<閑話休題>大衆心理あるいは流行を追うこととは?
もともとキリスト教徒でもない日本人がクリスマスを祝うことに対して、私は小学生の頃からの大きな違和感が常にあるのだが、それが旧大陸のケルトの風習(日本のお盆のような、一年の特定の時期に死霊・精霊・異世界住人たちが地上に出てくる)を(ケルト系であるアイルランド、スコットランド、ウェールズ人たちが)新大陸アメリカに持ち込んで、秋の(かぼちゃや七面鳥)収穫祭と重ね合わせたハロウィーン(移民たちの愛国心育成に寄与する目的もある)を、一部の日本人が単なる仮装パーティと理解して大騒ぎしていることには、最初から酷く辟易していた。
そうした風潮は隣国でもあり、その結果大事故が発生したということは、被害に遭った方には深く哀悼の意を表するが、(特に政治的な意味合いはなく、一般論として)そういう大衆のパニック行動かつ集団ヒステリーが発生しないようにするのが、時の為政者の責任であると思う(参考:ホセ・オルテガ・イ・ガゼットの「大衆とは、『ただ欲求のみを持っており、自分には権利だけあると考え、義務を持っているなどとは考えもしない』、つまり、『みずからに義務を課す高貴さを欠いた人間である』」)。
他方では、この「ハロウィーン熱狂」は、江戸時代末期の「お伊勢参り」に似たものがあるように、私個人の歴史的観点からみている。また一方では、20世紀後半の世紀末的かつ退廃的風潮から発生した、バブル時代の「なんとなくクリスタル信仰」、「金持ち及び株取引崇拝」同様の、大衆の欲求不満かつ余暇の簡便なはけ口でもあるという見方もできると思う。
つまり、大衆というものは、たとえ毎日の生活に満足していても、常に「感情の無差別なはけ口」を求めている。それは、村祭りとか盆踊りという形でこれまで日本文化にはめ込まれていたが、それらが「近代化」、「社会の進歩」、「生活の欧米化」という文化的洪水により、「過去の遺物」、「若者が好まない」、「担い手がいない」というレッテル貼りの下、急激に廃れてしまった。その結果、その代替となる「はけ口」を誰かが作らねばならないのだが、為政者たちは、これを提供することに十分応えていないのだと思う。
そうした中で「はけ口」として自然発生してきたのが、「日本のクリスマス」があり、「日本のハロウィーン」があるように思う。もちろんその背景としては、消費文化を土台にした企業の経済活動(つまり、クリスマスやハロウィーンをネタに金儲けする)が契機になっているが、大衆がこうした「はけ口」を常時求めているということが、この二つの日本的「はけ口」が、容易に流行した理由の一つだと思う。
ところで、私は最近、地上波の民放TVはほとんど見なくなった。さらに民放を見ないということは同時にCMを見ないということだと、今更ながらに気づいた。なお、衛星放送の専門チャンネルは見ているので、こちらは単調かつ長いCMが入る。特に無料電話で商品購入を呼び掛けるものは、まるでテキ屋の商売みたいに、何回も続けて見ていると洗脳されてしまい、衝動買いしたくなるから不思議だ。
そういうわけで、洗脳されやすい私は、衛星放送のCMは常に消音にして無視している。それで生活に困ることはまったくないし、TV視聴に支障があるわけではない。当然民放や民放のCMを見なくても、生活に困ることはない。
そして改めて気づくのだが、衛星放送のCM同様に、民放CMでも、当然に視聴者を洗脳しようとしているということだ。つまり、ドラマなどで良く見る芸能人が、本人はまったく使ってもいない製品を、あたかも愛用しかつその効果に喜んでいるようにして、執拗に宣伝しているのを、意識せずに繰り返し見ていると、いつの間にかその製品が自分に必要だ、ぜひとも買いたいと思うようになってしまうのだ。
さらに加えて、企業活動の常として、毎日の生活には不必要な「新」製品が、次々と「開発」され、同時に旧式のものはあたかも生活の質を落とすかのように「洗脳」されてしまう。物価が上がったから節約したいと言いつつも、日常生活に絶対に必要なものではないものを購入しているということに、まったく気づいていない。
昔、絶対王政に対する反体制活動家が捏造した有名なキャッチフレーズに、「パンがなければ、ケーキをたべればいい」というのがあった(敢えて説明すれば、フランス革命時にフランス王妃の言葉として捏造され、喧伝されたもの)。これをもじって私もアジテーションをしよう。
パンが高ければ食べなければよい、ケーキが高ければ食べなくてよい。パンもケーキも、生活に絶対に必要なものではない。パンもケーキもない世界(実際、世界にはそうした地域が多く存在する)であっても、人は生存できるし、栄養的にも心配ない。むしろケーキを食べなければ、糖尿病や肥満の心配もなくなり、皆健康になるだろう。
だから、ここで暴論を言わせてもらえば、決して私は、日本の経済活動(及び関連産業)を弱体化したいわけではないのだが、一度CMを一切見ない生活をし、ケーキなどの嗜好品を止める生活をしてみてはいかがだろうか?そうすれば、日本人の貧困や疾病(成人病)は一気に改善されるのではないか?ジャンジャック・ルッソーが言った「自然に帰れ!」とは、そうしたことではないかと、勝手に解釈している。
まづしけれども やすらかなり
山頭火
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?