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<短編恋愛小説?>夏次郎の恋


はじめに


 「恋愛小説を読ませてください」というリクエストをもらったが、私には恋愛小説とか恋愛ドラマとかは、まったく苦手な世界で、苦手ということではカラオケ、ディスコ・クラブ、ポピュラー音楽のコンサート、盆踊りと同じくらい、はっきり言って「嫌い」な分野だ。

 例えば、不良の男子高校生に勉強のできる女子高校生が惹かれて、パターン化したキャラクターの同級生・教師・家族を巻き込む話、大学のサークル内の三角関係がもつれた話(私は、このフレーズに連合赤軍大量殺人事件をイメージしてしまう)、妻子ある中年がキャバクラの若い女に入れ込む話、婚期を逃した女が年下の男から慕われる話、カップルの片方が難病で死ぬ話(『愛と死を見つめて』)などなど、もう正直鳥肌が立つくらい、そしてJ.D.サリンジャーが嫌悪したチャールズ・ディケンズの『デイヴィット・カッパーフィールド』ぐらいに、嫌いで仕方ない。

 ということで、私が恋愛物語を創作することには大きな壁があるため、既にある物語を日本風に脚色することで、お茶を濁そうと考えた。参考とするものは、もちろん海外のものだが、例えば、プロテスタントとカソリックの諍いがテーマになっている『ある愛の詩(ラブストーリー)』とか、イタリアの都市国家内の陰惨な政争が背景になっている『ロメオとジュリエット』のタイプを使えれば良いのだろうが、どうもこの手のものも、人工甘味料的にロマンティックすぎて私の趣味には合わない。私は、わさびやマスタードのような、鼻につーんとくるような風味が、文学でも好きなのだ。

 それで、一般的に想定する恋愛のイメージとは色合いが異なるが、ヨーロッパ文学史上の最高傑作のひとつである、ジョバンニ・ボッカッチョ『デカメロン』の100種類の物語から、「ナスタージョ・デリ・オネスティ」の話を選び、これを日本の明治時代に置き換えてみた。この物語は、私が嫌悪するような普通の恋愛話からは、相当に縁遠い範疇に入ると思うが、それでも主人公にとっては立派な「恋愛物語」になっている。

 なお、この物語の有名な場面をボッティチェリ・ブオナローティーが見事な絵画にしている。ご関心ある方は、検索されることをお勧めする。(余談だが、ルネサンスの天才画家ボッティチェリの才能は「ヴィーナスの誕生」や「プリマベーラ(春)」よりも、こうした物語性のある作品に最も発揮されているように思う。)

登場人物


 参考までに、物語に入る前に、14世紀イタリア・ラヴェンナを舞台にしたものから、日本を舞台に移し替えた主な項目を紹介しておく。原典のイメージから日本の明治時代のイメージへのトリップという、別の味付けの材料になれば、幸いである。

明治14年頃。季節は初夏。
ナスタージョ:夏次郎 金沢の元下級武士 30歳
トラヴェルサーロ家の娘:虎上家の三女 豪商
キアッシ(地名):犀川 郊外
ラヴェンナ(地名):金沢 城下町
騎士グイド・デリ・アナスタージ:武士 那須岡義邦 夏次郎の40歳年上
グイドが愛した女:殿様の奥女中の一人

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物語本文

 明治14年といえば、旧幕時代の武士たちが仕えていた殿様が、いつのまにか爵位を得て洋装をするようになった一方、武士としての記憶が未だ新鮮に残っていた時代だった。その頃の金沢という、京都からほど近い城下町での話である。

 この城下町には、北前船の貿易で巨利を得た豪商として名を知られる、虎上家という一族がいた。豪商だけあって、その一族は金沢の街では知らぬものがいないくらいの権勢を誇っていたが、所詮は商人であったため、金沢の街の者からは、「強欲」といったよからぬ評判も同時に得ていたのである。

