<旅行記>二泊三日、道東と知床の旅(後編)
2.第二日 川湯温泉、知床斜里、知床五湖、ウトロ温泉、知床ナチュラルリゾート
翌朝、いつものように午前五時くらいに目が覚めるので、朝風呂に行く。誰もいないだろうと思っていたら、先客が二人ほどいた。貸し切りを期待したが、誰もが考えることは同じだから、仕方ない。朝の肌寒い中の露天風呂に入った後、室内に入り髭を剃る。低温の乳白色の湯に入ると、髭剃り後によく沁みる。こうして傷も治るのだろう。部屋で朝のニュースを見ているうちに時間が来たので、別棟にあるバンケットルームへ、ブッフェ式の朝食を食べに行く。さすがに、満席になることはないが、10組ほどがすでに食事をしている。私たちが付いたテーブル近くでは、韓国人夫と日本人妻のカップルが食事をしていたが、夫は小食なのに対して、妻は大食だった。というよりも、日本食が懐かしくて美味しいのかも知れない。そんな気持ちがよくわかる。ところで、我が家はどうかと言えば、夫婦ともに大食です。
チェックアウトをしていたら、フロント近くで韓国人グループがホテルの支配人らしい人と雑談していた。「これから知床に行きます」という声が聞こえたので、これから先、私たちと一緒に行動するのかな?と思ったが、彼らはガラガラとスーツケースを引きながら、ホテルの駐車場へ向かって行った。レンタカーを借りているのだろう。日本語しかアナウンスされない鉄道や路線バスを利用するのは大変だし、荷物が多くなる外国人にはレンタカーの方が便利だ。
ホテルから最寄りのバス停である大鵬記念館前に向かう。朝の空気がとても心地よい。大鵬記念館近くの白樺の林が、いきいきとした夏の色を見せている。再び阿寒バスに乗る。後から乗車してきた女性が突然「ハチ!ハチ!」と叫びながら、席を立つ。発車前だったので、行きに乗ったバスと同じ運転手がハエ叩きを持って、座席付近を動き回るが、なかなかハチが見つからない。私たちは、後部座席でその姿を見ながら、窓を少し開けて、ハチの逃げ道を作ってあげた。ハチは逃げずに、運転手に叩かれて(窓に押されて)床に落ちた。「ハチ!ハチ!」と叫んでいた女性は、バスの中でしばらく佇んでいたが、そのうち気持ちの整理がついたのか元の座席に戻った。そして、バスは発車した。そういえば、ハチを間近に見ることは、東京ではなくなっていることに気づいた。ハエや蚊も見かけなくなった。まるで朝から濃霧のような殺虫剤を撒いているシンガポールのようだが、たぶんごみ処理がしっかりしている成果だと思う。ブラボー!清掃局!しかし自然あふれる夏の道東では、ごくありふれた光景だと思う。命はどこにでも生きているのだから。
川湯温泉駅に着く。次の列車が来るまで誰もいないベンチで待つ。駅舎の外にあるペンキの剥げかかった案山子の看板だけが、私たちの見送りをしてくれる。今日も良い天気だ。空が青い。単線だが、どっちのホームに列車が来るのかしばし迷うが、家内が「こっちよ」という駅舎がある側で待っていたら、その通りに列車がやってきた。列車内には、既に観光客らしい人たちが大勢乗っていた。席に座って、窓外の景色を眺める。暑いが、車内にある温度計をときおり確認に来る運転手は、扇風機のスイッチを入れる温度ではないと判断しているようだ。ローカル線だが、駅に停まる度に、地元民よりも観光客がどかどかと乗り込んでくる。大阪のおばちゃんグループが乗り込んできた後、「暑い、暑い」と言いながら、私たちの席近くに座って窓を開けた。涼風が入ってきた。おばちゃんたちは、その後違う席に移動したが、窓を開けたおばちゃんは、「閉めな、あかんな」と言ったので、私は「いいえ、ちょうど良いです」と反応した。
