<短編小説>「ライターと指」
ロアルド・ダール(Roald Dahl)の短編集『Tales of the unexpected 結末が読めない物語』(1945年)に入っている、有名な短編ミステリー「Man from the South南からきた男」は、ご承知の方も多いと思うが、こんなストーリーになっている。
主人公の「私」は、ジャマイカのホテルのプールデッキで中南米系の中年男に出会う。その中年男は、ライターを10回連続で点くか否かを賭けることを、たまたまそこにいたアメリカの若い水兵と行うことになる。「私」は、その賭けの審判を委任される。しかし、この賭けの対象は異様なものだった。中年男は自分の高級車キャデラックを賭け、相手の水兵には指一本を求めたのだ。
賭けは、主人公を審判にして、水兵に付いてきた若いイギリス女も見守る中、9回まで火を点けることに成功する。そして10回目を試そうとした時、中年男の妻が突然現れて、賭けを止めさせた。そして彼女は、「夫は既に何人もの相手と同様の賭けをやっていて、これまでに数十本の指をコレクションする一方、キャデラックも数台失っている。夫は精神的に病んでいて、賭けを止められないでいる。実は自分も賭けをやって勝ったり負けたりした相手だった」と言いながら、既に自分のものとなっているキャデラックのキーを取り上げた手には、親指と一本の指があるだけだった。
私には、この結末がどうも落ち着かない。なぜなら中南米系の中年男と妻の詳しい背景説明(人物造形)がないからだ。そこで、私は考えた。この続編ができるのではないか、と。そして、作ってみたのがこの短編である。
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私は、男の妻―仮りにアンジェラとしよう―の手を見て、彼女の言っていることを理解した。また、賭けを中断された水兵は、アンジェラの手を見ておじけづいてしまい、イギリス女とともにあわててコテージから出ていった。私は、なぜかアンジェラに、夫―彼の名はカルロとしよう―のことをさらに聞いてみたくなり、その場に居残っていた。カルロは、アンジェラが事実を暴露したショックで、ソファーで寝ている。そのぐったりとした姿からは、しばらくは目を覚ましそうもない。
私は、思い切ってアンジェラに話しかけた。
「ありがとうございます。あなたのおかげで、馬鹿な賭け事の審判をやらずに済みました。なによりも、目の前で指を切られるのを見ないで済んだので助かりましたよ」
アンジェラは、私の話に興味はないというように、手にしたキャデラックのキーをもてあそんでいる。たしかに、親指と他の指があれば、キーを持つことはできる。生活への不便はあまりなさそうだ。しかし、それでも人に見せられるようなものではない。そして、既に賭けは中止となり、相手の水兵はいない。アンジェラの役目はもう終わっているから、彼女としては私がここにいることは、正直邪魔でしかないだろう。しかし、私のアンジェラとカルロをもっと知りたいという欲求は、相手の気持ちを思いやるより一層強かった。
コテージの外からは、水兵とイギリス女が大声で話している声が聞こえてくる。きっと、さっきまで遊んでいた友達を呼んで、たった今あった自分の冒険話を自慢げに吹聴しているのだろう。おそらく、既に話には尾ひれがついていて、男の妻が入ってきて止められたが、もう少しのところでキャデラック(実は既に夫の手を離れて妻の持物になっているのだが)を奪えそうだったということになっているのかもしれない。あるいは、10回目に失敗して、もう少しで指を切られる寸前に妻が闖入してきたおかげで、指を失わずに済んだと言っているのかも知れない。どちらにしても、この賭けは成立していないから、キャデラックも水兵の指も変わらずにそこにある。
アンジェラは、キャデラックのキーをテーブルに置くと、私の方を見て、少しだけ頷いた。私はそれを見て、ここで少し話を続ける許可を得たのだと勝手に理解して、話を続けることにした。
「実は、私は小説を書いていまして、今回の出来事はとても興味を呼ぶものでした。いえ、決してあなた方の実名を世に出そうとは思いません。ただ、私の小説のネタに使わせて欲しいのです。そのため、もう少しご主人とあなたのことを教えてくれませんか」
アンジェラは、少し訝しげな表情を見せながら、ようやく私の声に反応してくれた。相変わらず、中南米系にしては流暢な英語を話す。おそらく夫は中南米系だが、彼女はアメリカ人なのだろう。
「・・・けっこうですよ。あなたのお役に立つのなら。今回の罪滅ぼしを兼ねていろいろとお話しましょう」
そう言うとアンジェラは、私からの質問を待つことなく、一方的に話しだした。
「私が夫と知り合ったのは、一年ほど前です。実は、・・・私と知り合う前から、夫はこのような賭けをしていました。最初私は、あなたと同じように、賭けの審判をやらされたのです」
アンジェラは、二本の指で煙草を口にもっていくと、高級そうなライターで火を点け、ふっと白い息を吐いた。
「その時は、夫が賭けに勝って、指をコレクションしました。コレクションは、・・・ほら、あそこの引き出しにありますよ」とアンジェラは、遠くのマホガニー製の引き出しを指さした。
私は、アンジェラの話に小さく驚きの声をもらしたが、彼女が指さす方はなるべく見ないようにした。そこに何十本もの人間の指があると思うと、小心者の私には、大きな恐怖を抑えられないと思ったからだ。やはり、今回の審判を最後までやらなくて本当に良かった。指が切られる場面など、絶対に見たくない。しかし、アンジェラは私の反応を気にすることもなく、冷静に話を続けた。
