずっと、ずっと。

そんな様子の私を見て、職場の上司が伝えてくれた。

「お前、東北の役に立とうと思って仕事してんなら勘違いするなよ。いつからそんな偉そうな立場になった?俺ら東北人はお前が東北のために仕事してほしいなんてこれっぽちっも思っていない。お前の人生だろ。お前のために仕事しろ。」

私はその言葉を聴いた瞬間、涙がとめどなく溢れた。

職場のみんなに気づかれていた。自分の考えていたことが、行動や言動に出ていたことに気づかなかった私自身が、恥ずかしくて恥ずかしくて仕方なかった。

東北のために、東北のために、と今までずっと考えていたことが一瞬にして変わった。

「私にできることは何もない」

そのことがわかった瞬間に、肩の力がすっと抜けて、なぜか楽になった。

そう。私にできることは何もない。

でも、それでもいい。私は東北が好きで、石巻が好きなことに変わりがないから。

好きだから、この土地で生きていきたいと思えたのだから。

そして、「誰か」じゃなくて、他でもない「私が」その想いを大切にして生きていくこと。

その「想い」がきっと石巻のこれからの未来を考えていくことにつながっている。

それが、「働く」ことなのだと、今は、思っている。

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この作文を書いてから7年後の2024年の今も、宮城県に住んでいるなんて、当時の私は、思ってもいないだろうな。

23歳の私へ。今は、自分のために仕事をしているよ。

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