<閑話休題>来年の手帳(「星の王子様」),スイスアーミーナイフ,そして「如意」
来年の手帳を買った。衝動買いだった。
これまでは、海外にいるときは当然ながら、日本にいても、銀座の伊東屋で外国製の高級なものを買っていた。しかし、あるときから金をかける意味がないことに気づき、日本では能率協会の小さな能率手帳を買うようにしていた。
しかし、来年3月で海外勤務だけでなく、定年退職となることもあり、もう海外で手帳を買うこともない。もしかすると手帳が不要な状況になるかも知れない(今の若い人は、紙の手帳を使わず、スマホのスケジュールを利用している)。
そう考えたら、あるとき英語のペーパーバックスを探しに入った大きな書店の文房具コーナーに、偶然だろうが、サン・テグジュペリの「星の王子様(私はこの原題からかけ離れた和訳が嫌いで、原文へ忠実に「小さな王子」としたい)」の絵を沢山使った来年の手帳が売っていた。
ちょっと前に、自分で英語版から「小さな王子」として個人訳を作った上に、このnoteでも評論を掲載した私としては、「これは、もう神のお導きだろう」とひらめいて、迷うことなく買った。サイズと色を選ぶのに迷ったが、最後には、この小さくそしてオレンジのものに決めた。
もう海外で手帳を買うのも最後だし、高級な手帳を買うのもこれが最後だろう。そして、「小さな王子」の翻訳で、自分なりの定年後の過ごし方に対する心の持ちようが定まった感じがしたから、これはやはり「神のお導き」だったと、今でも思っている。
ただ、自分ではこうした「啓示」のような高尚な気分になっているのだが、奥様に言わせれば「なんで、じじいが、若い女の子のような手帳を買うの?」ということになるらしい。たしかに、言われてみればその通りなのだが...。
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ところで,先日画像付きで紹介した小さなアーミーナイフの爪やすりは、爪が伸びていたり、角が尖っていたりしたとき、爪を切るよりは綺麗な引っかかりのないものになるので、いつも手元に置いている。そして考え事をするときなど、自然と使っている。すると、気分が落ち着く。だから、いつも私の爪は短い。「料理人ですか?」と昔から良く聞かれるが、たんなるサラリーマンです。
そしてこの爪やすりと一緒に、自宅で側に置いているものが,木製の「孫の手」。そう,おじさんは,いつも背中や肩甲骨の下辺りがかゆくしかたないので(まるで犬みたいだ?),この孫の手が重宝するのです。そして,爪やすり同様に,考え事をしているときに孫の手を使うと,不思議と落ち着くのですよ。
ある時,東大寺創建時の有名な僧侶である良辯(ろうべん)の画像を見た。少し空海に似た,目鼻立ちのしっかりとした顔と,がっしりした体格が印象に残ったが,それよりも,彼が手にしているものが気になった。いろいろと調べたところ,それは仏具の一種で「如意」または通称で「如意棒」とも言うものだとわかった。しかし,画像からは孫の手そのものにしか見えない。これはどうみても孫の手だろうと思って,如意について調べていったら,もともとは孫の手として使っていたことがわかった。
「如意」とは,漢字の意味は「意の如く」であり,簡単にいうと「意のままになる」,「自由自在」,「かゆいところに手が届く」という意味になる。つまり,それは孫の手そのものだが,実際,法具となる前は孫の手として使っていたので,これに「如意」という名称を与え,法会や説法の際に半ば指揮棒代わりに使ったのが始まりだという。
なーんだ,私の見たとおり孫の手だったんだ。そして,良辯僧正も仏教の難しい教理を考えているときに,なにげなく「如意」であるところの孫の手で背中や肩甲骨の下辺りを無意識にかいていたと思うと,なにか愉快な気持ちになる。
たぶん,孫悟空の如意棒も,所詮は猿だから,戦闘用として使用するよりも背中をかく方に多く使っていたに違いない,というのが結論です。
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