パリ2024パラリンピック
9月5〜7日に行われたパリ2024パラリンピック柔道競技に出場しましたので、今回はその振り返りです。
まずは、応援いただいた皆さまありがとうございました!
ようやく3年間の苦しみから解放されたように思います。3年間の苦しみを噛みしめながら大会を振り返っていこうと思います。
長編になりそうなので、今回は小見出しをつけています。
出発
今回の出発は8月30日。前日に羽田空港に集合し前泊しての出発でした。
29日、羽田空港に到着すると、晩飯がてら買い物に出ました。というのも、扇子を買い替えるため。
この3年、ずっと東京2020の選手村で買った扇子を使っていたのですが、もう次の大会だというのにそのままこれを持っていくのは後ろ向きだろうという謎のモチベーションにより買い替えに踏み切りました。
三千円ほどで購入したのは、トンボの絵柄のセンス。トンボは前にしか飛ばないから勝負事に縁起が良いそうです。センス良いですね。
この日の時点で調子はまあ良し。やや疲労感こそありましたが、前の週末に行った最後のトレーニング測定では、バイクなどの種目で自己ベストを更新するなど体は仕上がっていました。乱取りも焦りからかやや量が過多でしたが動きは悪くない。体重も水抜き2回のうち一度74.0を見ていたので上々です。
パリ到着からの6日間はこの状態を維持しつつ疲労を抜く、ということがテーマになります。
飛行機は10時20分発のJAL便。
若干早起きでターミナルのカウンターへ。少しの待ち時間はありつつもスムーズなチェックイン。
今回はJAL便のため、青組の私は航空会社ラウンジを使用できず。機内用に適当に水とおにぎりを購入して搭乗口で時間を潰しました。
飛行時間は14時間ほど。3列席の通路側だったので比較的快適。
隣の中央席には同年代くらいの青年男子。その奥の窓側席には少し年上かなというくらいのヘッドホンがよく似合う黒人系の兄ちゃん。
私が映画を見ようと機内用のヘッドホンの端子挿し口を探してあたふたしていると、この兄ちゃんが長い腕を伸ばして一席越しにここだと教えてくれました。優しい。
ちなみに、機内で観たのは「サマーウォーズ」と「時をかける少女」。どちらも何度見ても名作です。
ちなみにこの兄ちゃん、14時間を超えるフライトで一度もトイレに立ちませんでした。すごい。
今回は北極回りでの航路。窓の外はずっと昼。途中グリーンランド上空のあたりで機長から氷河が見えるとのアナウンスが入りました。
私は通路側だしどうせ肉眼では見えないので、スタッフの先生方が撮ってくれた写真で鑑賞しました。
ウズウズしてたのは隣の青年。その隣の兄ちゃんが爆睡状態に入っていたため、窓を覗くことができず。なんとなくそれを察したので、写真で見た感想を伝えつつ、他の場所に見に行かれますか?と声をかけて通路に出てもらいました。数分後、やや興奮した様子で帰って来たので、こちらもほっこり。
氷河なんてなかなか見る機会ありませんからね。
きっと実現はしないでしょうが、いつかアイスランドにでも行ってみたいと思ってます。
航行はスムーズ。おおよそ予定通りシャルル・ド・ゴール空港に到着。
入国審査、荷物のピックアップに合わせて、ここでアクレディテーションを有効化。
前回、東京のアクレディテーションカードは中にICチップが入った硬い材質のものでしたが、今回はペラペラの紙のカードをその場でラミネートしてました。識別にはQRコードを用いるようで、以降選手村の入口などでは専用のスマートフォンを持った係員がQRコードを読み込んでチェックをしていました。
東京大会ではアクレのタッチでICを読み込んでいましたし、昨年の杭州アジアパラでは、ゲートを通るだけで自動で認証されていましたから、テクノロジー的には古いものが使われているようですが、大掛かりな設備が必要ない分こちらの方が準備やメンテナンスが簡単なのかもしれません。
小雨が降る中、空港からはバスで移動。こちらも大会エンブレムが描かれた専用のバス。
パリの気候は日本よりもかなり涼しく、雨が降ると半袖では少し寒いくらい。この日は上着を着るかどうか悩むくらいの気温でした。
入村
20時ごろ、選手村に入村。
20時といっても、パリの夏はかなり日が長いので全然明るい。何度か経験のある状況とはいえ、やはり時間の感覚が狂います。
バスを降りた場所すぐから日本選手団の居住棟であるA21,22までは徒歩で5分ほど。ちょっと遠い。居住棟から食堂へ向かおうと思うと、この選手村入口の横を通ってもう3分ほど歩くので10分弱かかります。
村内の移動は徒歩か自転車もしくは巡回バス。
我々はもちろん自転車には乗れませんから、可能な限り巡回バスを探します。しかし、こういったものはなかなか都合良くは通りかからないのが常で、大半の場合歩きました。
私たちが割り当てられた部屋はツイン2部屋とリビングルーム、バスルームがセットになった部屋。男子の選手2名、スタッフ2名で4人部屋です。
部屋内では加藤さんと同室。
選手村の部屋というのは本当に最低限のものしかありません。ベッド、布団、ハンガー、タオル、延長コード、バスルームにはトイレットペーパー、そのくらいです。ケトルやドライヤーなどの電化製品からティッシュ、シャンプー、洗面用具などの生活用品までおおよそのものは自前で持って行きます。
部屋もあまり広くないので、スペースのやりくりには一苦労。キャリーケースを広げたまま放置する場所もなければ、盗難の危険があるため安全上もそうはできません。
一番大事な大会が一番コンディショニングが難しいという、なかなかの難条件。しかしこればかりは変えようがないので仕方ありません…
到着してひと段落したら、とりあえず食堂に繰り出します。
試合まではあまり色々なものを食べられないので、アジア食のブースへ。
命の源・米をチェック!
タイ米のような粘り気のない米ともち米が用意されていました。とりあえず、この日はその二つを食べ比べ、もち米が良さそうという結論。以後、選手村の食堂ではもち米をメインに食べました。
選手村に入って最初に困ったことといえば、部屋の鍵がなかなか開かないこと。
この件はTwitterにも投稿しましたが、数日はかなり苦しめられました。
ちょっとした小ネタのつもりで投稿しましたが、意外にも伸びてしまい、西日本スポーツweb版で記事にされてしまいました。
到着の翌日には修理してもらい一時は簡単に開くようになりましたが、その日の夜にはまた壊れてしまい、22時ごろまで部屋に入れないなどといったトラブルにも見舞われました。
二度の修理を経て最終的には正常な鍵になったので、滞在3日目以降は概ね問題なく部屋に入れました。
到着の翌朝、あまりうまく寝付けず浅い睡眠ののち6時ごろに物音で目が覚めました。
加藤さんが起きたのかなと思いつつ、次第に意識がはっきりしてくるももう少し布団の中でダラダラしたいなと寝返りを打っていると扉が開いて畑山先生。「ドーピング」というワードが聞こえてきました。うげぇ…
こんな早朝から検査だそうで、私、順子さん、半谷さん、小川さんの4人。おそらくは居場所情報の提出が求められているメンバーでしょう。先に食堂に向かっていた小川さんの回収手順を検討しながら6時30分ごろ居住棟を出発。女子選手と別れて、畑山先生と担当のシャペロン、私で巡回バスを捕まえて選手村の果て(反対側の端)まで移動。プレハブの建物が選手村でのドーピング検査室のようです。
建物の中に入ると扉がずらり。10室くらいあったのではないかと思います。全て検査室。書類を書いたりする部屋と各部屋の奥に続く形でトイレ。
検体採取自体は概ね滞りなく。
しかし全てを終えて部屋に戻ったのは7時半を過ぎたころでした。
結局この日は調整練習を午後からに変更。到着早々、足が重くなる出来事でした。
調整練習
今回の試合前の調整練習は日本チームのサポート拠点で行いました。選手村から程近い場所に設置されており、トレーニング施設やケア設備が用意されており、練習には十分な広さの畳も敷いてあります。
また、洗濯や食事をとることも可能で、特に柔道チームはここで調整練習ができることもあり、寝る以外のほとんど全てがここで完結します。
基本的に試合前のスケジュールは村で朝食、9時ごろから拠点へ移動して、10時から調整練習、拠点で昼食をとったら以後自由。拠点内で交代浴をしたり、セルフケアまたは、マッサージベッドを使ってトレーナーのスタッフにケアしてもらう、あるいはウエイトトレーニングや有酸素トレーニングを行うなどして過ごします。
食事の予約に空きがあれば、夕食もここで食べることができます。
結局私もオフの日以外は概ねこのスケジュールでしたし、村に戻る用事がない日はここで夕食も食べました。
やはり日本食が食べられるのは非常にありがたいことで、食べなれたものである方がコンディショニングにも良いだけでなく、体重調整も読みやすいという側面はあると思います。
ちなみに体重の変遷はというと、パリ到着後なかなか減らず、2日の時点で77kgも見えてしまい、ちょっと危うい気配もありましたが、3日の柔道オフの日に食事のコントロールをした結果、食後75kg台というところまで落とすことができました。