 一方、旧幕時代は殿様に使えていた武士階級の者は、維新後は落ちぶれたとは言え、武士であったことを誇りにしていたが、そうした空威張りのような気持ちは下級武士であるほど妙に強いものとなっていた。夏次郎、と言う名の元武士であった青年も、未だ嫁も取らずに既に30歳を迎えていたが、そうした中の一人だった。

 ある日のことだった。ちょうど城下が夏祭りで賑わっている夜、遊び仲間と安酒で浮かれていた夏次郎は、虎上家の末娘の姿を偶然見かけた。虎上家には三人の娘がいたが、いずれも「強欲な親から生まれた、珍しい器量良し」として噂されており、中でもその末娘は誰もがほれぼれとするような美しさであった。夏次郎は、世間の者と同様に虎上家を強欲な連中と見下していたのだが、もともと恋愛に奥手だったこの青年は、虎上家の末娘を見た直後から、その顔と姿が頭から離れなくなってしまった。

 「人の心というものは顔に表れるというが、あの女がもしそうなら、心は強欲でもなんでもない、きっと清純なものであるに違いない」と、夏次郎は勝手に思い込み、その末娘の姿をますます美化していくとともに、恋慕の思いを日々深くしていった。そうして、どうにか末娘を一目でも見たいと思い、なんの用事もないくせに虎上家の店先を訪ね、そこで時間をつぶすことが多くなった。そのうち、末娘が店先で京都から仕入れた商品を売る姿を見かけてからは、毎日虎上家の店に行き、末娘が売る品を買い求めるようになった。

 もちろん、元々が下級武士の家であったため、夏次郎が虎上家の商品を際限なく購入できるほど潤沢な資金など持っているわけがない。そうして毎日虎上家の店に通ううちに、夏次郎は親から残されたわずかばかりの家督を食いつぶし、もはや破産目前と言う憂き目になっていた。夏次郎が、こうまでして虎上家の店に通い詰めたことをその末娘は知っていた上に、夏次郎が自分を目当てに来ていることも承知していた。しかし、もとより強欲と揶揄された豪商の家に生まれた、気位の高い娘である。外見の美しさは内面の美しさの反映ではなかったのだ。虎上家の末娘は、貧乏武士のなれの果てでしかない夏次郎の求愛など、まったく気づかぬふりをしていたのだった。
 
 このような夏次郎の窮状を心配した親戚筋は、夏次郎に対して、しばらく山奥の庵に籠ることを薦めた。失恋に加えて貧困という心身の傷が癒えぬ夏次郎は、この親戚筋の忠告を聞きいれて、金沢の街からは近い、犀川の上流に仮居を構えることにした。季節は初夏の頃、犀川を眺めていると、川面からの薫風が夏次郎の心を癒してくれるように思えてくる。夏次郎は、犀川に沿ってゆったりと歩きながら、仮小屋を作れるどこか良い川べりを探した。仮小屋を作ったら、のんびりと魚釣りでもしながら、ひと夏を過ごそうと考えていた。

 ちょうど太陽が真上に昇る少し前の時刻だった。人が必死に走る音と馬のいななきが聞こえてきた。犀川の上流から、肌襦袢だけの若い娘が裸足でこちらに向かって駆けてくる。近づくにつれてよく見ると、女の顔には酷い恐怖の表情があり、なおかつ死人のように青白い。そして驚くことに、女の後から白と黒の獰猛な猟犬二頭が、口から涎を垂らしながら追いかけている。さらに猟犬の後には、勇ましい甲冑姿の騎馬武者が鬼の形相で疾駆していた。

 夏次郎は、若い娘が「お慈悲を!お慈悲を!お助けください!」と叫ぶのを聞いた。その時二頭の猟犬は、女に追いついて両の足に噛みつき、女が逃げるのを止めさせていた。夏次郎は、思わず女の前に立ち、騎馬武者に向かって「か弱い女になんと惨いことをする!」と叫んだ。夏次郎は、女を助けようとしたのだ。

