<小旅行記>2024年の初詣
正月も半ばをだいぶ過ぎた25日。今年の初詣に行った。いつも初詣は、人込みが煩わしいので、わざとずらして行くようにしているのだが、今年は第一週、第二週と妻の予定が立たなかったので、無為にやり過ごしていた。そして、第三週は温泉に行ったので、ずるずると第四週までずれ込んだ。さすがにここまでずれ込むと、初詣客らしき人はみえなくなったが、二月の節分の準備が目立つ時期になっていた。月日の流れるのは早い。特に老年に入った後は、毎年加速度的に速くなっていく。たぶん、こうしてずるずると時間が過ぎているうちに、ふと気づいたときにはもう死んでいるのだろう。これは、案外良い死に方かも知れない。
さて、私たちが行く初詣先は二か所ある。まず、母方の祖母が戦前・戦中に、東京下町の職工さん相手におでんの屋台をやっていたときからの御贔屓である、赤坂見附の豊川稲荷(正式には「別院」が付く)。ここは華やかな場所柄もあって、商売の神様として繁盛しており、祖母もここでご利益を受けていたそうだ。私も幼少時に肺炎になったときに、お狐様に助けてもらったご縁がある。(なお、先日終戦直後の赤坂界隈の写真を見たが、そこには日本の長閑な田園風景の中に、曲がりくねったあぜ道と豊かな緑があった。たぶん、そうしたあぜ道が、今の一ツ木通り近辺の隘路になっているのだろう。)
また、今はかなり様変わりしたが、赤坂界隈は高級料亭が沢山あり、そこで仕事をする芸者衆が活躍する地でもあった。そのため、豊川さんには芸者などの水商売の方々が沢山お参りに来る。また、そうした水商売を接待費で利用している近隣にある企業の方々も、商売繁盛を祈願して毎年参拝している。ある時、たまたま普通の初詣時期に合わせて行ったため、参拝所には黒づくしの背広を着た集団が多数押し寄せていて、とても神社とは思えない雰囲気だったのを覚えている。
ところで、現在の豊川稲荷は、主に中国や韓国などの外国人観光客の観光スポットになっているようで、いつ行っても石段の前に数組の観光客がいて、写真やビデオを撮り合っている姿を見かける。彼らの目的は参拝ではなく、ただ写真とビデオを撮ることらしく、お賽銭をあげて拝礼する姿はてんで見かけず、お札を買い求める姿も少ない。これでは豊川さんも商売あがったりだろうが、それでも日本人参拝者やお金持ちの氏子が沢山いるため、十分に経営できているのだろう。
帰り際、石段脇のつばきが綺麗だったので、今年の初詣記念にと思って撮影した。この場所だけは、江戸時代から変わらないのかも知れない。
その後銀座線の日本橋で東西線に乗り換えて、門前仲町に向かった。東西線はそうでもなかったが、案の定銀座線は外国人観光客が多く混んでいた。特に中国または韓国の大きな荷物を抱えた若い女性たちは、もともと狭い銀座線の車内で周囲を気にせずに立っていることが多く、乗降に際して閉口させられることが多い。でも、彼女たちがもたらす経済効果を考えれば、少しくらいの不快さは我慢すべきなのだろう。何しろ私の日本に対する経済効果はもう賞味期限切れなのだから。
門前仲町で地下鉄を降りた出口の近くには、有名な深川不動があるが、初詣には行っていない。一つには神道だけで初詣したいという気持ちがあるからで、もう一つは地元で二つも行くことはないと思っているからだ。というわけで、お不動さまには申し訳ないが、スルーさせていただき、永代通りを木場方面に向かって歩く。毎年少しずつ、昔からの店が風情のないチェーン店やファストフード店に変わっていくのを眺めながら行くと、そうした残念な気持ちを吹き飛ばすようにして、左手に立派な鳥居が見えてきた。鳥居で一礼して本殿に向かう。
富岡八幡宮は実に立派な神社で、重すぎて担げない巨大神輿、日本地図作製で有名な伊能忠敬の銅像、横綱の碑、付随した七渡神社など、様々な見どころがある。今年見て気づいたのは、昭和天皇陛下の碑が手水所近くに建てられたことと、本殿脇に歌会始の陛下の御歌が掲示してあったことだ。神社はそもそも天皇家とつながるものだが、今上天皇になってからより一層近くなっているような気がする。そういえば、昨年陛下が江戸時代の船番所跡を見学されたというのが、江東区の広報紙に掲載されていた。たしかに、この辺りは江戸城からも近く、大名の下屋敷や富豪の別邸が沢山あった地域で、松尾芭蕉とも縁が深いため、歴史好きな人にはかなり面白いエリアだと思う。