こうなれば余裕。4日は計量前日にもかかわらず昼食に白米500gを放り込むなど、ガチ減量勢に殴られても仕方ない所業を成しました。
コンディションの方もなかなか苦戦しました。
到着翌日の31日に軽めの柔道とウエイト、1日、2日は柔道、3日は柔道オフでウエイト、4日、5日は柔道、という行程で調整を行いました。
ウエイトの時に普段と同じように幅跳びの測定を行ったところ、31日にはかなりの高記録、3日には自己ベストを更新と体自体は仕上がっているようでしたが、なかなか足の疲労が抜けませんでした。
毎日、入念にマッサージや鍼治療などを受けていましたし、交代浴や下肢の空気圧マッサージなども行っていましたがなかなか改善せず。
アンタルヤの時のような絶不調ではないものの、トビリシの絶好調をまだ記憶している状態だったために非常に強い不安感がありました。
最終的には4日、5日でいくらか回復したので、試合当日は足が動かないというほどはありませんでしたが、やはり万全とは言い難く、試合直前のスピード打ち込みも回数をセーブせざるを得ませんでした。
足がにわかに回復の兆しを見せた4日でしたが、その一方で二点に不調が現れます。
まずは手首。
手首は元々弱く高校時代から3ヶ月に一度くらいの頻度で一週間程度痛みを発していたのですが、視覚障害者柔道を始めてからは特に右の前腕の筋肉が張るようになり右手首が悪化、22年のカザフで肘の筋損傷を負ってからはずっと筋肉の張りと手首の痛みと付き合ってきました。
要因としては背負投の入り方が非常に窮屈なことによる部分が大きいかと思います。
しかし、出発数日前から傷んでいたのは左手首。手首を反る方向に曲げると痛みが出ていました。左手首の痛みが出るのは数年ぶり。
こちらもラジオ波などを用いて治療を受けてやや快方に向かっていましたが、まさに4日のあたりから本命の右手首が痛み出しました。
治療を受けて若干痛みは引いたものの、慢性的なものなだけあって手首がうまくはまってない感じは拭いきれず。とは言え、手首の力強さが命の私の背負にとってここをテーピング等で固定するのは翼をもぐも同然。
結果的には左手首のみテーピングをして右はいつものことと割り切ることにしました。
そしてもう一つの不調、
背負投の力の向きがしっくりこない。
これは言葉ではなかなか言い表すことができないのでここに書くことは難しいのですが、とにかく「なんかしっくりこない」感覚が試合2日前にして強く出始めます。
足が不十分であるために入った後に追いかけることができないこともそうですが、そもそも入った後、投げる瞬間の力の向き、相手を投げる向きがズレているような、体が流れる、伸びる、スパッといかない、そんな違和感を強く覚えました。
そんなこと今ごろ気にするんじゃねぇとか、多少ズレててもどうせ背負はかかるんだからもういいだろとか、そんなことをコーチ陣に言われましたが、半分以上は方便でしょうし、納得いかないままで試合には行けない。
疲労と手首の心配をされながらも少しずつ試行錯誤で調整。なんとなくで感触を覚えて4日は締め、5日もさらに微調整。足が少し回復したこともあって、最終的には7割くらいの納得感で無理矢理投げ込み。
しっくり率6割くらいで投げ込みできたので、まぁ及第点。
投げ込みというものは、本当に納得いく形で投げれることは普段の稽古で半分くらいなものです。違和感があるという前提があるからこそ残りの半分が気になるだけで、実際はそんなもの、ということを自分に言い聞かせるように、最後の一発がしっくりくる形で終われたからヨシ、ということで調整を終えました。
試合準備
今回は柔道着コントロールが3日、ドローが4日、試合が5日からという競技スケジュール。私の試合は2日目なので、6日。計量は5日になります。
3日、柔道着コントロールは選手村内のスポーツインフォメーションセンターで行われました。
この日は柔道オフの日だったので、朝の起きる時間は遅めにして昼から拠点でウエイトと考えてましたが、昼過ぎには選手村に戻らなければならないということで結局ゆっくりは眠れず。慌ただしい一日となりました。
各国ごとに時間分けされていたため流れは概ねスムーズ。知っている選手を見つけては挨拶したりされたり、雰囲気自体もかなり和やかなものでした。
コントロールそのものも特に問題なし。この大会用に柔道着は新たなものを採寸して作成したので、いつものような袖の太さのギリギリ感はありません。
全ての選手、バックナンバーも既に縫い付けられており、いよいよ本番という緊張感も私個人としては感じられました。
ちなみに今回のゼッケン広告は、私のものにはAllianzという企業が着いていますが、複数のパターンがあるらしく、私とは異なる企業名が入っている選手を多く見かけました。振分はランダムのようですが、トヨタループス所属の半谷選手の背中には「TOYOTA」の文字が入っていました。果たして偶然なのか…?
今回は第一シードであるため順当に勝ち上がれば白道着しか使いません。だから白道着しか持って行かない、などと強気な心持ちで行きたかったのですが、さすがにそんなリスキーなことをする度胸はなく。このコントロールも試合当日も白青両方の道着を持参しました。
4日、ドロー。こちらは14時からいつも通りオンラインで配信されました。しかし私は14時から交代浴の予約を入れていたためリアタイできず。
今回のエントリーの中で特に厄介なのはジョージアのカルダニ、ウズベキスタンのクランバエフ。やや苦手なのはスペインのイバニェスと韓国のキム。加えて対戦経験が乏しく未知数なのが台湾のチャンとトルコのチフチ。対戦経験がなくかなりの強敵と予想されたウクライナのマホメドフも出場予定でしたが、何らかの複雑な事由によって欠場した模様です。なんとなくの噂は聞いていますがここで書くと長くなるので割愛します。
シード順から言って隣のブロックにリトアニアのバレイキス、反対側にフランスのペティットと、ジョージアのカルダニというところまでは確定。一番の懸念事項はシード外のクランバエフがこちら側か反対側かということ。金メダルのためには全員に勝たなければならないのは当然ですが、しんどい試合はひとつでも少ない方が良いので、苦手な選手同士が潰し合ってくれるのが最も望ましい。
準決勝はクランバエフでなければほぼ確定でバレイキスでしょう。バレイキスとは対戦は一度しかありませんがおそらくは好相性。であれば気になるのは初戦。マホメドフの欠場により11人となったため、私の対戦相手も対私が初戦。私の下に2人いてひとつ試合をしてくれると体力が削られた状態になるというメリットこそありますが、比較的強い選手が上がってくること、相手が初戦を終えて緊張が解けてしまうことなど、強豪ぞろいのパラリンピック本番ではデメリットの方が多いので、ここは幸運。
気が気でない交代浴を終えて畳の方へ戻ると、いつも以上に柔和な空気を纏った畑山先生が「良かったな」などと言ってきます。その言葉を手で制して、「まだ見てないんで、自分で見るのでネタバレはなしでお願いします」などとなんの意味もない後回しをしてドローの結果を閲覧。
日頃の行いの良さというのはこういうところで報われるものです。
まず一番の懸念事項たるクランバエフは反対側。やや苦手なイバニェスとキムはバレイキスの下。そして私の初戦はチャン。
考えうる中では上の中くらいの幸運です。
決勝はどうやってもペティット、クランバエフ、カルダニのいずれか。誰がきても強敵なのは仕方ない。決勝とはそういうもの。対策が必要なのは初戦です。チャンとは1年半前に一度対戦したのみ。その際もチャンのヘッドダイブにより早々に決着してしまったため組んだ感覚を掴みきれないまま終わってしまっています。試合まで残り一日半、ちゃんの映像を再度見返すところから始めることになりました。
5日朝、計量当日。早朝には初日の半谷さんが大きな荷物を背負って試合場へ向かって行きました。
体重は朝起きた時点で+2kgを切っており余裕が見えていました。炭水化物を中心に標準よりもやや少なめな朝食。最後の調整練習をしようと拠点へ向かっている最中、スマホの通知が鳴りました。見てみるとInstagramのメッセージ、キムからでした。
おい、だめだろ
何言ってんだこいつは
驚きと面白さでやや張ってきていた緊張が一気に緩みました。韓国チームは大丈夫なんだろうかという心配、わかんないとしても対戦するかもしれない相手に聞くか?という疑問、まぁキムってそういう奴だなという諦め、試合前だとしても友人は友人だなという暖かさ、いろいろな感情を抱えながら考えます。
ウソの時間を教えてやろうか…
もちろんそんなことをする罪悪感耐性は私にはありませんが、組合せを思い出しながらムダに考えます。キムの初戦の相手はイバニェス、その勝者がバレイキスと戦い、その勝者が私の準決勝の相手。私としてはバレイキスが勝ち上がってくれた方が相性が良いのでありがたい。キムとイバニェスではイバニェスが優勢だろう。イバニェスとバレイキスはおそらくバレイキスだろうがここは確実性を高めるためにキムにイバニェスを削ってもらった方が得だろう…
