一万年の眠り(3)~移動から定住
我々と狩猟採集民族の、2番目に大きな相違点は「移動か定住か」だ。
我々はついつい「ヒトは定住するもの」と思い込んでいるが、それは農耕・牧畜革命以降、つまり1万年前から始まった習慣だ。それ以前は、バンド(つまり小集団)は獲物や果実を求めて、各地を転々としていた。アフリカのムブティ・ピグミーの場合は、広大なイトゥリの森(総面積1,500平方キロ)の中で1、2ヶ月おきにキャンプ地を移動している。
ヒトは1万年前に移動をやめた。ヒトは定住して田畑を耕し、米、麦、芋などの植物を栽培するようになった。そして大きな収穫をあげ、さらにその収穫物を長期間保存できるようになった。これは人類社会にとって大いなる前進だった。
定住化のデメリット
しかしその一方で、ヒトは農耕のための種まき、水やり、雑草抜き、害虫駆除など、一年を通して栽培植物の管理をしなくてはならなくなった。このため人々は生まれてから死ぬまで同じ土地に住み、同じ風景を受け入れざるをえなくなった。これは好奇心や向上心を強く持つホモ・サピエンスにとってはある種の苦痛であったにちがいない。
おそらくヒトの脳は居場所を変えることでリフレッシュできるようになっているのだろう。現代人が週末に旅行に出かけるのも、お金持ちが箱根に別荘を持とうとするのも、サラリーマンが居酒屋で飲んだ後「場所を変えよう」と言い出すのも、同じ理屈だ。逆に言うと、同じ場所に何十年も居続けることは、停滞感・退屈感をもようさせ、生命力を低下させてしまうのではないか?
考古学によると人類は、農耕革命のはるか以前、200万年も前から、アフリカを出てユーラシア大陸へと拡がっている。また20万年前に登場したホモ・サピエンス自身も、4万5千年前には海を越えてオーストラリアに住み着いている。彼らがアフリカを出たのは、当時の気候変動によって住める場所を失ったからだという説もあるが、そうだとしても、わざわざ海洋を渡るような危険を冒してまで大陸間移動を行う必然性があっただろうか?やはりヒトには長期の森林生活の中で「移動する本能」が培われたと考える方が自然だと思う。
祭りの出現と衰退
こうした土地に縛り付けられた人類が、苦痛から逃れ出るための代償行動の1つが「祭り」だったのではないか、と筆者は考えている。多くは「収穫祭」として地域で執り行われるこの「祭り」では、歌や踊りを披露したり、ご馳走を食べたりして普段とは異なる経験ができ、また地域によっては、主従関係の逆転や、家屋・器物の破壊、フリーセックスの推奨がなされるなど、同じ場所にいながら「非日常」を体験できるようになっている。このような体験を通じてヒトの脳は意識を変性させ、活性化できる。こういう「ハレとケ」の2元的な仕組みがあって、ヒトは精神的な「死と再生」を繰り返し、結果としてその村の秩序は維持されていったのだと思う。
このような村祭り的なものは、ローカルではまだまだ健在だが、都市の中では影を潜めてきており、代わって商業的なイベント、フェスティバル、テーマパークなどが新たな代償システムとして表舞台に出てきている。が、かつての村人総出の祭りほど「非日常性」を打ち出せているかどうか、気になるところだ。