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評価の影:授業の楽しさを奪うもの

みなさん、学校での授業は楽しい(楽しかった)ですか? 私は教員として働いていますが、自分の授業を楽しくできるかどうかというのは、大事なテーマです。

私自身が生徒や学生だった時には「授業はつまらない」と感じていたものです。いやいや!決して先生方の授業設計がまずかった、という話ではありません。私に授業をした先生方の名誉のために申し上げますが、先生方はそれぞれベストを尽くされた上で、教壇に立たれていたと思います。

そんな私が、思いがけず教壇に立つ側の人間になりました。そこで初めて、授業をつまらなくする大きな原因の一つが、「評価」だということに気づきました。この記事は、日本の教育システムにおける評価重視の弊害にスポットをあて、内発的動機づけ、創造性、多様な学習形態を重視した新たな教育アプローチの必要性を、学術的トピックスを交えながら論じていきます。


はじめに

みなさんは、以前NHKで放送されていたテレビ番組「課外授業 ようこそ先輩」を観たことがありますか? この番組は、それぞれの業界を牽引する著名人が、自身の出身校である小学校を訪れ、その専門分野や人生経験について授業を行い、後輩の子供たちにメッセージを送る内容でした。例えば、当時大リーガー選手だった松井秀喜さん、日本人2人目の女性宇宙飛行士の山崎直子さん、他にも「新世紀エヴァンゲリオン」を手掛けた庵野秀明さんなどたくさんの豪華な著名人が、その経験に裏打ちされた奥行きのある授業を展開していたことを今でも覚えています。同番組は「グランプリ日本賞」など多くの賞を受賞し、私自身も楽しく視聴していた番組です。こういう番組を観ていると、スーパースターは楽しい授業ができるもので、普段接している先生は何だか俗っぽいもののように感じてしまうのではないでしょうか。

しかし、私の記憶の限り、あの番組を観ていて、その著名人らが最後に生徒の成績をつけているところを観たことはありません。もし番組の最後にスタッフから「生徒たちそれぞれに5段階で評定をつけてください。」と言われたら、きっと番組の雰囲気が一変するでしょう。

まず、私自身が教員の立場として、楽しい授業を設計し、生徒や学生が前向きな気持ちで授業に臨む環境を作ることは教員の使命であることは大前提、ということは強調しておきます。その上で、学校の授業をつまらなくさせてしまうのは、評価して順位をつけ、その順位で進学や学校生活での扱いが変わるシステムになっていることが、原因の一つだと私は感じています。学校での学びが、いつの間にか「成績を上げるレース」になってしまっているんです。そして、そのレースで勝ち抜くことを、生徒(学生)も親も求めてしまうのは、むしろ自然なことでしょう。

この現象は、心理学者のエドワード・デシとリチャード・ライアンが提唱した「自己決定理論」で説明できます[1]。彼らの研究によると、外的な報酬(この場合、良い成績)が与えられることで、本来の内発的な学習意欲が低下することがあるのです。

1. 評価が学びをゆがめてしまう問題

a) 「学ぶ楽しさ」が消えてしまう

地球上で文明を持った知的生物である人間にとって、新しいことを知ることは楽しいはずです。でも、「良い成績を取るため」という外からの目的ができると、その楽しさが薄れてしまうんです。

例えば、英語の授業。文法問題を解くことには熱心でも、実際に英語で話すことには消極的な生徒が多いですよね。私もそうです。それは、テストで点数が取れる文法の方が「評価」されるからなんです。

b) チャレンジする勇気が奪われる

評価を気にしすぎると、失敗を恐れて新しいことに挑戦しなくなります。創造性研究の第一人者であるテレサ・アマビールの研究でも、評価への過度の意識が創造性を抑制することが示されています[2]。

例えば、美術の授業。「先生に高く評価されそうな」無難な作品を作ろうとして、思い切った表現をためらってしまうことってありませんでしたか?

c) 「点数が取りやすいこと」だけを学んでしまう

数字で表しやすいことばかりを勉強してしまい、本当に大切なことが見落とされがちです。これは、キャロル・ドゥエックの「マインドセット理論」で言う「固定的マインドセット」を助長する可能性があります[3]。

例えば、数学の授業。公式を覚えて計算問題を解くことばかりになって、数学的な考え方や日常生活での使い方を学ぶ機会が少なくなっていませんか?