本当に要らぬ思考ですし、実際試合の後から振り返ってみると優勢予想も外れていたわけですから、ただただ意地悪な自分を打ち消すことで満足感を得たかっただけの自己満足思考。試合前日にこんなことをやってるのは余裕だからなのか、逆に余裕がないからなのか…
とりあえずキムには正しい時間と場所を伝えました。お礼と併せて「See you soon^^」と返信がありました。
調整練習を終えて軽めの昼食。+2kgくらいだったのでちょうど良い感じ。
選手村に戻って少し休んでから水抜き。半谷さんの試合をライブ配信で見ながら汗を出します。残念ながら半谷さんは負けてしまいましたが、日本女子初の銀メダル。
やや緩く水を抜いたので風呂を出るタイミングで73.2kg。出てからも汗は出るのでこんなところで十分でしょう。
仮計量の時間は17時から50分、本計量が18時から。17時半を回ったところでスポーツインフォメーションセンターへ移動。
男子の計量会場はまだかなり空いていました。
部屋の奥に机、その手前に体重計。
床の一部、4〜50センチ四方のタイル一枚分が剥がされ、そこにできた穴に床面と天板が同じ高さになるように体重計が埋もれて置かれていました。体重計の四方は床との間に隙間があり、足が横向きにちょうど落ちそうなくらいの溝ができていました。かなり深い。気をつけなければ、こんなところで怪我をしては目も当てられません。全盲の選手もいるというのにやや問題のある設備ではないでしょうか?
とりあえず仮計量。72.8kg、余裕。
少し水を飲んでまた乗る。72.9kg。まだいける。
挙げ句の果てには、体重計に乗った状態で水を飲み、ペットボトルを脇にいた畑山先生に渡し体重を確認してまた飲むを繰り返し、73.0kgを作り上げました。
たかが数百グラムと言えど、それだけの水分が不足した体と満たされた体の差、数百ミリの水を吸収するのにかかる時間などを考えれば、計量はギリギリで、リカバリーは早く、勝つためには当然のことです。
仮計量を済ませて近くの椅子に腰掛けようとすると、ひとり先客がいました。4つ並んだ椅子の向かって右の端に座り、ぐったりとしています。一通りの挨拶をして、間を一つ開けて座ります。
座って間もなく再び声をかけられたので左を見やると、うめくように「I’m hungry~」と言っている奴がいます。ニッコリ笑って「me too」と返しましたが、別に私はそこまでお腹空いてません。ごめんな、キム。
時間が経つにつれ、人が増えてきました。ペティットがやってきて、体重計に乗り、座っている私達に声をかけた後、私の右に座りました。緊張してるのかお腹が空いているのか、なんか少しイラついているように見えました。カルダニもやってきました。そこのにいるメンバーに軽くあいさつ。ヒゲに似合わず相変わらず優しい雰囲気を纏っています。キムと私の間に座ると、キムがまた「I’m hungry」と絡み始めます。
クランバエフやイバニェスもやってきました。それぞれ和やかに握手。
3年間戦ってきただけあって、友好は深まっています。
いざ本計量。72.9kg。
まぁ良いでしょう。
さぁ、リカバリー、リカバリー。
水を入れる。塩を入れる。アミノ酸を入れる。ゼリーを入れる。体が潤っていくのを感じます。
これで2kgくらいは戻ったでしょうか。
少し休んでから、食堂へ。
久々に満腹食べることができます。
とにかく炭水化物、とにかく米。
もち米をたくさん盛ってもらいます。
大きな皿を渡して「スティッキーライスプリーズ」「ノー、モア」「モアモアプリーズ」「モア、モアワン」「オーケー、サンキューベリーマッチ」
食堂のスタッフの方はたぶん困惑していました。
鈴木トレーナーの目測1kg以上の米が私の皿には盛られていました。
おいしかったです。大満足。
食事と寄り道のコスタコーヒー(私は何も飲みませんでしたが)から戻ると20時ごろ。シャワーを浴びてマッサージと治療を受け、明日の荷物を作って就寝。
相変わらず寝つくのは加藤さんの方が早く、寝息が聞こえたかと思えば早々にいびきに変わります。
たまに無音になるのは無呼吸ですか?目が覚めただけですか?怖いのでやめてください…
試合当日
試合当日は朝からトラブルに見舞われました。
5時に起床。支度を済ませて朝食を食べに食堂へ。少し肌寒いくらいの気温。目が覚めます。
食堂へ着くといつものアジアのブースへ。しかしアジアが閉まっています!早朝はアジア食は作っていないそうです。アジアのオープンは6時。知りませんでした…
困った、米がない!朝は米を食べなければ始まりません。力が出ない!
仕方ないので部屋にアルファ米を取りに帰ることにしました。一緒に来ていた鈴木先生と加藤さんにその旨を伝え、片道10分弱かかる道を引き返します。
この時間は巡回バスの数も少なくちょうどよく通りかかることはありませんでした。やや早足気味で歩いて日本チーム居住棟の下まで来たころで鈴木先生から電話。アジアブースを開けるそうだとの連絡。ここまで戻ってきてそれかと思いつつ、ならばヨシと部屋に戻ることなく再びUターン。
今度は途中で巡回バスを拾うことができたので、少し早く食堂へ再到着。
奥まで進むと確かにアジアのブースは開いています。いざ米、と思いきや米はまだだと言われました。
時刻は5時40分、絶望…
今から再び戻って湯を沸かし、米を作ってまた戻ってくるには時間がありません。
仕方がないのでサラダをかじりながら米が炊き上がるのを待つことにしました。
もう10分ほどでようやく米が出てきました。
まだほとんど人気のない食堂、競争相手もいないのに一目散に駆けつけます。
昨晩の半分くらいの米を皿に盛ってもらい、さぁ何をおかずにして食べてやろうか…
コメの少し右に目玉焼きがあったはずと思い出し右に数メートル。ない。早朝なのでまだ作っていないのでしょう。
米の少し左にベーコンがあったはずだと数メートル左に歩を進めると、ありました。茶色いものがいっぱい重なっています。これをいくらかくださいと指差して皿を渡します。ベーコンというにはなにか汁気があるような音がして皿に盛られて帰ってきました。
ウキウキな足取りで席に戻り何の疑いもなく米とベーコンを口に運びます。
瞬間、表現するのが拒まれるような、腹から上がってくる感じ。必死に堪え、口の中のものをその場にあったオレンジジュースで流し込みます。
ベーコンだと思ってもらってきたものは実はベーコンではなかったようです。
マッシュルームの煮物(?)のようなもの。よりによって大嫌いなキノコ。ただキノコだけなら食べられないことはありませんが、これは正直料理としてちょっとどうなの、という味をしていました。
なんか一気に食欲が失せてしまいました。しかし今日は試合。食べないわけにはいきません。
米をお供なしに少しずつ腹に詰め込み、なんとか食べ終わりました。
残ったキノコはごめんなさい。
やや暗い気持ちで部屋に帰り支度を進めます。持ち物を一通り確認して準備完了。バス乗り場に向かいました。
試合会場までは車で50分ほど…のようでした、本来ならば。
バスが出発して10分ほどしたころに尿意を催し、後どれくらいかかるのだろうとずっと地図と睨めっこしていたために気づいたのですが、出発から40分過ぎに試合会場のすぐ近くまで到着しましたが、そこでしばらく停滞したのちに会場とは逆向きに進み始め、10分ほどして先ほど通ったのと同じ道に入って行きました。どうやら道を間違えたようです。会場周辺は一方通行の道が多く、また道も細かったのでバスがそのまま引き返せなかったのでしょう。
尿意に耐える私にとってはとても苦しい時間でした。
会場に到着してアップ会場で荷物を下ろすとまずはトイレの確認。
次に動線の確認。アップ会場から試合場までがどのルートでどれくらいの道のりかを確認します。前日の半谷さんからいくらか話を聞いていましたが、そこそこの距離。
会場が仮設なので、観客席も下からは骨組みが露わになっています。その間に通路が通されており、そこを進みます。控え通路を過ぎて会場へ。思っていたよりも広い。
畳の感触、特に滑り具合を確認するために畳に上がります。
そこで写真をパチリ。
撮った写真をチェック。自分がどんな表情をしているのかよく確認します。
うん、大丈夫。安心しました。この表情、目は、大丈夫な時のものです。
ダメな時というのは、表情をよく見れば自分でもわかります。どこがどうというのは難しいのですが、やはり勝った試合と負けた試合では試合前の写真に写る表情がまるで違うように感じられます。
今回は大丈夫。
畳の上をうろついているとチャンに遭遇しました。
拙い日本語で話しかけてきてくれました。曰く、友達になってください、とのことでした。
言われるまでもなく、というか一度試合したし、Instagramと相互フォローだし、既に勝手に友達のつもりでいました。もちろんと答えると、写真を撮ろう、と。
困惑。いくら友達と言えども初戦の相手とは試合前に写真撮らないんじゃないかな…?
