共に学ぶは、どうすればできるのか?
合同会社&ante(アンドアンテ)は、2022年12月に設立しました。今年の12月で2年になります。
今年の3月に、経営メンバーで&anteのビジョン、ミッションを見直し、新たに「哲学」といった形で生まれ変わりました。
新しく生まれた&anteの哲学は「共に在り、共に学び、共につくり。」
前回は、この哲学の「共につくり」について紐解いていきました。
今回は、「共に学び」について紐解いていきます。
そもそも、「学ぶ」とは何か?
学びの場づくりをしている私にとって、そもそも「学ぶ」とはなんだろう?ということに意識を向けることを大切にしています。
「学び」は誰にとっても身近でありながらも、「そのもの」が何かに意識を向けることは多くありません。せっかくなので、このnoteを読んでくださっている方とも一緒に考えていけると嬉しいです。
&anteの哲学でもある「共に学び」を考えるにあたって、私たちは、まず「学ぶ」とは何か? についてアイディアを出し合いました。
学ぶとは……
・世界を広げること。
・居場所になること。
・支えること。
・助けること。
・過ちの連鎖を止めること。
・敵を作らないこと。
・参加すること。
・獲得すること。
・諦めないこと。
・可能性を開くこと。
・変わること。
・肯定すること。
&anteメンバーの大滝こと文ちゃんは「学び」についての研究をしています。
学びについての研究をまとめたnoteはこちら▼
以下、文ちゃんがまとめてくれたのですが、研究では、学びを3種類にまとめているそうです。
①学びは「獲得」だ。
1つ目の考え方は、学習を「獲得するもの」と捉えるものです。
例えば、人の頭は空っぽの容器のようなもので、教育や学習によって中に多くの知識が水のように入るものだと考えられています。
つまり、知識は個人の頭の中に蓄積されていくものです。この考え方では、体系立てられた概念や知識が重視されます。
学校教育を中心とした教育では今でもベーシックな考え方だと思います。
②学びは「参加」だ。
2つ目の考え方は、学習を「社会的実践への参加」と捉える考え方があります。そこでは共同体、コミュニティがとても重視されます。
知識は個人の頭の中ではなく、人々の活動の中に存在しており、体験を通じて習得されるものだと考えられています。
つまり、知ることよりも、コミュニティの中で経験することが大切にされます。一般化された知識よりも、積み重ねる実践知が大切にされます。
③学びは「知識の創造(構築)」だ。
3つ目の考え方が、「知識創造(構築)※3」のメタファーです。これは学びを「協働して共に対象物を発展させていくプロセス」だと捉えるものです。
学習の中心は個人や共同体だけでなく、作業している「対象物」そのものに置かれます。協働する上でコミュニティが必要になってくるので、2つ目の「参加」の捉え方とも関わってきます。
知識創造では様々な形の知識(概念知識、実践知、経験知)をうまく組み合わせながら、新しい知識やモノを協働で生み出していくことが重要になってきます。
課題を自ら設定し、仮説を立てて検証し、対象を発展させていくような創造的な活動が求められます。
それぞれの学びの捉え方は、「1つしかできない」ものではありません。
それぞれの違いを認識しながら、目指す場に合わせて効果的に学びのあり方を融合させることでより豊かな学びを実現できると考えています。
研究の文脈もありますが、もちろん上記の表現が唯一の「正解」ではなく、私たち一人ひとりが学びをどう捉えているかも大切です。
&anteでも、「学ぶ」についての色々なキーワードが出てきました。
共に学び。ができている状態とは?
続いて、「共に学び。」ができている状態とは? についてもメンバーみんなで考えました。
共に学ぶとは、「同じものをみている」こと。
まずできている状態を目指すために出てきたことが「同じものをみている」ということ。もちろん「全く同じ」ものを見ることは不可能に近いので、「同じものを見ようとすること」の方がより近いかもしれません。
こっちの方向に行きたいんだよね、と言った時にうんうん、この方向ってこういうこと?なんでこの方向に行きたいんだっけ?と同じものをみようとしている状態が生まれている時、「共に学び。」ができていると感じています。
共に学び。ができていない状態とは?
反対に「共に学び。」を邪魔するような状態はなんなのか、ということも話しました。
上で挙げたような「共に学ぶ」状態をつくる上で大切だよねと一致したことは、「フラット」な関係性。役割や上下関係を超えて、フラットな立場で一緒に「同じものを見る」ことで、「共に学び」ができるのではないかと思っています。
固定的な関係性は、「共に学び」を邪魔するかもしれない。
「上下関係」、特に一方的な「教える・教えられる」という固定的な関係性があったりすると、「共に学び」は難しいのではないだろうか、という話が出てきました。
場づくりをする上でも、運営と参加者という役割や立場を超えて共にありたいという想いを強く持ちながらつくっています。
ここで、「対話とネガティブ・ケイパビリティ探究ラボ」に参加してくださった方の「共に学び。」に関わるような感想の一部を共有させていただきます。
参加者、運営という役割を明確にして線を引くのではなく、その境界線を曖昧にして、一緒に考える、つくる、実験する。そんな状態をどうやったら作れるのか、ということを日々考えながら場づくりをさせてもらっています。
さいごに
このような感想を頂けることは、場づくり冥利につきます。
引き続き、企画者である私たち自身がワクワク楽しみながら、みなさんと共に学ぶ場を一緒に作っていけたら嬉しいです。
ちなみに、「学ぶ」ではなく、「学び」としているのは、学ぶことがゴールではなく、まだ続いている、循環している、ということを表現したい、という想いからあえて学び、で終わらせています。
共につくり、共に学びについてまとめてきましたが、次回は&anteの一番の核と言っても過言でない、「共にあり」の哲学について、まとめていきたいと思います。