地元の氏神様への初詣を済ませた後、私たちはちょうど昼時となったため、予め妻が決めていた店へ向かった。その店は、永代通りを木場方面に少し歩いたところにあり、昔「ばくだん」という、海苔に魚貝の刺身と卵の黄身、さらにオクラを載せたつまみを出す居酒屋の先に、たぶん最近開店したと思う、スペインバール(スペイン風居酒屋)というコンセプトの店だった。
店に入るとちょうどランチタイムで、妻が大好きなアラカルトは頼めないため、(ちょっと安心した私は)ランチメニューからタコライスセットを頼む。妻は、アラカルトを頼めないことに意気消沈しながら、消極的選択でハンバーグセットを頼んだ。そして、ランチビールを飲む。ランチ用メニューにはグラスワインもあり、冷蔵庫周辺にはおそらくスペインワインと思われる瓶が並んでいたので、酒に関してはアラカルトでも頼めそうだった(しかし、体調不十分により、ランチビールだけで止めた)。
その間、「あなたと夜に来ることは絶対にないと思うけど」と私に捨てセリフを言いながら、妻はディナー用のアラカルトメニューを見て、「スペインというけど、イタリアンとかタコライスとか、いろいろある」とチェックしていた。(ちなみに、私はご想像どおり、『なんとなくクリスタル』で紹介されたような、いわゆるお洒落な店にはまったく興味がないどころか、もうそれだけで近寄りたくないくらいの偏屈な老人だ。逆に、暖簾に歳月が染みついているが、だからと言って高級料亭のような敷居と値段がべらぼうに高いのではなく、誰でも歓迎してくれて、居心地が良く、値段も手ごろな、そしてできれば程よくお洒落な人たちを遠ざけるような汚らしさを持った店、それが私の好みだ。)
そう、スペイン居酒屋(バール)なら、ピンチョスといういわゆる小皿のつまみが沢山あって良いのだが、そうではなく普通の洋食店のようなメニューが並んでいた。酒の種類については特にチェックしなかったが、流行のクラフトビールを置いていることが宣伝されていた。
ランチは、まあ普通だった。そしてランチタイムらしく、近くのサラリーマンが数人入れ替わりやってきたが、店が混み合うことはなかった。コロナが終わったとは言え、在宅勤務やフレックスタイムの影響があるのだろうか。なお、トイレを借りた時、いたるところに黒い猫のシールが貼ってあり、店のオーナーが猫好きであることを主張していたのが、一番印象に残ったことだった。
その後、永代橋通りと清澄通りの交差点の先にある、都バスの停留所へ向かうため移動する。その途中で、店が二階にあるためか、いつも気づかないでいる「東亜」という喫茶店があることを思い出す。幸いにバスが来るまでに40分程あったので、一度入ってみたかったこともあり、お洒落な人を遠ざけるような懐かしさの漂う喫茶店に入った。
チェーン店の台頭によって、昔ながらの喫茶店は減少していき、さらにだいたい「お洒落じゃない」という理由で不人気だから、お客も少なく、私たちのような老人が数組いるだけの店が多いと思う。ところが、ちょうどランチタイムが終わる13時を過ぎた時間帯ながら、店は満席に近い状態だった。その意外さにいささか驚いていたところ、手慣れた店員が、窓際の交差点が良く見える席に案内してくれた。
(満足度は別として)ランチは済ませているので、コーヒーとケーキのセットを頼んだ。少し時間が経ってから出てきた予想どおりのカップとケーキには、料金以上のお得感があるので、これが店の人気の理由だろうか。またランチメニューも、昔ながらの喫茶店らしくいろいろ揃えてあり、普通のランチにも十分使える店になっている。さらに、地下鉄出口からも近い交差点に面してあるので、立地条件は最高だ。将来他の喫茶店がなくなっても、ここだけは残ってくれそうな予感がした。また、残って欲しい店だと思った。
ふと気づくと、私の背中側で、日本人のオジサンと英語を話すオジサンが英語で商談をしているのが聞こえた。二人は長いつきあいらしく、その話し方はかなり慣れた感じで、これから契約書を作ることを確認していた。そういえば、昔商談と言えばよく喫茶店でしていたものだった。それが今は会社の会議室や応接室を使うこともなく、インターネットを利用したPCやスマホのモニターでやっている。
さすがに『孤独のグルメ』の井之頭五郎さんは、取引先まで行って商談をしているが、こうしたフランス語で言う「テタテートゥ(頭対頭=対談)」というのは、まもなく無くなっていくのだろうし、まして喫茶店でコーヒーを飲みながらなんていうのは、「大昔の人は、こんな不思議なことをしていたのか」と言われるようになってしまうのだろう。