お互いがんばろうと握手を交わし、再び動線を確認しながらアップ会場へ戻ります。
そのころにスマホの通知が一件。Instagram。チャンがストーリーズで私をメンションしたそうです。さすがに苦笑い。
何が書かれているかは昼休みになって確認しましたが、「みなさん、今日はがんばりましょう」と日本語で書いてありました。
試合前にしてはちょっと緩い雰囲気ですが、普通に良いやつなんだなと思います。
この時点で時刻は8時30分。10時試合開始で私の初戦は第1試合場の7試合目。
最近はシード権のおかげで初戦までかなり時間がかかることが多かったのですが、今回は参加者数が絞られるため、試合の巡りはかなり早くなります。初戦を10時半ごろと予想すると、いつもより時間がありません。早めにアップに取りかかります。
当然のことですがアップ会場では、たくさんの知り合いの選手に遭遇します。
今回は各国ごとに治療部屋が用意されており、各国その前に敷かれた畳に荷物を置いて陣取っていましたが、日本の隣はリトアニア。バレイキスがいました。着替えの合間、お互いを認識できたので特に言葉もなく無言で握手。
準備運動をしているとジョグで体を温めるJ2,57kgカザフのファドソバを見つけたので握手。試合が始まるころにはJ2,60kgウズベキスタンのナモゾフ、こちらは前日に金メダルを獲得していたので「おめでとう」と言って握手。
写真を撮るまではなかなかしませんが、私もけっこう緩いのかもしれません。でも、試合前でも挨拶はするべきだと思いますし、こうして普段通り振る舞う方が緊張が解れます。
予選ラウンド
10時、試合が始まりました。
まずは一回戦。
イバニェス対キムの試合。
右相四つ。積極的に攻めるイバニェスですが、得意とする捨て身系の技は重心が低いキムには全く通じていないように見えました。キム得意の長期戦。イバニェスが削られていきます。4分を終えてイバニェスに指導2枚でゴールデンに突入。
そこから待てをいくつか挟んでおよそ30秒、イバニェスが体制が悪い状態で横向き遠くに足を出しての体落、これをキムがイバニェスの背中側への隅落で返して技あり。
私の予想に反してキムが勝ち上がりました。
次戦はクランバエフ対コルンハス。
意気揚々と楽しそうな表情で登場したニコライさんはパラの舞台を全身で感じているようでした。対するクランバエフは厳しい表情。なんとなく顔が藤本さんに似てきているような気がします。
登場シーン以降は私はアップに戻ったので試合内容は見ていません。情報を得たところでは予想通りクランバエフの勝ち。
続くチフチ対バルコスキはいずれも私は対戦経験がない選手です。チフチは東京パラ60kg級の銅メダリストで、かなり身長が低いですが、筋肉塊といった感じでパワーが持ち味の選手。バルコスキはルーマニアの選手で比較的長身。
技あり二つでバルコスキの一本勝だったようです。
ここまで思いのほか試合の進行に時間がかかっているようでしたが、このあたりで呼出がかかったので、スピード打ち込みをしてブドウ糖を入れる、最近の試合前のルーティンを行ってからアップ会場を出発、経路に沿って控えの通路へ。
いつもの試合では聞いたことのないような歓声が聞こえてきます。緊張が高まってきて、不安感もここにきてさらに強まります。
大きく深呼吸。モニターに映る小川さんの試合を眺めながらサンダルと上着を預け、最後のストレッチ。
前の試合が予想以上に早く終わりました。
スタッフの指示に従い会場へ。下に引かれたラインで立ち止まります。カメラで撮られているのがなんとなくわかりましたが、どこを向けば良いのかわからず畳の方を向いていました。
畳に上がっても緊張しているのを感じました。畳が広い。試合場の広さはいつもと同じはずなのに、とても広く感じます。おそらくこれは緊張によるもの。自覚できるだけまだ軽症です。
呼吸を整えて、道着も整えます。相手が畳に上がってくるのを待って、一緒に礼をして試合場の中へ。
初戦の相手は台湾のチャン。先述のようにこれまでの対戦成績は1勝0敗ですが、これは相手の反則によるものです。元々66kgの選手で、スピードとスタミナ、素早い技の連絡が持ち味の選手ですが、73kgではあまり勝てていない印象。今回もバイパルタイト枠での選出です。
右の相四つ。はじめと同時に引き合った瞬間、予想外にパワーの差を感じました。その瞬間いけるという確信。
足を出しながら機会を伺います。一度相手の大内刈りにやや入り込まれましたが凌ぎました。そのまま背負のフェイント。相手が釣手を片襟に持ち替えてきましたが固定が緩いように感じたので、その手を引き落とすように背負投。入りがかなり浅かったので立ち上がってさらに横回転。
一本の感覚でしたが、歓声によって審判の声がほとんど聞こえず、判定がわからないのでそのまま無理筋の寝技へ。
すぐに審判が寄ってきてそれまでの声掛けをしてくれたので、寝技の下手さを露呈せずに済みました。
試合は終わったのにやや浮き足立つ感覚。
礼をして握手。日本語で「ありがとう」と言ってくれました。
場内のミックスゾーンはスルー。帰りの通路にも長ーーいミックスゾーンが設定されていますが、ここもスルー。というか、いずれも次も試合があることを察してくれてるのか今は大丈夫ですとのことだったので、特に気兼ねすることなくせかせかとアップ会場に戻ります。
水を補給しながらそのままバレイキスとキムの試合を観戦。
かなり長引いています。お互いに効果的な技が出ず、両方が消耗していく。
4分を終えた時点で両者ポイントなし、バレイキスに指導1枚。
どちらも技を出しますが、潰れる、潰される場面が多くまでの回数が増えるため、時計以上に時間がかかっているようです。
最終的にはゴールデンスコア2分過ぎ、キムの体勢が崩れたところを逃さずバレイキスの隅落。
勝ったバレイキスですが、かなり削られたようです。アップ会場に戻ってきた時にはかなり消耗した様子でした。
キムに正しい計量時間を伝えたことが想定以上の効果を発揮しました。
続く試合はペティット対クランバエフ。好カードです。
私としては相性的にペティットに勝ってほしいところでしたが、クランバエフの勝ち。
実力なのか相性なのか、大勢の偏った試合展開でした。開始30秒ほどで内股透で技ありを奪ったクランバエフは寝技でうまく時間を使いながら場を繋ぎ、最終的には小内刈で合技一本。
この時点で決勝に上がってくるだろうメンツのうち、最も得意とするペティットが消えました。
次の試合はカルダニ対バルコスキ。
こちらはゆったりとした試合展開。
事前予想として実力差があるように見える両者ですが、カルダニはこの日初戦であるためか積極的には攻めず、相手の様子を観察しながら適度に軽く技を撃つ程度で2分が経過しました。
最後も派手さはなく、カルダニが小外刈でうまく足を掛け体で押し込みました。
ここで準々決勝までが終了。
私、バレイキス、クランバエフ、カルダニの4人が残りました。
事前予想の範疇と言える順当な勝ち上がりです。
私の準々決勝と準決勝の間はおよそ1時間。想定していたよりも時間がありました。
呼出に応じて控え通路へ。初戦を終えたにも関わらず、まだ緊張と不安が抜けません。
足が少し浮く感覚。試合に対する若干の恐怖。
バレイキスとは相性が良いし、投げられるイメージもない、そう強く念じて試合を待ちました。
