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手術と小説の共通点から考える、上手い作家になる方法

こんにちは、中山祐次郎です。外科医やりつつ小説を書いています。

毎日手術をしている。簡単な手術、難しい手術、短い手術、長い手術。いろいろある。
毎日執筆をしている。簡単な執筆・・・はほとんどない。エッセイは僕にとっては簡単なんだけど、いま連載はしていないしな。医療記事もまったく書いていない。書いているのは小説だけ。短くても長くても、どちらも難しい。

そんな手術と小説の共通点を考えてみた。どちらも現役で同時にやっている人はあんまりいないだろうから、誰の参考にもならなさそうなんだけど。

手術は、「人体の理解x手先の器用さ」で結果が決まる。
小説は、「人間の理解x表現・設定の上手さ」で結果が決まる。

似ている。結局のところ、

人間がやる仕事というものは人間への理解に尽きる

のだ。人間への理解、つまりインプットしたものに、手先の器用さやら表現の上手さなどというアウトプットの技術をかけあわせると、できたもののクオリティが決まるというわけだ。

だから、手術でも小説でも、技術は必ず必要だ。きちんと高い技術を持ったうえで、やりたいことをやる。ピカソだって最初からキュビズムの絵(顔の真ん中に線がある変なやつ)を書いていたわけじゃない。
その技術を、僕は10年も20年もかけて蓄えていきたい。

その上で、人間への理解をどうするかという問題がある。
なにをすれば、人間への理解が深まるのだろうか。

いろんな方法が考えられる。中でも、自分ではない他者の気持ちを必死に考えるという点では、賭け事や、恋愛というものが挙がってくる。間違っても運転とか、買い物は挙がってこない。仕事も、駆け引きみたいなことがなければあんまりないかもなあ。看護師さんの仕事は人間への理解を深めると思うが、医者はそうでもない。

例えば、恋愛。
恋愛と一言で言ったって、色々な方法がある。

一人の人間と50年付き合えばいい?それとも50人と1年ずつ付き合えばいい?あるいは、50人の人間と50年、という方法もないわけじゃない。
そもそも、恋愛には相手が必要だから、こちらの都合でそんないろいろできるわけではない。小説のために付き合いたいんだけど、は、それはそれで趣深いけど、上手くいくわけがない。

賭け事?
いまはネットカジノ(違法のものが多い)全盛で、あとは競馬競輪競艇、パチンコ麻雀。宝くじもか。昔の博打のような、相手の顔色を見て駆け引きをするようなものはほとんどない。

そう考えると、生活をしているうえで、人間への理解を深めるチャンスって実はそうそう無いようだ。
だとしたら、なんでもない日々のことから人間への理解を深めるしかない。

職場のいつもの風景から、あの人の髪型がちょっと変わった理由はなんだろうか。今日、上司の機嫌が悪いのはなぜだろうか。パートナーが最近太ってきた背景はどのようなものだろう。

もっと言えば、あのカフェの店員さんはなぜ金髪なのだろう。普段はどこに住んで何をしているんだろう。
飼っている猫は、どんな夢を見ているんだろう。
雨が降ると、街はどのように鎮まっていくんだろう。

そんなことに思いを馳せ、人間への理解を深めるしかないのだ。
それが手術や小説に活きてくるのである。

ごくまれにある、「初めて出会った人になんでも聞けるチャンス」みたいなものはとっても貴重で、だから小説家は取材をするのだ。

世界は広いが、自分の見識はいかに狭いことか。もっともっと、人間への理解を深めたい。

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