ローカル線は森の中を進み、知床斜里駅に着いた。最近木製に建て替えたようで、瀟洒なデザインの小さな駅舎だった。そこからすぐ近くにある知床斜里バスターミナルに行き、ウトロバスターミナル行きバスのチケットを買う。私が、発車までの時間を外の空気を味わいながら、ベンチで休んでいたら、愛想の良い若い運転手が挨拶してくれた。そして、その運転手は、別のバスを運転する運転手や女性従業員に自動販売機のドリンクをごちそうしていた。良い天気だから、冷たいドリンクが旨い。バスの準備ができたようなので、乗車して出発を待っていたところ、中国人グループが複数、わさわさと大荷物を持って乗車してきた。彼らも知床へ行くのだ。何しろ日本の誇る世界遺産なのだから、外国からの多くの観光客が来て当然だろう。どうぞ沢山お金を使ってください。
バスは、まもなく発車し、知床へ向かうオホーツク海沿いの道を快適に走る。中国人観光客たちは、立派な一眼レフのカメラや携帯電話で窓外の風景を撮りまくっている。何を見ても面白いらしい。私も窓外の北海道らしい広大な畑を見ながら、ふとどこかで見たような景色だなと思い出した。そういえば、ルーマニアの郊外を車で旅したとき、同じような風景を見ていた。ルーマニアは、小麦やトウモロコシの畑だったが、道東はじゃがいもやトウモロコシの畑の違いで、そこに見える景色はほとんど同じだった。
バスは知床半島に入った。珍しく途中のバス停に停まる。外を見ると壮大な滝が見える。「オシンコシンの滝」とバス停に書いてあった。観光名所なのだろう。昨日の朝まで雨だったせいか、水量がかなり多く見える。気づくと、滝の麓近くに数人の観光客がいた。再びバスは、左を海、右を山という崖沿いの道をくねくねと走っていく。次にバスは、山道をぐんぐんと登っていった。さっきまで近くに見えたオホーツクの海が、だんだんと遠くなり、道の両側はうっそうした木々に包まれていく。そうして今度は、バスは山を下っていき、再び海岸沿いの道に戻った。左側にあるのは小さな漁港のようだ。街並みが見えてきた。その中に小さなウトロバスターミナルがあった。先客として数人の中国人家族がターミナルの中にいた。子供がそこいら中を走り回っている。家族旅行は、子供にはとても楽しいと思う。
私たちの今日泊まるホテルはこのウトロの町にある。またこれから始まる知床観光を身軽にするため、荷物をロッカーに預けた。最近の東京に多いタッチパネル式ではなく、昔ながらの現金と鍵だけのロッカーに、なぜか安心してしまう。バスは間もなく発車した。再び山道を登る。周りは原生林のように見える。そのうち木々が少なくなったところに、終点の知床五湖パークサービスセンターが見えた。知床に着いた。まずは、そこにある売店でランチを摂る。私は鹿肉バーガー、家内は鮭バーガーを選んだ。鹿肉は、臭い消しのためだろうか、香辛料がかなりきつい。鮭はマリネーしたものだったが、家内は焼いたものをイメージしていたらしい。冷たいこけもものジュースが旨い。外はかなり良い天気だ。空はひたすら青く、静かに移動する薄い雲は白く、山は木々の緑に覆われている。心配した気温は暑いくらいで、虫たちも気にならない程度だ。
ランチを摂って一休みした後、知床五湖の最初の湖まで設置された木製の高架歩道を歩いていく。Tシャツと短パンにサンダル履きの人もいれば、しっかりした登山姿の人もいる。ベビーカーを押す中国人家族もいる。公式ガイドには、「虫除けのためにも、長袖、長ズボン、帽子、しっかりした靴をお勧めします」とあるが、そこまでは不要に見えた。たまたまこの日は身軽な服装でも大丈夫な気候だったのかも知れない。また、さすがに高架歩道の下を歩く場合は、もっとしっかりした装備が必要だろう。私たちは、半袖、長ズボン、運動靴、帽子にサングラスで歩いていった。歩き出してすぐに、カッコウの歌声が大きく聴こえる木があった。立ち止まって清聴する。観光客を歓迎するようで、とても気分が良い。知床のカッコウは、かなり愛想が良いらしい。
そこからさらに歩いていくと、途中に見晴らしの良いポイントが数か所あり、すべての場所で中国人グループがわいわいと写真撮影していた。また韓国人カップルが長い時間をかけて自撮りをしている姿もあった。彼らは、私たちが近くに来ると、なぜかさっと動き出していく。私の姿は、なにか怖いレンジャーみたいに見えるのだろうか?
