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介護にまつわる諸々 Jan29.2025
今日は義母の通院に付き添う日。介護施設で生活する義母を、認知症の薬をもらうため月に一度病院に連れていく。
介護施設の職員が同行することも多いが、今回は人手が足りないようで、私たちだけで行くとこになった。施設からは、普段の様子を伝える医師宛の手紙が預けられる。
手紙には、短期記憶の衰えに伴う、不安感の増加について記載があり、何度も何度も帰りたいと訴える義母の対応に人を割かれ、施設としも困っているという旨の報告と、精神状態を落ち着かせる薬を処方してほしいとの要望が書いてあった。
この状況は以前から変わっていない。むしろ、最近はこの施設で暮らしているという事実を受け入れ始めた様子がみられ、少し安心していたくらいだった。
医師はその手紙を読み、これはどういう意図の手紙なのかと首をひねる。もう預かれないということなのか、でもそこまでは書いていないし、と。医師によると、施設側が訴える症状はすべて認知症の症状であり、精神状態の問題ではないので、施設側が求める薬を処方したところで特に改善はしないだろうとのことだった。
「もう預かれない」私たちが最も恐れている言葉だ。医師からは施設を変えてみてはどうかとも言われたが、半年かけてようやく施設の雰囲気に馴染み、家だと認識しはじめたのに、それをまたゼロに戻してしまうのは、義母にとっても私たちにとっても、負担が大きすぎる。それに、今の施設の在り方や職員の方々の対応には本当に満足しているし、信頼もしている。
一気に重々しい空気を放ちはじめた私たちに、医師は「もしも他へ移ってほしいと言われた時には、まず自分に相談しなさい」と声をかけてくれた。その言葉にどれほど救われたことか。そして、いつも義母の側に立って診察をしてくれる医師との信頼関係を築いてきた、亡き義父への感謝と尊敬の念に堪えない。
「介護」誰しもが通る可能性の高いことなのに、どうしてこんなに重苦しいものになってしまうのだろうか。施設に預けていてもこの有様だから、在宅で介護している方の苦労は図りしれない。
一番苦しいのは、介護を辛いことだと思ってしまう自分を責めずにはいられないことだろう。どんなに愛している大切な家族であっても、それでも、煩わしいと感じる瞬間は少なからずある。そして、そう感じてしまうこと自体に深く傷つく。それは介護する側だけでなく、される側にとっても苦しみとなり得る。
みんなそれぞれに折り合いを付けながら、介護に向き合っているのだと思うが、そもそもこんな気持ちにならずに済むような社会にはできなものか。まずは、介護職に就く方々が、安心して長く働ける環境を作ってゆくことは喫緊の課題だろう。どんなに高い地位であっても、どんなにお金があっても、歳をとれば望む望まずに関わりなく、食事や下のお世話を誰かに頼る必要が出てくる可能性が誰しもにあるのだから。
福祉の分野で働いているすべての方々へ心からの感謝を込めて。
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