最後まで自分らしくいる事。
人生の最後を彩る瞬間はその人の生き様を示している。
おばあちゃんが亡くなって1年がたった。
あっという間に過ぎてしまったがおばあちゃんとの最後の日を書いておこうと思いました。
昨年11月親から連絡をもらった時は本当にびっくりだった。
がんがみつかり、もうおばあちゃんはいつどうなるか分からない状態と聞かされた時はかなり動揺していたのを覚えている。
地元や関東に住む兄弟に対しても、母から「もういつどうなるか分からないから来れる人から来て」と促され順々に行ったが結局自分は仕事の都合もどうしても調整できずギリギリで最後になった。
秋田のおばあちゃんの家に向かう途中、てっきりおばあちゃんは病院のベッドのように点滴をしたり静かに眠っているものかと思いながら行ったが、びっくりでおばあちゃんは普通に服に着替えて立って待っていてくれた。
これには本当に驚いた。
最後まで元気な姿を見せようとしていてくれたのだろう。
すごく嬉しかった。
最後であろうおばあちゃんとの時間を過ごしいろんな話をし、そして連れて行くことができなかった自分の息子の動画を見せた。
このときの初めて動画を通して対面できた。母からの助言もあり息子を連れて行くことを今ができなかったが動画を通してもおばあちゃんはすごく優しい笑みでかわいいと言ってくれた。本当に幸せそうな顔で見てくれていた。これだけでも胸が熱くなった。
そして用意された食事を少しでも自分と共にしようと苦しいはずなのに出来る限り食べてくれた。
そしてさすがに体にもきたみたいで結局休むことにした。
その前に写真を撮ろうと叔母と母が促してくれて自分が生まれた時からずっとお世話になっているおばあちゃん家の庭を背景におばあちゃんと2人で写真を撮った。
後から見ても満面の笑みだった。
自分もいろんな感情があったけど最後と思いつつも自然に笑顔になることができていい写真が撮れた。
後から見てもおばあちゃんもすごくいい笑顔をしていてくれている。
昔と変わらない優しい微笑み。
大人になってから聞いたが、おばあちゃんの実の母親はおばあちゃんが7歳に時に亡くなられたらしい。どんな思いで生きてきたのだろう。自分たちにはいつも笑顔でかわいがってくれた。
写真を改めて見たりその時の雰囲気も感じたが、人生の最後と言うのはこういうものなのだろうか。その時は雲1つない快晴で優しくとても暖かくその空間を包み込むようなやわらかい日差しだった。空気は澄んでいてすごく静か。本当におばあちゃんの最後を彩っているかのようにとても澄んだ空間だった。
おばあちゃんが「じゃあ、もう休むからね」と言いながら、自分も新幹線の時間もあり帰宅の準備に入ると、事前に母からの話や事情も聞いていておそらく最後であろうおばあちゃんとの時間をどうしようかと思っていたけれど、おばあちゃんも「いつも通り」でいてくれたから自分もいつも通りで笑顔で元気にやろうと勝手に言葉が出た。
「おばあちゃんありがとう、また来るね」と大きく笑顔で言ったその時におばあちゃんも意識が少し朦朧としていたようだったけどすごく優しい声で「ありがとうねまた来てね」と言ってくれたそれが最後の会話だった。
どんな時も優しく最後の別れ際になってもおばあちゃんはおばあちゃんのままだった。優しいおばあちゃんだった。いつになっても変わらなかった。
そして、約2週間後におばあちゃんは旅立っていった。
結局兄弟では自分が最後に会った。
お通夜お葬式も来た人みんなが泣いていた。
これだけおばあちゃんの人柄、優しさを感じていた方々が多かったのだろう。
普段泣かない父もすごく泣いていた。本当にみんないろんな感情が入っていたと思う。
それでもおばあちゃんは最後までおばあちゃんでいてくれた。
「ありがとうまた来てね」と本当に優しく声をかけてくれた。
最後にちゃんとお別れを言うタイミングを設けてくれた母と叔母に心から感謝。そして「みんなに会ってからじゃないと死ねない」と最大限に最後まで生き抜き、変わらぬ優しさを与えてくれたおばあちゃんのことは忘れない。
先日あった1周忌もおばあちゃんの話で、笑いあり涙ありの時間を過ごせた。家族の大切さ、ありがたみを改めて感じた。
ありがとうおばあちゃん!また来るね。
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