さらに歩き続けると、観光客が歩道の途中で大勢立ち止まっているところがあった。近づくと、遠くに鹿がいるのが見えた。笹の中に入って、たぶん若葉を食べているのだろう。こちらの騒がしさをまったく気にせずに食事をしている。たぶんかっこうのような愛想などを気に留めない鹿は、そのうち深い笹の中に隠れてしまった。
鹿から少し先に歩くと、高架歩道からオホーツクの海が遠くに見えるところがある。途中の笹の絨毯の中にポツン、ポツンと樹木があり、その向こうの木々が多くなっている先が海岸だ。そこに真っ白い霧が発生している。遠目に見るからか、海の青、木々の緑、霧の白が織りなす光景が、とても幻想的で美しい。あのグラデーションのように流れていく霧の中から、オホーツクの天女が数人出て来ても不思議でない、そんな雰囲気を感じた。
次の見晴らしの良いポイントに着く。くねくねと流れる高架歩道が作るリズムが美しい。またそこにいる人が多くないことも嬉しい。この風景に人並の多さは野暮になる。ハイシーズンを外すことの醍醐味だ。やがて高架歩道の終点に着いた。そこには満々と青い水を湛えた湖がある。水草が気持ちよく浮いている。遠くに知床の山々が見える。手持ちの小型望遠鏡を覗くと、山頂近くの一部には万年雪が残っていた。この雪解け水が、今見えている湖を作り、周囲の植物を繁茂させている。まさに命の源となる山々だ。その姿は、どこか神々しく見える。そして、相変わらず良い天気だ。少し暑く感じるが、不快ではない。たぶん、知床の風が心身を癒してくれるのだろう。ここのベンチに座って、しばらく知床の自然を堪能することにした。時間は、空の雲が流れるように、ゆっくりと過ぎていく。
知床五湖サービスセンターにあるバス停に戻る。帰りのバスまでの時間はたっぷりとあるので、そこでしばらく佇む。高架歩道の入口や駐車場に、欧米人家族や友達連れを多く見かける。しかし、なんといっても中国人グループ、しかも家族連れが多い。彼らは、旅行を大いに楽しんでいる。人生も、さぞかし楽しいだろう。今日はほんとうに良い天気だ。遠くに見える山が、ますますくっきりと見えている。そのうち隣に座った人が、携帯電話で仕事の長話を大きな声でしているのが聞こえた。私にはもう仕事は関係ない。携帯電話の仕事の呼び出しが、例え休暇中でも夜中でも突然やってくることは、もうない。ようやく定年退職から一年余をかけて、私の「携帯電話恐怖症」は改善したようだ。私は、やっと「普通の心理状態」に戻れたのだ。
やがて帰りの知床バスが来た。行きでも運転していた親切な運転手が、二人だけの乗客である私たちの姿を見ると、「来るときに、今年初めて熊を見ましたよ。熊がいたら停めるので、写真をどうぞ」と教えてくれた。私たちは、期待に胸を膨らませてバスに乗り込んだ。5~6分した頃だろうか、前方の道路沿いに熊がいた。運転手が急いでバスを停めてくれる。かなり距離は近い。バスの中からだが、だいたい2mくらいだろうか。熊はこちらを意識していないようで、道端の草の中で餌を探している。私は、窓ガラスを開けて急いで写真を撮る。何枚か撮った後、親切な運転手が「そろそろ・・・」と声をかけてきた。私が「あっ、迷惑かけたかな?」と思ったとき、家内が「ありがとうございました!」と運転手に声をかけたので、私もそれに続いてお礼を言った。知床バスの運転手は、森のかっこうよりも愛想が良い。
その後は、熊も鹿にも遭遇せずにバスは進んでいき、次の停車場に着く。そこで、二人ほど新たな乗客を乗せてから、終点のウトロバスターミナルに着いた。降りるとき、親切で愛想の良い運転手にまたお礼を言った。バスターミナルから家内がホテルに電話して、迎えの車を依頼する。バスターミナルには、相変わらず中国人家族数人がいて、どうやら札幌行きのバスを待っているようだった。中国人家族のがやがやと札幌行きバスに乗り込む大騒ぎが終わった後、ホテルからの迎えが着た。ミニバンに乗り込み、バスターミナルから、「温泉地区通行禁止」と書かれている道を通って、ホテルに着く。たぶん「通行禁止」なのは、ホテルに無関係な車なのだろう。ホテルは、まだ新しくて玄関が広く立派だ。世界遺産に認定された経済効果だろう。また、世界遺産認定が知床地域の雇用促進にもつながっているのは、とても良いことだと思う。