ニコライさんとペティットの敗者復活戦が終わっていよいよ準決勝。
さっきと同じように畳に上がります。やはり試合場が広い。そして少しまぶしい。
準決勝の相手はリトアニアのバレイキス。これまでの対戦成績は1勝0敗。前回の対戦は2月のハイデルベルク。1分かからず背負投で一本勝しています。
得意技としては右組からの左の一本背負、巴投などの捨身技ですが、さほど技として強力には思えません。この選手の強みは相手をきっちり研究して相手の柔道をさせないところにあります。その強みを発揮して対クランバエフ、対カルダニの勝率がかなり高いのがこれまでの観察でわかっています。
案の定、私も研究・対策されていました。
組手は右の相四つ。しかし開始直後から私の引手の向きの動きについてきます。本来ならばそれは背負のカモとなるような動きですが、彼の場合、私より前に出るのです。横に動く背負投は相手を自分の引手側に動かしながら、相手の進行方向を塞ぐようにして体を入れて担ぎます。しかし相手が自分より前で動いている場合、進行方向を塞ぐような形で体を出すことは非常に困難になります。これは釣手側に動かれるよりも厄介。
さらに、私の釣手を肘よりやや高い位置を引手で握って外側に向かって絞ってきます。これをされると背負投に入るために必要な肘を入れる動作ができなくなるだけでなく、そこを支えにしてバレイキスが私の動きに遅れることを防いでいます。
その状態でたまに彼の引き手側に回り込んで足を出す。私の引手側に動けば左の背負投。さらにどの展開でも巴投は飛んできます。
いずれも投げられるということはありませんが、きっちり技を仕掛けてくるのであちらに指導がいくことは期待できなさそうです。
私の攻めのタイミングとしては、釣手が自由になった時がポイントになります。しかし開始からずっと釣手を殺されています。たまにバレイキスが引手を離して背中を持ちにくるタイミングがあります。ここを狙って背負投を仕掛けますがつくりが甘く不発。
こちらがきっちり形を整えようとすると巴投を先に仕掛けられます。これを防ぐことは比較的容易でしたが、その場で待てがかかるのでこちらが技を出せず消極的と見られるリスクが積み重なっていきます。
1分経ったころにもうバレイキスに疲れが見えてきました。やはり初戦のキムとの長期戦が尾を引いているようです。しかし攻め手が限られている私にとって長い試合は指導のリスクが常について回るために望ましくはありません。またコンディションが万全でないために体力的なアドバンテージさえ長く保てるかも怪しいところ。
焦る気持ちが少しずつ強くなってきますが、冷静に、冷静に。
チャンスは来るはず。
来ました。またもバレイキスの引手が背中に。釣手は自由になるも背中を取られること自体は良い状況ではないので、背負のフェイントから戻る方向に腰を強く切って緩めようと試みます。それ自体はうまくいきませんでしたが、体が開いたからかバレイキスが内股を仕掛けてきました。
しかし右組での左の内股。引手、つまりはバレイキスの本来釣手である右手は全く効いていませんし、動きながらなので軸足が安定していない。こちらも前に出つつ引手を抑え、足を外すとそのまま隅落の要領で投げることができました。記録では内股返となっていました、私の練習してないのに得意な技・内股透。3年前に続いてパラリンピックの大舞台で炸裂です。
投げたはずですが、審判の声は歓声で聞こえません。寝技に行きますが場外で待て。
開始線に戻る際も、コーチボックスの遠藤先生の声は聞こえず。
一本でもおかしくないよなぁとキョロキョロしていましたが、審判の「組み方」の声。そもそも場外でポイント自体ないという可能性もあるな、などと考えるとまた焦り出します。
開始と同時に背負投を仕掛けますが不発。巴投を受け待て。はじめからすぐに再び巴投、待て。
はじめ。同じように横に移動。場外近くで硬直したタイミングでバレイキスが引手を脇の辺りに上げてきました。おかげで肘はやや自由に。早速背負投を仕掛けます。しかし距離も詰まっていたために上半身が回りきれず。前に押されるような形で耐えられたので戻りながら左後ろへ後退。相手もそのまま追ってきましたが互いに上体が起きました。
そこで再び背負投。体の位置はまったく外れていましたが、上半身はしっかり回転できており、追ってきた勢いと腕のキメで投げ切りました。
ここも審判の声がよく聞こえないので寝技に。「それまで」の声が聞こえてから立ち上がります。
礼をして握手、速やかに撤収。
会場外のミックスゾーンで手短に取材を受けます。「次勝たなきゃ意味ない」そのとき思うことをそのまま話しました。
ミックスゾーンにあるモニターに順子さんの準々決勝の様子が映っていたのでその場で観戦しました。普段の国際大会だと出場人数などの関係で、他の日本人選手がもう2試合も終えてるのに自分だけまだ初戦さえも回ってこない、なんてことがよくありましたが今回は逆のようです。いつも自分が味わっているもどかしい気持ちをやっと誰かと共有できる喜び…
アップ会場に戻って一息つくと、思い出します。決勝進出ということは銀メダル以上が確定、つまり前回の結果を超えたことになります。もしかしたら取材の際にそのことについても聞かれたかもしれませんが全く頭に入っていませんでした。
このことに気づいてさえたいして喜びの感情が湧かない自分に安心しました。目指しているのは金メダルだけ。決勝に進むことは過程であって、一段階に過ぎません。
バレイキスもアップ会場に帰ってきました。かなり疲れているようです。
陣がすぐ隣なので無視するのも変だろうと思い再度握手。
「Next time」
そう言われました。
そこから少し会話。次の階級どうするのか、バレイキスも70kg級を選択するようでした。彼は元々リオまでは66kgで戦っていた選手です。81kgというのはやはり酷でしょう。
アップ会場のモニターでもう片方の準決勝を見ていた先生方から報せが入ります。
カルダニが勝った
正直、予想外でした。クランバエフとカルダニならクランバエフが勝つと思っていました。
映像をもらったので見てみます。
とても良い試合。緊張感のある試合です。お互い組手にも厳しく、かなり互いを警戒しています。
優勢に見えるのはやはりカルダニ。カルダニの肩車や足技はクランバエフを腹ばいに倒したり体勢を崩させたりする場面が見られるのに対し、クランバエフの背負投や捨身技はあまり効果がないように見えました。
さらに驚くべきことに、カルダニの息があまり乱れていません。それほど激しい試合展開ではないので、スタミナも保ちやすいのかもしれませんが、いつもなら2分を過ぎれば待ての度に膝に手をついているのに、今回は本戦4分終わったところで初めて膝に手を置きました。それも疲れているというよりは膝の具合を確認するような動作。
全体としてかなり好調に見えます。
互いにポイントも指導もなくゴールデンスコアへ。本戦と同じような展開が続いて30秒。
ケンカ四つの引手が互いに離れて体勢が高くなったところにカルダニが小内刈、浮いたクランバエフの左足を今度は右足で出足払。大きく体が左に傾いたクランバエフの左肩を離れていた引手で掴んで引き寄せ綺麗に背中から畳に落としました。とても美しい足技。
おそらくは今大会のベスト一本でしょう。
すべての人にぜひ見てほしいので動画のリンクを貼っておきます。
動画の2:16:30ごろから見てください、ぜひ!
