うまく笑えなくても
べつにいいのに。
いつから対人関係のプロでいなければならないと勘違いしていたんだろう。
物心ついたころには八方の顔色をうかがって、だれかれの心の中まで覗こうとして、
この空間にいる重要な人物は誰で、彼らを中心に物語はどのように展開されていくのか、
そこまで考えたうえで、やっと、
誰も傷つくことも気づくこともないような一言、二言をこの世界に発したりして。
ときにはテレビの司会者みたいに質問を回してみたり、やんわりと仲裁に入ってみたり、率先しておちゃらけてみたり、
ねえ、何をしているの?
自分の心はどっちに向いているの?
自分に言葉をかける余裕もなく、造られた笑みは皮膚にびったりと張りついて、
家に帰ってから反動を知る。
ある種、抗不安薬の離脱症状のように、無理にエネルギーを投入して笑っていたぶん生活から笑顏が一つ二つと消えていく。
いつからかうまく笑えなくなった。
つまるところ完璧主義か、対人恐怖症か、不安症か、神経過敏なのか、ただの性格か、もはや理由は突き止められないのだろうけれど、
べつにつまらないときは笑わなくていいんだ。
人間には心がある。機嫌がある。
最もあたりまえで、最もたいせつなこと。
心がいくつも集まったら、そのかたまりは解くのがたいへん困難な公式を作り上げる。
それを単に1つの変数でしかない自分がどんなにがんばったって、かんたんに解けない公式は解けないものなんだ。
自然のままでいいんだ。
集まった過半数の心の状態がたまたま良かったりして、そんなときに偶然に会話が弾んで、笑みがこぼれることもある。
反対に過半数の心の状態がわるいときに、たまたま誰かと誰かの間で言葉が衝突して、跳ね返って、争いが起きることもある。
このままでいい。
これが血の通った、本物のコミュニケーションだろ。
うまく笑えない日があってもべつにいいのに。