チェックインして部屋に入る。新しくきれいで、その上おしゃれなデザインのホテルなので、家内が喜んで室内の写真を撮っている。その間、私は撮影の邪魔者なので、浴衣に着替えもせずに、ただじっと隅で待っていた。ふと窓の外を見ると、大きな夕陽に沈むオホーツク海が見えた。海の風景は気持ち良い。浴衣に着替えて温泉に行く。チェックインの時に鍵を二つにしてもらったので、家内と同時に行動できるのが嬉しい。ここも貸し切り状態ではなかったが、広い湯船に浸かるのは気持ち良いものだ。知床を歩いた疲れも取れる。しかし、温泉の泉質は透明で、水道水を加熱しているように思えた。温泉を比べたら、乳白色の川湯温泉の方が良かったと思うが、贅沢は言えないだろう。
夕食のブッフェは、川湯温泉より、こちらの方に軍配が上がった。敢えてケチを付ければ、和食よりも洋食が多いメニューだったことくらいだ。それから、親切だなと思ったのは、子供用の低いテーブルに、子供の好きな、ミニハンバーグ、ナポリタン、ポテトフライなどのブッフェを用意してあったことだ。ところが、たまたま近くの席に座っていたので、なんとなく私の視界に入ったのだが、これらの子供用ブッフェを大勢の大人が取っている。わざわざ子供用のブッフェを取らなくても、大人用の肉、魚、珍味、揚げ物、煮物、サラダなど沢山あるのに、なぜなのだろうと私は思ってしばし悩んでしまった。家内が言うには「大人だって、好きなのよ」ということらしい。
この後、私は夜の露天風呂に行った。夜空が心地良い。その間に家内は、一人で星空ツアーに行った。部屋に戻ってきて、キツネが見えたという報告があったのを、私は半分寝ぼけた耳で聞いていた。連日の長時間にわたる課外活動で、私の老体には疲労が蓄積している。その上、夕食時にいつものように大酒を飲めば、あとは熟睡のみだ。
3.第三日 ウトロバスターミナル、網走バスターミナル、オホーツク流氷館、モヨロ貝塚、女満別空港、羽田
この日も二日酔いになることもなく、翌朝5時に起きて朝風呂に行く。もし大酒飲んでも、つまみや飯を沢山食べている上に、温泉で汗をたっぷりと流しているから、アルコールも自然と抜けてしまい、悪酔いしない。温泉は実に素晴らしい。そういえば、今朝は男湯と女湯が入れ替わっていた。気分が変わって良いと思う。朝風呂には、誰もいないことをちょっと期待したが、やはり先客が二人ほどいた。しかし露天風呂は貸し切りだったので、朝の冷たい空気と熱い湯を独占してのんびりと味わった。そして室内に入り、髭剃りをする。その後低温の湯に浸かり、髭剃り後を癒す。川湯温泉のようには、髭剃り後が沁みてこない。なにか温泉の効能が低い気がした。私の髭剃り後は、温泉の効用チェックメーターになれそうだ。
朝食のブッフェのためレストランへ向かう。夕食時と同じに、様々な料理が並んでいる。とりあえずカプチーノを飲もうと思って探したら、コーヒーマシンには長い列ができていた。仕方なくお茶を取り歩いていたら、後ろで妻が夫に怒っている声が聞こえる。なんでも、夫が先にコーヒーマシンでコーヒーを入れる途中、なぜか別の料理を取りに行ってしまい、カップをそのままにしていたようだ。妻は、誰かが取りに来るのだろうと思い、律儀にもしばらく待っていたため、妻の後ろは大行列になってしまったのだ。他人のことを考えないマナーの悪さが、こうしたところでは大問題になってしまう良い例だ。妻が怒るのも当然だと思った。その後、幸いに列が途切れたので(マナーの悪い人がいなければ、列はできないのだ)、再び並ぶ。私の前に並んだ婦人が、たぶん夫の分ということでカップ二杯分を入れていたが、私のことを気にしてちょっと恐縮していた。ごく普通の日本人は、こういう美徳を持っている。
ホテルのフロントが混み合わないうちに、夕食の酒代や家内が購入した土産品などの清算をした後、ウトロバスターミナルまでホテルの車で送ってもらう。乗客は私たち以外にもいたが、特に挨拶は交わさなかった。その年配の女性は、送迎車の運転手にも挨拶をしていなかったから、きっと挨拶が嫌いな人なのだろう。バスターミナルには、相変わらず今日も中国人グループが多数いた。今度は長距離バスで釧路空港に向かうらしい。大きな荷物と、騒ぎまわる子供たちとともに、バスは出発していった。私たちは、来た時と同じ知床バスで、網走バスターミナルに向かう。今回は外国人客を車内にみかけないが、私たちのような高齢の旅行者が数人いるだけだった。大きな荷物がないせいだろうか、ちょっと、バスが空いているような気分になった。