 すると、その騎馬武者は馬を止めて、夏次郎に向かって叫んだ。
「お前は夏次郎だな。まだ子供だった頃をよく知っている」
夏次郎が、「あなたは私が誰かを知っているようだが、私はあなたのことを何も知らない。せめて名前だけでも教えていただきたい」と返すと、騎馬武者は話を続けた。
「俺は、那須岡義邦というものだ。徳川の世では、殿様の台所係をしていた。お城の台所には、殿様に使える奥女中が何人か出入りしていたが、そのうちの一人を俺は見初めた。そして、俺のものになれと伝えたが、その女は拒絶した挙句、殿様にご注進した。俺は、殿様のお怒りを買い、死罪となった」
 騎馬武者は、猟犬が女を捕まえている姿を確認しながら、話を続ける。
「俺は、その後地獄に落ち、閻魔大王の前に進んだ。俺は大王に全てを説明した。すると大王は、俺を哀れみ、その奥女中を流行り病にかからせて殺した。女も地獄に落ちたが、俺も女も、そのままでは済まないことになった」
 猟犬に両足を嚙まれ続けている女が、泣き叫んでいる。
「閻魔大王は、俺と女を成仏させることはせず、この地上に彷徨わせることにした。そして、俺は女を猟犬とともに追跡し、追いついた後は女を八つ裂きにすることを命じられた。俺の女に対する復讐だった。しかし、女は殺されてもすぐに元の姿に戻る。これを100年の間、毎日繰り返すことによって、女も俺も成仏できると閻魔大王は決めたのだ」
 
 ここまで夏次郎に話した騎馬武者は、夏次郎の制止などまったく目に入らないように、猟犬が噛みついている女を、きらめく太刀で八つ裂きにし、その肉を猟犬にむさぼり食わせた。すると、猟犬が食べ終わった頃、女はなにごともなかったように、元の身体に戻り、また「お慈悲を!お助けください!」と叫びながら逃げ出していった。

 騎馬武者は、「俺は、こうして一日中女を追っているのだが、100年の間これをやり続けることによって、自分も女も成仏できるのだ。惨殺するのは、自分の恨みや辛みだけではない。自分も女も成仏するためにしているのだ」と言った後、
「毎日この時刻にこの場所を通る。また会いたいのであれば、ここに来るが良い」と言い残して、再び女を追っていった。

 翌日、金沢の街に戻った夏次郎は、わずかばかり残っている全財産をかき集め、末娘を含む虎上家の人々を、犀川上流の野立てに招待した。初夏の頃という季節もあいまって、虎上家の人々は喜んで、夏次郎の招待に預かった。いや、強欲と言われたこれらの人々には、夏次郎からもっと搾り取ってやろうという気持ちが、心のどこかにあったのに相違ない。

 夏次郎が野立てを行ったのは、騎馬武者が追跡行をしていた場所である。時間も正午前と騎馬武者が現れたのと同じにした。そして虎上家の人たちは、夏次郎が見たものと同じ恐ろしい惨劇を目の前で見て、酷く驚いた。わなわなとおびえている虎上家の人たちに対して、騎馬武者が夏次郎にしたのと同じ事情を説明した後、とりわけ末娘の顔は蒼白に変わり、その場に呆然と座り込んでいた。虎上家の人々は、末娘に言葉にならない言葉を投げかけながら、夏次郎からの求愛に答えることを震えながら要求した。

 その数日後、虎上家の末娘は夏次郎に嫁入りした。そして婚儀費用の全ては虎上家が負担しただけでなく、夏次郎は虎上家の分家となり、京都で高利貸業を営むことになった。嫁入りした末娘の夏次郎に対する気持ちが、恐怖から親愛に変わったか否かについては、虎上家や夏次郎の家族には、何も伝わっていない。


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