最高の一本、そして決勝進出にカルダニは大喜び。ガッツポーズを決めます。
近年話題のガッツポーズありなし問題は別にして、これを見て私は半分くらい勝ちを確信しました。
長い長い昼休み。私の準決勝が終わったのが12時ごろ。決勝ラウンドの開始は16時。J2,73kg級は前から4番目なので、私の試合の前には11試合と表彰式が2つあります。およそ17時半ごろだろうとアタリをつけます。
いくらか休んで手首の治療を済ませてから昼食へ。アップ会場のすぐ隣にアスリートラウンジが設置されており、そこで軽食を食べることができます。
アルファ米を選手村から持参したお湯で戻し、それに加えてラウンジの米と鶏肉。あまり量は食べられないものの、やはり糖分は補給しなければなりません。同じく必要なアミノ酸は肉からも摂れますが消化に体力を使うのでアミノバイタルなどの粉末状のものを用いるのが良いでしょうから肉は少量で十分。
よく噛みながらチビチビと食べます。お腹の具合的には全然足りないくらいでしたが、腹三分くらいで終わり。
アップ会場に戻ります。
アップ会場周辺をうろついているとちょうどカルダニとすれ違いました。コーチと肩を組んで上機嫌で歩いています。
向こうもこちらを認識していたようなので、顔の前に右手を出して上向きの握手。左手でカルダニの手の甲を三度ほど軽く叩きます。
よろしく、の意を込めたつもりです。
しばらく横になって休みます。ただやはり周囲はそれなりに騒がしいので眠るまではできませんでした。
決勝ラウンド
決勝ラウンドが近くなってきて周りが慌ただしくなってきたころに体を起こします。早くも最初のJ2,57kg級の選手たちに呼び出しがかかっています。
また最初からウォーミングアップ。
ローラーとボールをコロコロ。ストレッチをして回転運動。このあたりでそろそろ順子さんの決勝。
モニターの前に移動します。モニターの前に座って楽な姿勢を探して体勢を頻繁に変えながら観戦。結局、試合が終わるまでどの姿勢が一番楽なのか結論は出ませんでした。
順子さん、金メダル。日本女子史上初めての金メダルです。
順子さんがもし負けてしまったらプレッシャーやばいな、などと考えていましたが、勝ったら勝ったで、ここで自分だけ負けるとしんどいな、という感情も生まれてしまいました。
さらに、これまでの国際大会で私と順子さんは同時に優勝したことが一度もないのです。そんな嫌なジンクスと言えない程度の傾向を種にまた不安感が増していきます。
とりあえず、アップを再開。打ち込みを始めます。休み休み間を入れながら疲れないように。午前の試合はそれほど時間を使っていないので、疲労感はほとんどありません。ただやはり足の重さは改善されていないので、下手には動き回れない。
などと考えていたのに、キムの打ち込みを受けていた韓国の60kg級、ミンジェと乱取りが始まってしまいました。と言ってもあまり過度に動きたくはないのでこちらから技を仕掛けることはあまりなく、技を受けるばかりですが。疲れたくないならやるなと言われればその通りですが、こういうのもコミュニケーション、一人で塞ぎ込むよりこんなふうに流れに身を任せる方が緊張しなくて済むのです。
試合までもう1時間くらいだろうかというところで秘密兵器「最中」投入。おいしい。
さぁ打ち込みに戻ろうかと畳に戻ると、口の周りに粉が大量に付着している、拭いてこいと畑山先生に言われてしまいました。うっかり。
クランバエフとキムが呼ばれ、すぐにバレイキスとペティットもアップ会場を出ていきました。
そろそろかと最後のスピード打ち込み。動きは最高ではないが、午前よりは良い。緊張と不安はあるけれど、気合いは入ってる。思考も明瞭、落ち着いてる。大丈夫。
みず飲んで、アミノ酸、ブドウ糖。上着を着て、さぁ出陣。
控え通路は空いています。
私が到着してすぐにバレイキスとペティットは試合場へ入っていきました。
モニターで試合が映されています。
ポイントを奪った後、バレイキスは徹底的に逃げ切りの体制。会場からブーイングが起こります。
フランスのこの観客の中、ペティットとやってみたかったとは思いますが、この大ブーイングを聞いて少し気持ちが変わりました。これに耐えれるメンタルは私にはない。
上着を脱いで、サンダルを脱いで、ストレッチ。後ろではカルダニが気合を入れているのか大声を張り上げています。威圧されているような気もしたので、対抗しようかと思いましたが、やめました。相手の土俵には立たない。いつも通りのやり方で。
前の試合が終わりました。バレイキスの勝ち。これで銅メダルは二人決まりました。前回66kgの金メダリスト・クランバエフと、前回73kgの銅メダリスト・バレイキス。いずれも2大会連続のメダルです。
いよいよ出番です。
決勝の相手はジョージアのカルダニ。前回大会は73kg級で5位。これまでの対戦成績は負負勝勝の2勝2敗。前回は4月のアンタルヤ、3位決定戦で当たり、互いに疲労困憊の中だらけた試合の末、背負投で一本勝しています。2連勝中とはいえ苦手なタイプ。今回はクランバエフと並んで当たりたくない相手でしたし、パリを目指す中でぶつかった大きな壁であり、それ以上前から続く因縁の相手でもあります。
組手は左。強力な肩車と、足技の巧さが強みの選手です。この日も予選2試合を足技による一本で勝ち上がってきています。
注意すべきはやはり足。しかし足技というのは注意しててもこちらの隙を突いてくるものですから、基本方針としては投げられる前に投げる。予選を見る限り、今回のカルダニは弱点のスタミナも克服しているようですし絶好調に思えます。足に不安がある今回の私では長期戦は不利。タイミングがあれば積極的に仕掛けていくつもりでした。
入場から名前のコール、大きく息を吸いながら歩き、畳に上がります。
日本語の声援が聞こえます。初めての大観衆、日本語が聞こえてくるのはとても心強い。
いつも通りの形で試合場に入ります。
礼をして組み方。ケンカ四つ。最近の対戦では常に釣手を下から持たせてくれます。しかし引手は厳しい。先に絞られるので大きく外から巻いて持ちます。
はじめ。
体勢を低く。引手の方向へ移動。カルダニもバレイキスと同じように私より前でついてくるようにして背負わせないつもりのようでした。しかし組手はケンカ四つ、比較的間合いが大きく開きますし、釣手も自由。
少し前に出たところで横に引き出して前に背負投。いつものように足を前に出してかわされそうになりますが、上体を立てたまま保つことができました。そのまま膝立ちで歩くような形で腕を引き落とす。技あり。半身というにもギリギリでしたが、引手をうまく引けていたようで、肩の後ろ側を畳につけることができました。腹ばいのカルダニを攻める姿勢だけ。待て。ここまでで7秒。
ひとまず先制。
しかし距離が近い故に逆転が起きやすいのも視覚障害者柔道。先にポイントを取った方が余計に焦る。
しかし思いのほか冷静でした。試合前の緊張や不安感からは考えられないくらいに。
同じように組み方。はじめ。もう一度背負い、今度は不発。
お互い低い体勢で引き合うところから、カルダニがこちらの釣手を警戒しているのか前に出ながら一旦釣手を離して、さらに私の釣手を千切るように切る。さらに前に出ながら釣手は脇のあたりを握り小内刈。私はうまく距離をとりながら後退。小内刈りは足を浮かしてかわします。そのまま浮かした左足を引いて体を回し背負いにいこうとするも、これは脇を持たれているために釣手が入らず不発。体を立て直しながらさらに一歩二歩引いて低い体制に戻します。
背負のフェイントから膝つきの低い大内刈り。こちらは読まれていたか左足を引かれ空振り。立て直して低く、今度は互いに少し開いた状態。カルダニの小外刈。これは左足を引いて耐えます。互いに戻ったところで右足で出足払をひとつ。これも空振り。そのままこちらが少し前に出たところにカルダニの小外掛。これは足を浮かして外します。
カルダニはそのまま体勢が崩れて両膝を着き、私がそれを引きずるような格好。起き上がってきた瞬間背負いにいこうと考えてましたが、それは向こうも承知。そのまま待てがかかりました。
ここらでそろそろ仕掛けようと企みます。開始際の背負投を狙って準備。緊張感を高めているところに、勘づかれたのかはじめの声の前にカルダニが少し腰を引きました。これでは背負いはリスキー。作戦が狂って一瞬思考がストップ。体もはじめの声に出遅れてしまいました。完全にカルダニが前に行く形で横にワンステップ。ひとつ足を出そうと右足を払いに出した瞬間、左足を刈られていました。
