宗教心理学ノート⑧
4月22日、大阪・本町の相愛大学にて、2022年度初の「宗教心理学」講座が開催されました。会場も内容も一新され、前半はこの4月に学長に就任された釈徹宗さんと名越康文教授の対談、後半は名越教授の講演というプログラムで進行しました。
対談のテーマは「アニミズム」。冒頭スタジオジブリのアニメ「もののけ姫」が10分程度上映され、そこから対談が始まりました。要約を以下に記します。
アニミズムとは
釈さんによると、アニミズム(霊的存在への信仰)には以下の3つのタイプがある。
1)人間を含む万物に霊魂が宿り、それは死んだ後にも残る、という信仰
2)動植物その他の事物に宿る超自然的存在(=精霊)を崇拝する信仰
3)山や海、巨石など、自然物そのものを対象とする信仰(自然崇拝)
これらが後にさまざまな宗教へと変化(発展)していく。
また、アニミズムの重要な特徴として「擬人化」がある。例えば桜吹雪に出会うと、まるで大自然から祝福されたような感じを受けることがあるが、この感覚も広い意味での擬人化といえる。
「擬人化」にはいろいろなタイプがある。飼っている犬や猫を一種の「謎」として捉える場合(◯◯ちゃんは一体何を考えてるのかしら?など)、
あるいはアイヌ文化における熊のように、動物を「神」として捉える場合。
あるいは密教においては、宇宙そのものを擬人化して「大日如来」と呼ぶなど。
「もののけ姫」の放つメッセージ
さて、「もののけ姫」である。「もののけ」とは「モノに宿る精霊」を指す。この映画に出てくる「こだま」という白い小人のようなものはまさに森の「精霊」そのものだ。名越教授は30代でこの映画に接し、見終わっても席から立てないほどの衝撃を受けたらしい。映画の終盤、森の神であるシシ神が倒されると森の様相が一変し、人が管理するような綺麗な人工林に変わってしまう。これを見て、釈さん、名越さんは「結局、人と大自然は折り合えなかった」と感じたそうだ。
森の衰退
西欧文明はキリスト教の拡張とともに森を伐採し、各地に都市を建設してきた。それとともにアニミズムもまた衰退した。日本においても明治期に西欧の動きを模して大規模な土地開発を行なったが、国土に山岳が多いため比較的、森の神秘(霊性)は保たれているといえる。現在、日本の国土に占める森林率は70%弱で、先進諸国の中ではごく高い部類に入る。(OECD加盟国で第3位)
森を感じるセンサー
名越教授は、「1ヶ月に1回は森に入らないと、自分が人でなくなってしまうような気がする。森は人間の命をつないでいる」と語る。実際、真夜中に森の中に入って10mも歩くと、人のもつ全身のセンサーが自動的に開き、死への恐怖と生命の素晴らしさを同時に体感することができる。このセンサーがアニミズム(見えないものに想いを馳せる心)を形成する土台になっているのでは、と釈さんは考える。
都市空間で多発する精神疾患
人は通常、精神の感度を落として表層意識で生活している。均質な都市空間、白い壁に囲まれた中では、人はその潜在能力を発揮できるセンサーの働きを封じ込められ、自身の精神エネルギーの行き場は失われてしまう。この屈折が妄想を生み、ある種の精神疾患の元になっている疑いが濃い。
いわゆる「悩み」というのは、突き詰めると「人間関係の悩み」に帰着する。従って、「悩み多き人」というのは、人間偏重社会に埋もれているといえる。そういう人は、それ以外の、自然やアニミズムの世界に片足を突っ込んでおかないと精神の安定を保つのは難しい。都市空間から自然界の中に身を移すことで、悩みを[別の角度]から解決するヒントをつかむことができるのでは?と名越教授は語る。
養老孟司氏によると、このようなことはすべて仏典に記されているのだが、仏教がインドから中国、日本へと伝搬されていくにつれ、その土地から森が消されていくのに気がついた、という。言い換えれば、仏教は森とともに伝搬し、森の衰退とともに消えていくのかもしれない。
空間の変質は人の精神に影響を与える
そもそも空間というものは均質なのだろうか?物理学の世界では「空間は均質であり、場所によってコロコロ変わらない」ことが大前提だが、実際は、場所には固有の空間性があり、人の脳は(無意識に)それを感じ取っているのではないか?