数学的な考え方の事例:

  1. 問題解決力:複雑な問題を小さな部分に分けて考える力。例えば、大きな数の掛け算を、位取りを利用して簡単な計算に分解する方法。

  2. 論理的思考:「もし〜なら、こうなる」という if-then の考え方。例えば、「もしこの三角形が直角三角形なら、ピタゴラスの定理が使える」といった推論。

  3. パターン認識:数や図形の規則性を見つける力。例えば、フィボナッチ数列のような数の並びの規則を見つけ出す。

日常生活での使い方の事例:

  1. 買い物での割引計算:30%オフの商品の最終価格を素早く計算する。

  2. 料理のレシピ調整:4人分のレシピを6人分に増やす際の材料の量の計算。

  3. 家計管理:収入と支出のバランスを考え、将来の貯蓄目標を立てる。

  4. 旅行計画:地図の縮尺を理解し、実際の距離や移動時間を推定する。

  5. スポーツ戦略:サッカーでのパスの角度や力の調整、野球での打球の軌道予測など。

2. 日本の学校での評価の問題点

a) 相対評価のデメリット

「クラスの中で上位何%」というような相対評価は、同級生と競争させてしまい、協力して学ぶ機会を減らしてしまいます。社会心理学者のアルフィ・コーンは、こうした競争的な評価システムが学習意欲や協調性を損なう可能性を指摘しています[4]。

これは「戦争」と同じ状態と言えるでしょう。試しに相対評価システムと戦争の共通点を整理してみましょう。

  1. 勝者と敗者の構図: 両者とも、誰かが勝てば誰かが負けるという構造があります。これは協力よりも競争を生み出し、全体の利益より個人の利益を優先させがちです。

  2. 限られた資源の争奪: 良い成績や上位の席次は、戦争における領土のように奪い合いの対象になります。これは協力よりも独占を促します。

  3. グループの分断: 「できる人」と「できない人」、「味方」と「敵」といった分け方をすることで、集団の協力関係を弱めてしமます。

  4. 近視眼的な考え方: 長期的な成長よりも、目の前の勝利や良い点数を重視しがちです。

  5. 精神的プレッシャー: 常に比較され評価される状況は、戦時のようなストレスを生み出し、メンタルヘルスに悪影響を与える可能性があります。

  6. 個性と創造性の抑制: 決められた基準に合わせようとするあまり、個性的な考えや創造的な発想が抑えられがちです。

  7. モラルの低下: 「勝つためなら何でもあり」という考えが生まれやすく、不正行為などにつながる可能性があります。

どうでしょう?「受験戦争」は実態をよく表現された言葉だと感じます。これらの共通点から、相対評価システムが学びの本質や人間関係にマイナスの影響を与える可能性があることがわかります。

テスト後に点数を比べ合うのは日常的な光景ですよね。でも、これが友達同士で教え合ったり、一緒に勉強したりする機会を減らしているんです。

b) 受験戦争の影響

日本特有の厳しい受験競争が、「良い大学に入るため」という外からの目的で勉強することを助長しています。これは、教育社会学者の本田由紀氏が指摘する「ハイパー・メリトクラシー」の問題とも関連しています[5]。

中学3年生の多くが塾に通い、高校入試のための勉強に追われていますよね。その過程で、学ぶことの本来の楽しさが失われがちなんです。

c) 新しい評価方法の導入と現場の混乱

文部科学省が進めている「観点別評価」は、生徒をいろんな角度から評価しようという点について、良い取り組みだと私は捉えています。しかし、学校現場では混乱が起きています。その大きな理由は、数字では表しにくいことを評価することの難しさにあります。

  1. 評価の主観性(評価する教員によって違いが出る): 例えば、「主体的に学習に取り組む態度」をどう評価するか、教員によって判断が違うかもしれません。

  2. 評価の基準を決めるのが難しい: 数字で表せないことの評価基準を明確にし、全ての教員で共有するのは簡単ではありません。

  3. 時間がかかる: 一人一人の生徒をよく見て、成長の様子を細かく記録するには、たくさんの時間が必要です。でも、忙しい学校ではその時間を取るのが難しいんです。

  4. 説明責任の増大: テストの点数と違って、「なぜこの評価になったのか」を生徒や保護者に説明するために、多くの根拠と基準を設ける必要があります。→必然的に評価しやすいもので評価する流れになる

  5. 副教科における評価の困難さ: 私が受け持つ情報もそうですが、音楽や美術、技術家庭などの授業は週に1か2回くらいしかありません。その少ない時間の中で、「知識・技能」「思考・判断・表現」「主体的に学習に取り組む態度」の3つすべてについて何らかの基準によって数値化し、適切に評価するのは本当に大変なんです。評価のパラメータが増えることで、主要教科よりもさらに少ない授業時間の中で、成績に対する多くの数的根拠を確保する必要が出てきます。