カルダニの小内刈。完全に両足が浮いた私は真っ直ぐ真下に尻もち。しかし、ここでカルダニとの間合いが空いていたのが救いでした。この状態から背中をつかないように逃げるのは私の得意とするところ。右肘を畳について、肘と足で腰を浮かし後ろにジャンプ。押し込まれる前に距離をとってうつ伏せになる隙間を作りました。寝技も危ないのでそのまま背中側にさがりながら立ち上がります。
あぶねッ。
組み方。はじめ。
同じように横にステップ。カルダニは背負投を警戒しているのかまた前に出ようとします。背負に行こうと思って、でも横に動いてるからとりあえず足出しとくか、くらいの軽い気持ちで足払い。なんか、カルダニの奥の足、右足に当たりました。しかもタイミングもバッチリだったみたいです。しかも手前の左足も腿でガードしており逃げられない状態。
全く予期してきませんでしたが、腕をしっかり固めていたので相手の体勢の変化に対してしっかり押し込むことができました。
これもほぼ半身。技ありあるかどうか怪しいところでしたが、審判のポイガーさんは技ありをとってくれました。
寝技に行こうかとした手を外して開始線に戻ります。予想外なことに冷静でした。
おそらくビデオチェックを下手であろう後に審判の手がこちら側に上がります。
礼をして、握手して、場外へ下がります。
礼、審判にも礼。最後に会場を広く見渡して一礼。階段を降ります。
やはり落ち着いている。なんの感情もない。いや、嬉しいというのは確かにある。でも、東京の時にあったような爆発する嬉しさや安堵感は感じられません。
自分でも意外でした。
畑山先生に「早かったな。やりたいないんじゃない?」そんなことを言われて少し笑顔になりました。
場内のミックスゾーンでインタビュー。最初は国際放送なのかフランスの放送局なのか、英語でのインタビューだと言われました。通訳はいないから、可能な限り英語で答えてくれとのこと。
どんな気持ち?とか、この3年を振り返ってどう?的なことを英語で聞かれて、拙い英語で答えました。単語が出てこない。こういう時のためにやはり英語というのは勉強しておくべきでした。知っている単語を使ってなんとか言いたいことを表現します。もしかしたら違ったニュアンスで伝わってしまったこともあるかもしれませんが、これが私の限界です。
続いてNHKなどの日本の放送局のインタビュー。こちらはもちろん日本語で。
率直な気持ちを話しました。すごく嬉しい、でもあまり感情の動くところがないこと。しんどい3年間だったこと。そんなことを話したと思います。
インタビューを終えて試合場を出ます。畑山先生に代わって鈴木先生がサポートしてくれました。先生から見ても全然喜んでるように見えない、なんかスンとしてる、とのこと。
なぜだろう、考えます。
まだ実感が湧いてないのだろうか、最後の決まり技がきれいな一本ではなかったからか、ここ一年弱の試合で勝ちに慣れてしまったからなのか…
なぜなのか、明確な理由はこの時には分かりませんでした。
アップ会場に戻るところでドーピング検査のお知らせ。まぁ来るだろうなとは思っていました。
シャペロンを連れてアップ会場へ。
日本チームの陣へ向かう途中でジョージアチームの横を通りました。カルダニが道着の上を脱いで座っていたので、再び握手。
とりあえず、公式ジャージに着替えます。テーピングを外して、汗を拭く。勝ったんだなという感覚はあるけれど、やはり感情はあまり動かない。普段の国際大会とさほど変わらない感覚。
表彰式があるから来いとの呼び出し。ちょっと待ってくれ。一旦顔を洗いたい。
シャペロンを連れてトイレへ。洗面台で顔を強く洗います。少し疲れが抜けた気がして頭がスッキリしました。
再び控え通路へ。通路の途中に椅子が並んでおり、向かって左からバレイキスとクランバエフが座っています。
順に握手。「Congratulations」に「Thank you」と返します。
バレイキスの隣に座って指示を待ちます。ポケットに放り込んだ携帯が間を置かずに振動を続けています。一旦機内モードにして鈴木先生に渡します。
これから表彰式。金メダル。君が代。ずっと目指してきたものにようやく届いた。3年間ずっとしんどかったけど、がんばってきた甲斐があったな、そんなことを考えていると少し目が潤んできてしまいました。大きく息を吸って、吐いて…
表彰式について説明のためにスタッフがやってきました。その場にいる選手3人に対して、英語で説明する旨を伝え、英語を解するか尋ねられました。が、私の横にはすでに「私が通訳しますね」と日本語を話せるボランティアの方が来ていました。おそらく日本人の若い女性です。日本から大会ボランティアに来ているのか、もしくはフランスに住む日本人なのか、はたまた日系のフランス人という可能性も…そんなことを考えながら説明に耳を傾けます。
困ったのはクランバエフ。ウズベク語の通訳はいません。ロシア語ならどうかと提案するもその通訳もいないようだし、クランバエフもロシア語が完全ではないようでした。
そこで通訳を名乗り出たのはなんとバレイキス。英語で聞いた内容を、リトアニアの地理から考えておそらくロシア語でしょうか、噛み砕いた様子でクランバエフに伝えます。
ようやくやってきたカルダニ。私を含む3人と順に握手を交わして私の左の席に座ります。先ほど説明をしてくれたスタッフが同じようにカルダニに英語の聞き取りができるかの質問。カルダニのコーチ含めて難しいよう。そこで再びバレイキス登場。いろいろと調整した結果複雑な通訳体系が出来上がりました。
スタッフの英語を聞いたバレイキスはリトアニアのコーチにおそらくリトアニア語で伝達。リトアニアのコーチはジョージアのコーチに対してなんらかの言語で伝達。最後のジョージアのコーチがカルダニにグルジア語なのかアブハズ語なのか、カルダニが解する言語で伝えます。すごい伝言ゲームを見ました。こんなのは滅多にお目にかかれない。言語の多様性っておもしろいですね。
4人並んで座っていると、日本人の2人組がやってきました。
この階級のメダルプレゼンターを務める日本財団パラサポ会長の山脇康さんと、記念品の贈呈を務める審判の小志田先生。
後から聞いた話です。今回山脇さんは複数の競技に渡って合計4度メダルプレゼンターを務めたそうですが、事前に希望を出す段階で日本人が金メダルを取るだろう種目を選んで希望を出したそうです。結果は4種目全て日本人が金メダル。そこに選んでくださったことはとても嬉しく思います。
いよいよ表彰式。
ボランティアの誘導に続いて会場へ入ります。
表彰台の前へ。
銅メダリストから順に名前が呼ばれ、メダルと大会マスコット・フリージュぬいぐるみを受け取ります。
銀メダルのカルダニがぬいぐるみを受け取りました。
Gold Mesalist and Paralympic Champion
私がずっとなりたかった者の呼び名に続いて私の名前が呼ばれます。
左足から登って、大きく息をします。
思っていたよりもずっと眩しい。いくつもの照明がこちらを照らしています。東京の時にも似た景色を見たはずですが、その時とはまた違ったものに感じられます。
山脇さんからメダルをかけられます。
やはり重い。ずっしりと首にかかる重さを感じて、メダルを手に取ります。
これまで何度もテレビやネットで見たものと同じデザイン、知っているデザイン。唯一初めて知ったのはメダル全体が湾曲していること。エッフェル塔の鋼材が付いている側に向かって少し出っ張っており、アギトスが描かれている側が少し凹んでいます。
次にぬいぐるみを小志田先生から受け取ります。これまでにも国際大会で小志田先生がプレゼンターだったことが何度かありその度に、いえ、そうでなくても表彰式の後には毎度言われるのですが、「この優勝はもう過去のものになる。ここで喜んじゃいけない」
しかし、この時はいつもとは違うことを言われました。「おめでとう。今回は喜んで」
ずっとここを目指してきた。金メダルだけを獲るためにやってきた。何度も負けて、悔しい思いをして、本当に勝ちたい時にはそんな思いをしなくて済むように、毎日毎日しんどい思いをして稽古やトレーニングをやって、体はボロボロになっていくし心ももうすぐ折れそうって日が数え切れないほどあった。休日さえも自分のやりたいことはできず、寝ていないと体力は回復しない。何かやって少し心が晴れたとて体がついていかない。特にこの一年は、本来やらなければならない授業や修論さえも後回しにして、今日この日金メダルを獲ること、君が代を歌うことのためにほぼ全てを注いできた。
