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<書評>『チーズとうじ虫』

 『チーズとうじ虫―16世紀の一粉挽屋の世界像― Il Formaggio E I Vermi-Il cosmos di un mugnaio de’l 500-』カルロ・ギンズブルグ Carlo Ginzburg 杉山光信訳 みすず書房 1984年 原書は1976年 トリノー(イタリア)Torino

『チーズとうじ虫』

 ユダヤ系イタリア人のボローニャ大学近世史教授であるカルロ・ギンズブルグが、16世紀イタリアの田舎に住む粉挽屋メノッキオが、「すべてはカオスである。・・・ちょうど牛乳のなかからチーズの塊ができ、そこからうじ虫があらわれてくるように、このうじ虫のように出現してくるものが天使たちなのだ・・・」と主張して、当然ローマ教皇庁に告訴され、異端審問の結果焚刑(火刑:火あぶり)にされた経緯を調査・研究したものである。

 実は、この一見突拍子もないものに思える、「天使」=人類を支援する天空からの神の使者が、大きな塊の中から虫のようにして出現するというイメージは、汎地球的にあるイメージであり、例えばボルネオの神話にも登場しているものである。

 つまりこのイメージは、16世紀イタリアの粉挽屋による独創的発想というのではなく、汎地球規模で人類に共有されているイメージなのである。そして、汎地球的にあることは根源的かつ強力な反動勢力につながるため、これを絶対に否定したいローマ教皇庁としては、この粉挽屋の思想を根本的に否定するため、無理やりにでも火刑に処さなければならなかったのだろう。

 一方、私がなぜ本書を購入したかと言えば、その最大の動機は、ジョルダーノ・ブルーノにも匹敵する壮大な宇宙観を、イタリアの田舎町に住む一人の粉挽屋メノッキオが持っていたことの不思議さであり、その真相を知りたいと思ったからだ。また本書は、歴史(特にヨーロッパ中世やルネサンス)に関心がある者にとっては、必読かつ著名な本であったことも影響している。

 実際、本書の舞台となる16世紀に限らず、中世からルネサンスに至るイタリア精神史は、かなり面白い対象だと思う。以前noteに<書評>を掲載した、ヤーコブ・ブルクハルトの『イタリア・ルネサンスの文化』では、こうした「なぜルネサンスやイタリアが面白いのか」を詳細に論じているので、ご関心ある方は参考にされたい。

 以上のような経緯を出発点として、私は、以下のことをテーマにしつつ本書を読みだした。

(1)なぜ、イタリアの田舎に宇宙論を述べる粉挽屋メノッキオが出現したのか?
(2)一方、ルネサンスのイタリアでは、大人にしては異様に小さかった天才画家ジョットー・ボンディーネが出現した。彼は、グレイ型宇宙人だったのではないか?
(3)ジョットーはグレイ型宇宙人なので、小人の背丈しかなかったのではないか?
(4)ジョットーのような宇宙人またはその血縁者が数多くイタリアに居住していたから、そこにルネサンスが出現したのではないか?
(5)その一人が、この粉挽屋メノッキオではないのか?つまり、粉挽屋メノッキオはグレイ型宇宙人につながる血縁者だったのではないか?

 そして今回読了した後の頭の整理として、本書の中で私の関心を惹いた箇所を以下に列記する。

P.41―42
(メノッキオの宇宙生成論)「私が考え信じているのは、すべてはカオスである。すなわち、土、空気、水、火などこれらの全体はカオスである。この全体は次第に塊になっていった。ちょうど牛乳のなかからチーズの塊ができ、そこからうじ虫があらわれてくるように、このうじ虫のように出現してくるものが天使たちなのだ。そして、非常に聖なるお方が、それらが神であり天使たちであるように望まれた。

 これらの天使たちの数のうちには、それ自身もこの塊から同じ時に創造された神も含まれている。そして神は四大天使、リュシフェル、ミカエル、ガブリエル、ラファエルとともに、主人・支配者となった。このリュシフェルは、神ご自身がそうであられる王に似せて自分も支配者になろうと欲した。そしてこの傲慢ゆえに、神はリュシフェルをその従者ともども天からの追放を命じられた。

 そしてこの神は次いでアダムとイブをつくり、またこうした追放された天使たちの場を埋め合わせるために厖大な人間をつくった。しかしこの人間たちの群もかれの命令に従わなかったので、神は自分の息子を遣わされたが、この息子はユダヤ人たちによって捕えられ十字架に張り付けられてしまった。」

P.131
 かびが生じかけてきたチーズの中でうじ虫が生まれるという日常的にもつ経験は、メノッキオが生命ある存在の誕生を説明するのに、神の介入を求めることなしに、カオスから、「生の未分化の」物質から、最初の最も完全なものである天使が誕生することの説明として、役立っている。

P.252-253
 文書記録の状態は、明らかに諸階級間の力関係の状態を反映している。ほとんど口頭伝承的なものだけから成り立っている文化、産業化が始まる以前のヨーロッパの従属階級の文化などは、なんらの痕跡も残さぬことになりがちである。あるいは残したとしても歪んだ形のものになりがちである。そこからメノッキオのばあいのような極限的な事例が兆候としての価値をもつということが生じてくるのだ。