このように、評価のための活動を増やさざるを得なくなって、肝心の学習の時間が減ってしまうこともあります。つまり、評価のために授業をしているような状況になってしまうんです。

これらの理由で、教員たちは評価のための作業に追われて、生徒と向き合う時間が減ってしまっています。また、複雑な評価方法のせいで、生徒や保護者が成績に納得できないこともあるんです。

本来、評価は学びを助けるものであるべきです。でも今の状況では、評価することが目的になってしまい、かえって学びの邪魔をしているかもしれません。

3. 本当の学びの楽しさを取り戻すには

a) プロセスを大切にする評価

テストの点数だけでなく、日々の学習の過程でのフィードバックを重視することで、生徒の成長を支援できます。これは、教育評価の専門家であるポール・ブラックとディラン・ウィリアムが提唱している「形成的評価」の考え方です[6]。

例えば、授業の最後に「今日学んだことについて、友達と話し合う時間」を設けて、教員がアドバイスをする。そんな方法が考えられます。

b) 実社会とつながる学習

実際の社会の問題を解決するような学習を取り入れることで、学ぶ意欲と創造性を高められます。これは、構成主義的学習理論に基づく「プロジェクト型学習」の考え方です[7]。

例えば、地域の環境問題について調べて、解決策を考え、地域の人たちに発表する。そんなプロジェクトを行うのもいいでしょう。

c) 多様な評価方法を使う

テストの点数だけでなく、1年間の学習の成果をまとめたポートフォリオや、実技の評価など、様々な方法で生徒の能力や成長を見ることができます。これは、ハワード・ガードナーの「多重知能理論」の考え方とも一致します[8]。

例えば、1年間の学習成果をファイルにまとめて、生徒自身が振り返りをし、それに対して教員がコメントをする。そんな評価方法も考えられます。

おわりに

学校教育において、評価を完全になくすことはできません。特に初めて学ぶ分野であれば、その面白みに気づくまでは評価を追い求めて学習することも、決して悪いアプローチではないと思います。「食わず嫌い」よりは良いでしょう。教育を提供する者も受ける者も、評価から逃げてはいけない。しかし、その在り方を見直すことで、本来の学びの楽しさを取り戻すことはできるはずです。

「学ぶこと自体の価値」を再認識し、子どもたちの可能性を最大限に引き出す教育環境を作っていくにはどうすればよいか。この試みに果てはありません。この学びについては、子供たちのみならず、大人の学び直しでも同じことが言えるはずです。私たち大人も、勉強と言えば検定や資格など、目に見えるものを追い求めがちです。

そのような「誰かに認めてもらうための勉強」にとらわれず、自分の好奇心を出発点に学びを探求することは、私たち大人の人生をも豊かにし、それを見ている子供たちにも良い影響を与えると私は思うのです。

え?「まず、お前がやれ」って?ごもっともです。ごめんなさい。自戒を込めて。

参考文献

[1] Ryan, R. M., & Deci, E. L. (2000). Self-determination theory and the facilitation of intrinsic motivation, social development, and well-being. American psychologist, 55(1), 68-78.

[2] Amabile, T. M. (1996). Creativity in context: Update to the social psychology of creativity. Westview press.

[3] Dweck, C. S. (2008). Mindset: The new psychology of success. Random House Digital, Inc.

[4] Kohn, A. (1999). Punished by rewards: The trouble with gold stars, incentive plans, A's, praise, and other bribes. Houghton Mifflin Harcourt.

[5] 本田由紀 (2005). 多元化する「能力」と日本社会―ハイパー・メリトクラシー化のなかで. NTT出版.

[6] Black, P., & Wiliam, D. (1998). Assessment and classroom learning. Assessment in Education: principles, policy & practice, 5(1), 7-74.

[7] Krajcik, J. S., & Blumenfeld, P. C. (2006). Project-based learning. In R. K. Sawyer (Ed.), The Cambridge handbook of the learning sciences (pp. 317-334). Cambridge University Press.

[8] Gardner, H. (2011). Frames of mind: The theory of multiple intelligences. Basic books.

[9] Gipps, C. V. (1994). Beyond testing: Towards a theory of educational assessment. Falmer Press.

[10] Hargreaves, A., Earl, L., & Schmidt, M. (2002). Perspectives on alternative assessment reform. American Educational Research Journal, 39(1), 69-95.


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