苦しかったことしんどかったことがたくさん思い出されて、そしていよいよ目標としてきた場所を手に入れた。そう思うとまた目が潤んできてしまいました。
君が代が流れて日の丸が揚がります。
その日すべての試合に勝った選手だけが手に入れられる特別な時間。いつもよりも声を出して歌いました。
普段の国際大会で聞くよりもずっと重みのある演奏、観客席から家族や友人、応援に来てくれた方々が一緒に歌ってくれている声を背中に感じながら、ずっと望んできた最高の時間を過ごすことができました。
泣くつもりなんてなかったのに、どうしても最後耐え切れず、声も掠れてしまいました。
すべて歌い終えていつも通り一礼。
何粒も何粒も溢れてしまいました。
自分でも恥ずかしいくらい泣いてしまいました。試合が終わった瞬間にはあんなにも感情が動かなかったのに。
やっぱり私が目指してきた場所はここだったんだと再認識しました。試合に勝つことはその条件に過ぎず、過程だったのでしょう。
すぐにカルダニが寄ってきて何を言うでもなく優しい抱擁をくれました。
クランバエフ、バレイキスとも握手。
フォトセッション。
ちゃんと目を開けて前を向いていようと、なんとか涙を止めてメダルを右手に持ちます。
一番最後に表彰台を降りて、ようやく観客席にいる家族や友人たちに向かうことができました。
試合の時から知っている声が聞こえていたので、おおむねどちらに座っているかは見当がついていました。
やっぱりちょっと恥ずかしいので控えめに右拳を挙げます。
試合場の端を通って場内を歩きます。涙で目が霞むので畳を踏まないように気をつけながら。
階段を降りたところでメディア向けの写真撮影。ひと通り終えて、再びミックスゾーン。そこもそこそこ簡単に終わって次は場外のミックスゾーン。こちらはそこそこ質問が続きました。
試合の準備や内容、今後の展望など細かい部分も含めてのインタビュー。
それを終えると付き添ってくれていた鈴木先生に預けていた携帯を受け取り、電話。母は少し間を空けて出てくれました。
まだ観客席にいるとのことだったのでこれから向かう旨を伝えます。アップ会場を通り抜け再び控え通路の方へ。そのまま試合会場へ出てすぐ左の観客席。
家族と友人、先生、社長、先輩方。応援に来てくれたみんなが迎えてくれました。
また涙が出てきてしまう…
アップな会場に戻って先生方とも握手。順子さん、半谷さんと腕比べをするなど写真を撮ってからドーピング検査へ。
検査は会場から一旦外に出て歩道の向かい側にあるプレハブ。
ちょうど日暮れごろの時間で、そこに見えるエッフェル塔がいい具合でした。
ドーピング検査はそこそこの時間を要しました。尿なんてものは出せと言われて出るものでもありません。
結局検査を終えたのは21時5分前くらい。21時に選手村行きの最終のバスが出るとのことでしたが、荷物も片付いていないので間に合うわけもなく。
大会側がタクシーを用意してくれると言うので、それに甘えて慌てず荷をまとめます。
タクシーに乗ってさぁ帰らん。
たくさん来ている通知の返信から始め、ときたま自分の試合映像を見返す。そんな作業に没頭していたらまたトイレに行きたくなってきました。
タクシーは朝乗ってきたバスと違って下道を使うようです。
地図で見ると選手村に近いていることはわかるのですが、外を見ると真っ暗な住宅街。本当にこの道で合ってるの?と問いたくなるような風景に見えます。
膀胱の限界も近いころ、ようやく車が止まりました。試合会場を出てから1時間半が経過した22時45分。
しかも、選手村の果ての側、日本の居住棟から一番遠い方の入口に到着しました。
村内を歩くこと15分。ようやく部屋に帰ってきました。急いでトイレへ。
帰還
試合の日以降もそれなりに慌ただしい日が続きました。しかし、皆気楽になったこともあってそれなりに楽しく、またそれまで食べられなかったパンやパスタ、甘いものや脂の多い食べ物を解禁したこともあって、食堂でいろんな食べ物にトライ。充実した選手村ライフでした。
8日には閉会式にも参加。雨の中なかなか大変でしたし、どうせ見えないし、見えたとしても何をやっているのかよくわからないというのが実情ではありますが、会場に行かなければ味わえない雰囲気というものもあるでしょうから、まぁ良かったです。
9日の夜のJAL便でパリを出発。機内は爆睡でした。もうほとんど記憶がありません。
前の席にカヌーの瀬立モニカ選手が座っており、時たまちょっかいをかけてはかまってもらいました。
ま今回の日本選手団のメダル獲得数41個。うち金メダルは14個。
柔道チームは金2、銀1、銅1の大躍進。金メダルは12年ロンドン大会で正木健人選手が獲って以来、金メダル2個は96年のアトランタ大会で藤本さんと牛窪先生以来の快挙です。
10日夕方、羽田空港に凱旋。
関係者、メディアを中心に多くの方々が到着エリアに集まっていました。
最後にチームミーティングをして解散。翌日以降の訪問等の日程に備えて宿へ向かいました。
パリを終えて
パリで過ごした期間は約10日間。振り返ってみるとあっという間でした。目指してきたものを手に入れた10日間。とても楽しく、充実した10日間。
でも心の全ては晴れていません。
3年間、たくさんの苦しみと辛い日々、いろんな悩みと不安を呑み込んで、でもずっと腹の中に抱えたままなんとか進み続けようと足掻いてきました。全てが終わった今でさえ、まだ納得できないことや消化できないことはたくさんあります。
柔道への向き合い方はこれでよかったのか、自分の在り方としてそれは正しかったのか、階級の変更やクラスの導入、最低障害基準の変更は本当に妥当なのか、強化の方針や組織の中での役割、発掘・育成の必要性と効果、選手やスタッフの間にある人間関係、障害の理解や配慮の考え方、選手としての態度や振る舞い、自分自身への問いはもちろんのこと、周囲の人や環境とのさまざまな関わりに対しても思うところはたくさんあります。
それらのすべては解決できないし、既に取り返しのつかないこともたくさんあります。
それでも、今からでも清算できるものは清算し、改善できるものは改善していきたいと思っています。そのために金メダルは必要だったし、今後はこれを最大限に使っていきたいと思います。
そういった後向きな感情を抜きにしても、金メダルにはやはり大きな意味があります。
3年前、東京の表彰台で、手に入れられない一番輝くメダルを目にし、自分でない選手のために流れる日本のものでない国歌を聞いて、メダルを獲れた嬉しさをも上回る悔しさを覚えました。
その悔しさをもう二度と味わいたくない、今度はその場所に自分が立つと決めて3年間やってきました。
これが達成されたことはこれ以上ない喜びです。
目標を達成するために、何が足りないのか、何をすべきか、どうやったら届くのか、考え続けた3年間でした。これは私が成長するためには必要な経験だったと思いますし、柔道に限らず人間的にも強くなれたし、大きく成長できたと思います。挫折や諦めに似た、見方によってはマイナスとも思えるような感情や状況も経験し、自分の限界、器量などを知り、自分に向き合い見つめ直すこともできました。
今後、おそらく柔道への取り組み方は少しずつ変わっていくでしょう。このパリの舞台に立った時の自分の強さを超えることはきっともうありません。パラリンピックという最高の舞台にもっと万全な状態で臨みたかったとか、もっと自分で納得のいく内容の試合をしたかったとか、悔いはいくらか残してしまったけれど、パリを目指して歩んできた道ですから、この先そう遠くないうちには終点があるのだろうと思います。
だとしても、やれるだけはやりたいですし、自分で自分を許せるうちは続ける道を探してみようとも思っています。
一方では、今後は選手としてよりも、競技普及の面でより積極的に関わっていきたいとも考えています。
こんなにも一生懸命になれて、こんなにもおもしろい競技をもっとたくさんの人に知ってもらいたいし、やってもらいたい、観てもらいたい。
今後はそちらを中心に新たな目標を見つけ、これまでと同じ、それ以上の熱量で柔道を極めていきたいです。
最後に、共に闘ってきた仲間と応援してくださった皆さまに改めて御礼申し上げます。
ありがとうございました。
そして、長い長い文章を読んでいただきありがとうございました。
ここで終わりです。
近いうちにはまた次の記事を投稿予定ですので、引き続きよろしくお願いします。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?