しかし、車内がけっして空いていたのではなかった。バスがウトロの町を出るまでに、なんと5~6か所のホテルに次々に立ち寄って、乗客を拾っていったのだ。そして、あっという間に満席に近くなってしまった。朝一番という時間も時間だから、大勢乗ってきて当然だと、後から気づいた。しかし、私たちの泊まったホテルにも立ち寄ったときは、わざわざバスターミナルに向かう必要はなかったことを知って、少しばかり不快な気分になった。移動しなくても良いということよりも、なにか、ついさっきホテルから出発したのに、まるで忘れ物でもしてホテルに戻ってくる気分にもなったためだった。それでも、早めにバスターミナルに行って時間の余裕ができたので、しばしバスターミナル付近を散策する時間を持てたのは良かったと、自分を慰めて心の整理をした。
バスは、知床の山を上り下りしながら、オホーツク沿岸の道に出て、波静かな海に並走するように疾走して網走に向かっていく。行きに見た風景ばかりなので、新鮮味は少なかったが、海を走る船の姿に爽快な気分になった。漁船だろうか、観光船だろうか。割合早いスピードで進んでいる。そのうち遠くに割合に大きな港町が見えてきた。バスの終点となる網走の町だ。海沿いの道から街中にバスが入ったなと思った後、まもなく網走バスターミナルに着いた。しかし、そこはターミナルというよりも、小さな小屋があるだけのバス停というしかない場所で、あまりにも鄙びている。そのため、荷物を預けられるロッカーもないのかと思い、今回の旅行で最大の失敗になったと思っていたら、道の反対側に立派なバスターミナルビルが見えた。停車したところは、文字通りにたんなるバス停だったのだ。私たちは、バスターミナルがあることに気づくまで時間がかかってしまったため、とりあえず、荷物を持ったままランチの店へ行くことにした。
バス停から歩いてすぐの寿司屋を、ツアコンである家内がネットで探していた。この日は休みの可能性もあるので、念のためバス停から電話した後で向かった。こじんまりした店のカウンターの後ろに荷物を置き、カウンターに腰かけて、ビールとランチセットを頼む。ときおり、ワインや日本酒には裏切られることもあるが、ビールはいつでも裏切ることはない。地元オホーツクで獲れた捕れた寿司ネタが旨い。板さんが、私たちの会話に入ってきて、市内バスの運行状況、過度のコロナ規制による営業の圧迫、季節による寿司ネタ(冬は流氷のため、オホーツクの魚は獲れない)、観光客の増減など、世間話をした。若い地元の板さんだが、この店は観光客にも人気の店らしく、予約の電話が入ってくる。
ランチを終えて、到着した鄙びたバス停の反対側にあるターミナルビルに向かう。ウトロのものと同じくらいの広さで、知床斜里よりはやや小さく感じた、そんな規模のバスターミナルだが、ちゃんとロッカーやトイレ、そしてチケット窓口がある。なんと立派なバスターミナルではないか。網走を馬鹿にしてはいけない、と自分を叱責する。すぐに荷物をロッカーに入れて、期間限定の観光用循環バスが来るのを待った。循環バスは、網走監獄跡やオホーツク流氷館に向けて出るので、やはり、中国人グループがどかどかと立派なカメラを抱えて乗り込んできた。バスは予定どおりに出発する。観光用とはいえ、市内を走るため、しばしばバス停に停まり、地元の人たちが乗り降りしてくる。バスが、右手に網走川を見ながら走行していると、現在の網走刑務所が見えた。カメラを構えた中国人の一人が、近くの中国人に刑務所を指さしながら、嬉しそうに撮影している。もしかすると刑務所に昔いたのだろうか。または高倉健のファンなのかも知れない。
バスは、幹線道路の交差点から坂道を上がっていく。天都山という小山があり、その中腹にある網走監獄跡博物館のバス停に停車した。バスは、監獄跡の門の外に停車するのではなく、門をくぐった中の駐車場に停まるので、まるで監獄を出入りするような感じになる。そのため、ちょっとばかり収容者になった錯覚がする。つまり、門をくぐって入所し、門を出て出所するのだ。「娑婆の世界は良いなあ」というセリフが浮かんでくる。映画の中の高倉健もこういう気分だったのかな、と思った。そういえば映画『幸福の黄色いハンカチ』で、網走刑務所を出所した高倉健が、まず近くのラーメン屋に入って、瓶ビールを頼み、とても美味そうに飲み干す場面がある。それで私は、バスの沿線に、それらしいラーメン屋はないかなと思って探していたら、一軒だけ見つかったが、映画の寂れた雰囲気は、さすがになかった。映画公開時からもう40年は経っているから、期待する方に無理がある。網走を馬鹿にしてはいけないのだ。
天都山の頂上にオホーツク流氷館はある。循環バスが着いたのと同じタイミングで、老人グループを乗せた観光バスが到着する。バスガイドが、まるで幼稚園児に話しかけるようにして、老人たちの移動をサポートしている。なんだろう、介護の問題でもあるけど、敢えて幼児語を使う必要はないと思うのだが。天邪鬼の私なら、すぐに「私はよぼよぼのジジイだが、決して脳細胞は幼児のレベルではないですよ」と、皮肉を言ってしまうだろう。