例えば日本ではビルを建設する際に必ず「地鎮祭」が執り行われる。地鎮祭とは、その土地の守護神を祀り、その土地を利用する許しを請う日本古来の儀式だ。外資系のリッツ・カールトンホテルを建設するときでさえ、この儀式が行われる。地鎮祭は多神教を前提としているので、キリスト教(一神教)の原理とは本来相容れないはずである。
あるいは、大阪・千日前は江戸時代には墓地や処刑場が置かれていたため、明治以降もしばらく立ち入り禁止となっていたし、関ヶ原のトンネルは交通事故の頻度が高いため、祈祷を行なって霊を沈めたという事実がある。
このような事柄を見つめると、「空間の均一性」という近代化・グローバル化の大前提はかなり怪しくなってくる。
名越教授が自身の専門分野に関連する犯罪心理の研究をみると、明らかに通常心理の人物が「ある時、ある場所で」異常心理に陥っているケースがある。これは「空間、時間の異質性が人の精神(パフォーマンス)に影響を与える」可能性を示唆する。
精神医学(あるいは密教)においては、表層意識〜深層意識はいくつかの層のグラディエーションになっていると考えるが、現代社会ではこれを大雑把に「ひとかたまり」と見なしている。しかし実際には、我々の脳は、外部環境から干渉を受けるネットワークシステムになっており、その干渉を受けて絶えず意識の階層レベルを微妙に変化させている、と考える方がリアリティがある。
日本人の精神
日本は、明治維新の際に、西欧文明を導入し、社会のあり方を変革した。新しい体制では、個人の自由意志が尊重され、それをベースに民主主義が確立されたが、実際には、日本社会では「民主主義」をどう活用すべきかいまだにわかっていないところがある。そのため選挙になると、投票が個人の意思ではなく[根回し]によって決まってしまう現実がある。いわゆる「村意識」「集団意識」ともいうべきもので、これが「同調圧力」にもつながっていく。
例えば、コロナ禍で日本人は全員外出時にマスクをしているが、これをいつ外すべきか?日本人は欧米人のように個人の意思でマスクの着用を判断していないため、何らかのサインに基づいて一斉に外す時期が来るのかもしれない。
名越氏自身は「日々の状況を判断した上で、着けるべき時にマスクを着け、外すべき時にはマスクを外している」が、こういう行動をとると、マスク派からも反マスク派からも非難される。しかしマスク着用は(特に児童の場合)健全な発育を阻害するなど、デメリットもある。なので、このような同調圧力をいかにして超えるか?というのも現代日本人の大きな課題である。
(補足:欧米のような一神教に支配されず、未だに森の精霊を心の奥深くに宿していると思われる日本人、その精神に沿った独自の近代化、民主化を再検討すべきではないか、という投げかけと受け取りました。)
【感想】
以上、釈さんと名越教授の対談・講演を駆け足で紹介しましたが、個人的に大きな興味を抱いたのは、「われわれの意識の層は、外部環境の影響を受けて絶えず微妙に浮き沈みを繰り返している」ということです。
これまでの心理学では、この「意識の層に影響を与える外部環境」とは、「薬物」であったり「対人関係」であったりしたと思いますが、実は本人の居る場所(空間)が決定的に重要だということ。つまり、森の中にいるのか都会に住んでいるのかでは本人の意識に与える影響が大きく異なるということだと思います。
この環境条件をもっと細分化すれば、[気圧][気温][湿度][太陽光][眺める風景][環境音][フィトンチッドなどの匂い][風のそよぎ][手先や足裏に感じる触感]等々、多種の環境情報が想定できます。
そしてその結果として、意識の方は、面白いアイデアがポンポン思い浮かんだり、気持ちが穏やかになったり、やる気が湧いてきたり、あるいは落ち込んだりするのでしょう。「場所感覚の問題」はやはり重要なのだと、改めて思いました。