「慣れとは恐ろしいものですわね。私は、最初はいやいやだったのですが、夫に次の賭けの審判を頼まれると、断り切れずに続けて何度かやってしまいました。そして、その時彼は、常に勝っていたので、私も少しばかりその馬鹿げた賭けに陶酔していたのかも知れません」
「なぜ夫が勝つのか、私はちょっと不思議だと思って、火を点ける3回目以降は、ライターを付けるときの夫のしぐさを注意して見るようにしました。夫は、ただ黙ってテーブルに座っていました。しかし、・・・夫の背中の下に何か黒いものが動いているのに、私は気づきました」
アンジェラは、ここでいったん話を止めた。まるで、「こんなことを言っても信じないでしょうけど」というような、そんな表情を見せながら、持っている煙草を一口吸って、白い息を吐き、少ししてから話を続けた。
「それは、夫の短いズボンの下から出ている尻尾でした。夫は、気づかれないように尻尾を振っていたのです。・・・私はすぐにわかりました。その尻尾から風を送って、10回目にはライターの火を消していたのです」
そう言いながら、アンジェラは寝ている夫の方に視線を向けた。つられて私もカルロの方を見た。ソファーで寝ている彼の足元には、たぶんもう誰もいないと安心したのだろう、犬の尻尾のような毛先が少しだけ見えていた。アンジェラは、私がそれを見たのを確認すると、なぜか少しだけ得意そうな顔をして、私に向かって言った。
「お気づきになりまして?あれは、悪魔の尻尾です。夫は、悪魔なのです。・・・そして、指をコレクションしているのは、人間の指が魂と等しい価値を持つからなんです。夫は、わけあって、地獄から現世に送り込まれています。そして、地獄へ戻るためには、指を666本集めねばならないのです」
私は、このとても信じられない話の展開に、ただ驚くしかなかった。そして、さっきまで興味本位で聞いていた話が、何か聞いてはいけないことを聞いてしまったことに気づき、どうにかしてここから逃げ出す手段を考えねばならないことに、その時に気付いた。私の額には冷や汗が流れてきた。まずい、この汗を彼女に気づかれたら、私は指を失うどころではなくなるかも知れない。
アンジェラは、私の雰囲気を察知したのか、さっきより自信を込めて話を続けた。それは、あまりにも慣れた流暢な口ぶりだったので、まるで犠牲者として選んだ私に、催眠術をかけようとしているように見えた。
「実は、夫のコレクションの中には、私の指は一本も入っていません」
そう言いながらアンジェラは、吸いかけの煙草を灰皿に置くと、さっきまでとは違って、十本の指がきれいにそろった手を私に見せた。彼女がキャデラックを得るために失った指は、いったいどうなったのだろう。もしかしたら、私はそこに指があるように騙されているのだろうか。あるいは、そもそも指の無い手は賭けを中止させるための偽物だったのだろうか。しかし、もし指の無い手が偽物であれば、なぜわざわざ賭けを止めさせたのだろう。
アンジェラは、困惑する私に、さっきまでとは豹変したあやしい笑顔を見せながら、嬉しそうに説明した。
「ふふふ、不思議そうなお顔ですわね。・・・秘密をお教えしましょう。・・・私は、夫と結婚した後、夫に魔女にしてもらったのです。それで、・・・ときどき夫の気持ちを鎮めるために、私の指を切らせるのです。でも、・・・私は魔女だから、指なんかいくらでも生やすことができるんですよ」
アンジェラは、少し勝ち誇ったような顔を見せた。私は、黙って聞いているしかなかった。
「でも、なんでさっき水兵との賭けを止めさせたのかと思われるでしょうね」
「実は、あなたが目の前にいたので、水兵の安っぽい魂でしかない指は欲しくなかったのです」
アンジェラは、煙草を吸って白い息を大きく吐いた。煙草を持つ手はきれいに指が揃っている。まるで、生まれたての赤ちゃんのような肌をしていた。
「私たちは、最初からあなたが作家だと知っていました。・・・だから、わざと審判役をお願いしたのです。」
「そして、今ここに残られることもわかっていました。・・・あら、夫が目を覚ましたようですわ」
ふと、後ろを振り返ると、いつの間にか目を覚ましたカルロが、立ち上がって大きな肉切り包丁を持って構えている。彼のズボンの裾からは、黒く先が尖った尻尾が見えていた。さっきソアーで見えたのとは違っている、まさに絵に描いたような悪魔の尻尾だ。たぶん、寝ているときには悪魔の棘はしまい込まれているから、犬の尻尾に見えたのだろう。
カルロは、私の方にゆっくりと近づいてきた。その姿を恐怖に包まれつつ見ている私は、意識が少しずつ遠くなっていくのを感じた。そういえば、アンジェラと話しているとき、途中からワインを出してもらっていた。それを私はなんの躊躇もせずに飲んでいた。なかなか良いワインだった。おそらく、中南米産の有名なものだろう。しかし、後味に妙なものが少し残っていたことを意識が薄れて行く中で思い出した。そうか、あれは睡眠薬だったのかも知れない。
私が朦朧とする頭の中でそんなことを考えていると、アンジェラの話し声がだんだん遠くなっていったが、それでも私は、最後まで聞き取っていた。
「作家の指は、水兵などの指よりも価値があるんですよ。だって、その指でご立派なことを沢山お書きになるでしょ?だから、最初から主人も私も、あなたの指を狙っていたんですよ」
私は、どうやら眠ってしまったらしい。しかし、コテージのがらんとした部屋の中で、アンジェラの誰に話しかけるでもない勝ち誇った声が、外にいる水兵とイギリス女にも少しだけ聞こえていた。
「もしもし、・・・まだ私の声が聞こえていますか?・・・あなたが飲んでいるそのチリワイン、魔女特性の睡眠薬が入っていますのよ。そして、この睡眠薬は鎮静効果もあるから、指を一本くらい切られても、あまり痛みは感じないかも知れませんわね。おほほ」
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