生憎と老人グループと入館が同時になってしまったが、館内で自由行動ができる私たちは、老人グループと時間差を取りながら見学していった。入口近くに、マイナス15℃を体験する施設がある。レンタルのコートを着て、受付で濡らしたタオルを借りて中に入る。たしかに寒い。また中には、本物の流氷が置いてあり、その上に剥製の海獣たちが陳列されている。家内から言われて、借りている濡らしたタオルを振り回してみる。すぐに凍り付いて固くなった。でも、それだけのことだ。子供は面白がるかも知れないが。幸いに鼻水や息が髭に凍ることはなかった。
・・・思えば2023年3月までいたブカレストでは、この施設と同じくらいの気温しかない冬の屋外で、なかなかこないトラムを毎朝待って通勤していた。雪がしんしんと降る朝もあったし、夜半からの積雪で膝まで長靴で埋まりつつ歩いた朝もあった。もちろん防寒用の下着を着て、耳までかぶさる帽子やマフラーをしていたので、寒さを耐えることができたが、肺の中は苦しかった。出勤時間に朝日が見えて、鳥たちが騒ぎだしてくると、ああ春が近いのだなと嬉しくなったことを、私は懐かしく思い出していた。
その後、天使のような形状のプランクトンであるクリオネがいる水槽を見てから、屋上展望台に行く。夏の風が心地よい。オホーツクの海、網走湖、遠くの湿原などが一望できる、良い展望台だ。しかし、空が少し曇っていたため、残念ながら知床半島までは見えなかった。摩周湖の摩周山も霞んでいたが、快晴ならくっきりと見えたことだろう。それでも、道東の広さと自然を感じることができる、良い場所だと思った。天都山という地名が相応しい。
ふと気づくと、私の右側を大きな鳥が、悠然と飛んでいくのが見えた。かなり間近で、手を伸ばせばつかめるようだ。ようく見てみると、黄色いくちばしは尖り、目は鋭く、顔は白い。さらに大きな翼は茶色に染まっている。鷲だった。鷲は、私に自分の存在を十分誇示できたことに万足したのだろうが、右にゆっくりと旋回しながら飛び去っていった。私は感じた。もしかすると、道東の神が私に挨拶してくれたのかも知れない。ありがとうございます。私は、幸いに腰痛・膝痛が悪化せずにちゃんと歩けています。何よりも、ビールは高倉健さんよりも美味しく飲んでます。
私たちは、屋上展望台を下りた。一階の売店で家内がソフトクリームを買う。一人では食べきれないということで、私が半分もらう。オホーツクの塩が上に載っていて、かなりしょっぱいが、でも旨い。その後、流氷館の外に出て、付近の草花や木々の写真を撮りつつ、循環バスが来るのを待った。小さくても山の頂ということもあり、吹く風がとても心地よい。季節は夏なのだ。そして空は良い天気だ。このままここで、冷たいビールを飲んでから、そよ風の中で昼寝を楽しみたい。その時私は、もしかしたら、さっきの鷲が見えないものかと探してみたが、とっくに姿を隠してしまったようだ。「神様、ごきげんよう」と私は、心の中で挨拶をしておいた。そのうちに、循環バスが上ってくるのが見えた。
来た時と同じに、循環バスは、網走監獄跡の門を出入りし、また今度は左側に網走刑務所を見ながら、網走川沿いを走る。まもなく出発地点だったバスターミナルに戻った。ここからは女満別空港に行くだけなのだが、出発までにはちょっと時間があるので、近くのモヨロ貝塚と言う場所に歩いて行くことにした。途中で網走川にかかる橋を渡る。右手にオホーツク海、左手は川の上流だ。ところで、網走刑務所を通過するときに、どうやったら脱走できるのかを私は考えていた。刑務所の後ろ側は山と森だから、隠れるのには良いが、熊に襲われる心配がある。また、道に迷う可能性もかなり高いから、選びたくはない。残る選択肢は、網走川を予め仲間が用意した小舟で下ることだ。しかし、橋の上から見る網走川は、両岸ともに開けていて、すぐに人目に付きやすい。運よく港まで行けて、そこから漁船に乗り換えられれば良いが、当然警察もわかっているから、漁船は全てチェックされるだろう。道路で逃げるのも、通行規制されるから無理だ。結論としては、「脱走は成功しない」となった。なんだ、面白くない。
橋を渡り切った後、横断歩道を渡り右に曲がると、海岸に近い場所に目指すモヨロ貝塚はあった。貝塚施設にある小さな森からは、カッコウの声が近くに聞こえてくる。ここはれっきとした網走の街中だが、こんな近くでカッコウの声を聴きながら歩くのは初めてだ。知床のときよりも、距離は近い。そしてカッコウの声はとても美しい。私たちは、歓迎するかのような歌声を背中にしながら、モヨロ貝塚の建物に入った。
