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<閑話休題>最近,気になること。

1.レオナルド・ダ・ビンチ

15世紀後半に,イタリアのフィレンツェ近郊のビンチ村に生まれた,レオナルドのことについて,我々は意外と何も知らない。

レオナルド・ダ・ビンチは,左利きだった。
老年になっても,壮年のような立派な肉体だった。
学校に通っていなかった。
中産階級の妾の子だった。

優れた技巧があっても,当時持つのが普通だった,自らの絵画工房を持たなかった。
女性関係が希薄で,死ぬまで,2人の青年が部下だった(同時代のミケランジェロは,ホモセクシュアルであることを自覚していた)。
人体解剖を平然とやり,フィレンツェの庁舎の窓から吊された死体を,大きな興味を持ってスケッチした。

若い頃の肖像画と晩年の肖像は似ていない。そして晩年に作られたブロンズ像は,まるで不老不死の彫像のように見える。

だから,私はすぐに結論づけたくなる。
レオナルドは,宇宙人だったのだ,と。


2.感染症は,突然に終息する。

過去に人類を悩ました,ペスト,コレラ,マラリア,強毒化したインフルエンザは,いずれも,人類に猛威を振るった後,突然終息している。不思議だと思うかも知れないが,感染症ウイルスの側からすれば,寄生先である人類へ,多く寄生しても,その結果寄生できる人類が減少または絶滅してしまったら,感染症ウイルス自体も絶滅する危険(寄生する先がなくなってしまう)があるからだ。

だから,そこにどんな意志が働いているのかはわからないが,ある程度まで人類に感染したら,感染症ウイルスは自然と衰退し,終息する。それは,人類が抗体を獲得したからだという説明もあるが,それだけではない。過去の歴史を見れば,抗体云々ではなく,感染症ウイルスが,まるで意志を持っているようにして,自分たちから姿を隠す。そして感染症はいつの間にか何事もなく治まってしまい,人類はさらに生存し続けている。

これが,人類と感染症との良い関係であり,生物同士の共生と言えるのではないだろうか。

と,以上のことを9月上旬に書いていた。そうしたら,その後日本でそのままの状態が出現してしまった。別に予言していたわけではなく,過去の歴史を鑑みれば,このような結論に達するしかないから,誰でも気付くものだと思う。


3.身体の不調

年寄りの愚痴にしたくないが,身体がずっと不調だ。

目は近眼,乱視に加え,老眼で徐々に見えづらくなってくる。鼻は雑菌で腫れ物ができる。顎は顎関節症が再発。歯は1本だけ部分入れ歯になってしまったが,後は大丈夫。硬い肉もかみ切れる。でも,ランチに肉を食べると,消化が遅いので夕飯はもう食べられない。ただし,ビールは飲むけど。

上半身は,まあまあ胸筋も背筋も,それに上腕や肩の筋肉はあるけど,ぎっくり腰が常態化している。両膝も膝蓋骨がすり減っている他に,靱帯を数回痛めているのですぐに痛むし,ふくらはぎはいつでもどこでも攣ってしまう。特に寝ている時に攣るのは,かなり痛い。肺機能は,NYの911テロ現場で重金属を含む塵芥を大量に吸ってしまったせいで,ずっと機能低下しているため,肺炎になりやすい。喉はいつでも咳き込むし,ビールを飲んでもすぐにむせてしまう。指は,数ヶ所の関節が痛くて曲がらないし,伸ばせない。さらに,近くに煙草の煙があると,もう頭痛発生だ。

これらがなんであるのかと言えば,人が死ぬ準備をしているからだと思う。死というゴールに向かって,少しずつ最後の時間を刻んでいるのだ。今のうちはまだ身体の不調とか言えるが,これが内臓機能の停止になれば,おのずと死ぬことになる。それは,生きているものの自然の摂理なのだ。

そうした環境になったためか,最近言葉に対する感性が強くなったように感じる。また,長い宮仕えをまもなく終えられることになるので,若い頃に培っていた感性を,仕事をするために無理矢理眠らせていた感性を,ようやく自分の心に戻せてきたのかも知れない。やはり,人生の最後は,意に沿わない仕事の言葉ではなく,自分が最も好きな言葉を使って終わりたい。私は,言葉には魂が宿っていると思う。だから,仕事のための,生活する金を稼ぐための,自分を偽る言葉はもう要らないのだ。

そのためか,最近,散文よりも詩の言葉に,より強く反応している。たとえば,大好きな吉田一穂の詩だ。20歳頃のように,大きく強いメッセージを私に与えてくれるようになってきた。

「空
 鷗
 波
 岬
 燈台
 (海の聖母(マドンナ)!)」
吉田一穂「Delphine」より,その前半部分。

私も,死ぬまでに一篇だけで良いから,このような詩を作りたい。

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