 この事例は、現在になってようやくその全領域、すなわち、中世および中世以後のヨーロッパの支配文化の大部分には民衆的なさまざまな根っこが存在しているのを垣間見ることから、今やその重要性が認められ始めている問題を、力づよく提示している。ラブレーやブリューゲルのような人物たちだけが燦然たる例外であったというのではおそらくはないのだ。

P.324(翻訳者の解説から)
 カルロ・ギンズブルグの著作の魅力のひとつは、十六世紀前半までは上級文化と民衆文化とのあいだで相互浸透や循環があったとか、フリウリ地方のベナンダンティはバルト海からスラブ諸地域全般にみられる農業儀礼のあらわれであり、ひょっとするとシベリアからスコットランドまでひろがっていたインド・ヨーロッパ語族の共通の祖先にあったものではないかなどという大胆な仮説を立て、そのための論証においてはシャーロック・ホームズばりの探偵の方法、老練な狩人の方法で議論を進めていくことにある・・・。

 なお、上記に引用しなかったが、中世ヨーロッパにおいて水車小屋は多くの人が集まる場所であり、常時作業をしている粉挽屋は、そこで交わされる議論の中心であり、また集まって来る様々な人からの知識を得ている存在でもあったと説明されている。

 つまり、現在の視点から見れば、粉挽屋はたんなる下層労働者にしか見えないが、中世ヨーロッパでは、農民たちの間における立派な知識人であり、貴族たち上流階級の文化と農民の民衆文化とをつなぐ存在でもあった(もちろん、そうした上流と民衆とのつなぎ役であるために、多くの農民からは尊敬よりも忌避される存在になりやすかった面もあった。メノッキオは、そうした彼を嫌う農民から教皇庁の異端として訴えられたのだ)。

 また、解説にあったのだが、メノッキオがイメージする「チーズとうじ虫」のチーズとは、日本人に親しみのある固く黄色い(穴の開いたものもある)チーズではなく、中世ヨーロッパの農家で日常的に作られていた、今日カマンベールとかブリーと呼ばれている白いチーズであった。これらのチーズは、外側は固いが中は柔らかくてクリーム状だ。そして、中世当時は、衛生条件が十分でない環境で発酵させるため、うじ虫が湧いてくるのは日常的なことであったそうだ。

 つまり、メノッキオにとって「生命の誕生」とは、農家における農作物の誕生(発芽・収穫)以上に、チーズからうじ虫が湧いてくることに現実味を見ていたということになる。そしてそうした「生命の誕生」のイメージは、ヨーロッパの上流貴族文化から下層民衆文化に流れ落ちてくるものではなく、ヨーロッパの民衆に太古の時代からもともと根付いていた、始原的な民衆文化自体に由来するものなのだ。

 以上のことから、私が注目していたメノッキオの宇宙論は、始原的な民衆文化というキーワードによって、ボルネオの神話にもつながると結論できるだろう。またこの宇宙論は、人類が根源的かつ共通に持っている宇宙論の原点であることを強調したい。そして、この宇宙論が成立した契機は、実は約二万年前に世界の各地で起きた事件の記憶にあると、私は考えている。その事件とは、宇宙人との邂逅であり、宇宙人が古代人を現生人類に進化させるために行った、約二万年前のビジュアルな教育方法の一つに、この「チーズとうじ虫」式の宇宙論があったのだ。

 なお、著者ギンズブルグによる歴史観の重要なポイントであるところの、「一般の歴史は上流階級のみの記録から構成されており、圧倒的多数であった民衆文化は歴史の中に埋没させられているので、それを発掘しなければならない」という主張は、よく理解できるし、まさに真実を突いているものだ。また、そうした考え方は、20世紀に入ってから文化人類学や神話学が飛躍的に発展したことにもつながっている(つまり、民衆文化の根源を探索するために、文明化されていない民族を対象にした文化人類学が発展し、また民衆の中に記憶されている神話に関する研究が深まった)。

 20世紀初頭に始まったこれらの最先端の歴史の見直し作業は、現在までにかなりの成果を挙げている。その代表が、例えば古代人の洞窟絵画を単純な呪術と結びつけるだけで済ませていた理解を、古代人が実際に見たものを忠実に再現していた芸術であったと認識を改めることになった事例がある(ジョルジュ・バタイユ『ラスコーの壁画』。noteに掲載済み)。

 さらに、古代遺跡の一部(例えば、滑らかに切られた岩による巨大建築物)が、現代の先進技術と同じように作成されていることを素直に認めるようになった(それまでは、こうした古代人には不可能と思える技術の成果を故意に無視し、なおかつ後世の人が捏造したという説明もしていた)。こうした数々の真摯な研究結果によって当然に導きだされる結論として、次のことが言えると思う。

 太古の昔に宇宙人が地球に飛来し、人類に高度な文明を教えた(そして、滑らかな岩による巨大建築物は宇宙人が建造したのだ)。また、私が冒頭に掲げたテーマの答えとしては、ジョットーは地球に飛来した宇宙人の末裔だったが、メノッキオは宇宙人の末裔ではないが、太古の宇宙人が人類に教えた知識を忠実に受け継いだ血縁者だった、ということになる。

<私が、Amazonで電子書籍及びペーパーバックで販売している、各種エッセイ及び論考などをまとめたものです。>


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