こういう遺跡・遺物を見ると、私はすぐに「古代の宇宙人」の痕跡を探してしまうのだが、ここモヨロ貝塚にはそれがあった(釧路市博物館では見つからなかったものだ)。写真撮影はできなかったのだが、海獣の骨を加工した大きさ5cmほどの人形があり、特に熊やイルカの頭部は目がとてもやさしく表現されていたのが印象深かったが、その中に女性のトルソー(胴体)があった。女性は左手を下に降ろし、右手を前にしているが、全体は現代のワンピースに酷似した形をしていて、かなり厚手のものを着ているように見える。さらに、背中の上部にはジッパーというよりも、何か空気を通すチューブのようなものが二本、刻まれている。
家内が学芸員らしい女性に質問したところ、「この時代は、本州では古墳時代で、ワンピースのようなものを着ていたので、それがここにあっても不思議ではないですね」と言っていた。しかし、入館して最初に見せられた解説ビデオの画像では、モヨロ貝塚を形成していたオホーツク沿岸の住人は、海獣や動物の毛皮を縫製した服を着ており、とても大和朝廷の人たちのような布製の服を着ているようには描かれていない。また、毛皮の服は寸胴な形状をしており、首と腰を紐で縛って着ていたので、背中にジッパーが付くような構造とは雲泥の差がある。
ということで私の結論は、この女性のトルソーは、古代の地球に来た地球外生命体が宇宙服を着た姿を刻んだものだと思う。なお、頭部がないのは不思議だが、もしかすると別々に見つかった、熊やイルカ(と思われる)頭部が、そのトルソーのもともとの頭部だったのかも知れない。なぜなら、古代の宇宙人は、爬虫類が進化したものである可能性が高いと言われているので、モヨロ貝塚の人たちが見た宇宙人は、熊やイルカに似た顔であっても不思議ではない。
こんなことを、バスターミナルに歩いて戻る途中、私は家内に思いつくままに話していた。私の脳内は、網走刑務所の脱走方法から、古代の宇宙人の地球来訪に飛んでいる。しかし、網走の夏は涼しく、快適だ。流氷の冬は厳しいだろうが、夏は良い場所だと思う。きっと、モヨロの人々も、夏を最高に楽しんだことだろう。バスターミナルに着いた。家内が窓口でチケットを購入しようとしたら、降車する際に支払えば良いと教えられる。ターミナル内のベンチに座って、天井から下がっているTVのニュースを見ながら、バスが来るのを待つ。TVの中では、県議会議員の外遊に関して、税の無駄使いではないかと討論していた。しかし、TVの前の待合室のベンチには、私たちを含めた年配の観光客が黙って空港行きのバスを待っているだけだ。TVの中の世界と、今私たちがいる世界とは、まるで違う惑星のように感じる。
バスが来た。乗客が素早く乗り込むと、女満別空港に向かって出発した。天都山に向かう循環バスと同じような道を走るが、天都山には登らず、網走湖沿岸を走っていく。網走湖の湖面が光に映えて美しい。遠くの湖畔に由緒ある煉瓦作りのホテルが見える。やがてバスは、網走湖を抜け、両側一面広大な畑に囲まれた道を疾走していく。車内のアナウンスが、次々と停留所を案内していくが、降車する人も乗車する人もいない。バスターミナルから空港までの送迎バスのようにして、単調な一本道をバスは走っていく。
陽がまだ明るい時間に、女満別空港へ着いた。予想したように小さな空港だったが、空港ビルに入ったところに、航空会社の女性職員が笑顔で出迎えていたのには、ちょっと面食らった。利用者には嬉しいサービスなのだろうが、何かこの女満別というイメージに合わない気がした。強いて言えば、日本橋の高級デパートに入ったときのような、丁寧すぎる出迎えに感じたのだ。勝手な希望だが、やはりここは、閑散として誰もいない小さな空港の入口というイメージが相応しい気がする。旅慣れた家内が、機械でチェックインをすます。二階に向かう。ロビーの片側にお土産店、そして奥にレストランが二軒ある。この空港の雰囲気に、懐かしい感じがした。そういえば、例えばマレーシアのクチン空港、エジプトのアスワン空港に感じたものと似ている。いずれもごく小さな空港だ。ハイシーズンには、大勢の人で賑わうのだろうが、そうでない時は、静かな空気に満ちている長閑な空間がそこにある。
家内がお土産を購入しに店へ行く。家内にとっては、帰る直前にお土産を購入することも旅の大きな一部になっている。私は、お土産なんで面倒くさいとしか思わないが、家内にとっては旅の総仕上げとなるのが、お土産購入なのだった。それでも出発時間までかなり時間があるので、荷物番を交代しつつ、屋上の狭い送迎デッキを見に行った。何もない、ただビルの屋上というだけの場所で、滑走路に飛行機の姿も見えない。長閑だという言葉しか出てこない。空港内で夕食を摂る予定なので、奥にある小さなレストランに入る。私にとっては、最後にビールを飲むのが、旅の総仕上げになる。サッポロクラシックの生ビール、タラのフィッシュアンドチップス、茹でたじゃがいもにバターと塩辛、玉ネギのスライスという、ご飯ものはない夕飯になった。もはやビールがご飯代わりになっている。ここでしばし時間をつぶす。そういえば、空港で最後に飲むビールで思い出深いのは、NZのオークランドで飲んだビールだったな。NZを離れたくなかったし、次の勤務地はバングラデシュだったから、余計に哀しい気分で飲んだビールだった。
楽しかったのは、インドのマドラスからアメリカのマイアミへの転勤途中、サンフランシスコ空港で飲んだビールだった。インドという過酷な環境で疲弊しまくっていた心身が、一杯のビールで生き返ったような気分になったものだ。そんなことを考えているうちに、私たちはビールを飲み終わったので、セキュリティーチェックを通過して、待機所に移動した。普通、セキュリティーチェックの荷物をX線に通すところは、手前からベルトコンベアーがつながっていて、そこに荷物を置くと、そのまま機械の中に荷物が入っていくと思う。ところがここは、なぜか荷物をいったん置く(同時にプラスチックのトレーに入れる)場所とチェックする機械が別の場所にあるため、乗客は自分でトレーを持って機械の中に入れる作業をする。なんとものんびりしたものだ。ここでは物騒な事件は起きそうもないのだろう。
飛行機は、東京からの到着便が遅延した関係で、定刻より10分程遅れて出発した。外は既に日が暮れている。帰りの機内で、またコーヒーをこぼされないように注意していたが、ほたてのスープを頼んだ家内は、テーブルに放置することなくすぐに飲み干したので、二度目の災難は回避できた。私は、機内で宣伝している麦茶を頼んで、いつも通りにすぐに飲み干した。もう夜だ。後は寝るしかない。
旅では、往路より帰路が近く感じるものだが、今回も少し寝ていたら、もう羽田に着いてしまった。私たちは、満席の客に混じって空港ターミナルに出た。すぐにリムジンバスのチケットを買って飛び乗る予定だったが、生憎と、大勢の乗客でリムジンバスのチケット売り場は長蛇の列となっており、チケットを買うのに時間がかかってしまった。さすがに羽田は人が多いのだ。そして、何をするにも時間がかかる。それで予定のバスには乗れずに、次の最終バスのチケットを買って、ターミナルのベンチでしばし休むことにした。ベンチの前はちょうど空港の出入り口のひとつなので、ひっきりなしにいろいろな人たちが通り過ぎていく。ベンチの周囲も、人が次々と入れ替わっていく。なんとも忙しない。そして、ベンチに座る人たちは、みな忙しそうに作業している。こんな遅い時間にも仕事をしているのだろうか。
リムジンバスが来た。外国人のスタッフが、乗客の荷物やチケットを確認している。こんな夏の深夜に空港で働く姿に、私は感謝したい。私は、今は何も仕事をしていないのだ・・・。夜の東京は賑やかだった。去年の3月にルーマニアから羽田に着いたときは、同じような時間帯だったが、街はひっそりとしていた。沢山の荷物を運ぶためにタクシーを利用したのだが、運転手が「コロナのせいで、東京は寂しいもんですよ」と嘆いていたのを思い出した。しかし、今は長すぎたコロナ規制がようやく終わり、東京は元のような活気に満ちている。あのタクシーの運転手も、今は商売繁盛で喜んでいるのではないか。
リムジンバスが終点に到着した後、タクシーへ乗り換えようと歩き出していたら、後ろから猛烈な勢いで私たちを追い抜き、一台しかいないタクシーに飛び乗った夫婦がいた。この人たちにとって、時間は限りなく短いのかも知れない。しかし、私たちにとって時間は十分に長くあるから、競争する必要はない。そして、すぐに次のタクシーが来た。深夜の東京はなにかと忙しないが、せめて自分だけは悠然と生きたいものだ。日付が変わる少し前に、自宅に戻る。蒸し暑い。そして、道路からの暴走車の音がひっきりなしにうるさい。かっこうの歌声とは雲泥の差だ。私は、翌日の朝9時から、マンション管理組合の定例理事会があるので、蒸し暑さや騒音をできるだけ無視するようにして、とにかく寝た。自宅の布団が、一番良く寝られるのはなぜだろう。
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