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「想定外」で1,000億円ものお金持ちに!: 無一文の7人の研究者がどのように1,000億円超の資産を手に入れたのか

追記)2021年9月1日にDatabricksはシリーズHを実施、1.6B$(約1,760億円)を調達し、企業価値が 38B$(約4.2兆円)に到達しました。記事内は数字が古い箇所があります。

こちらはこのフォーブスの記事を意訳したものです。ときおり注釈でリンクなどを入れたり、金額を円に直したり(円換算は本日の換算レート1ドル109.58円ではなく簡潔に110円で計算しています。)してわかりやすくしてあります。

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カリフォルニア大学バークレー校の人工知能研究室で出会った7人の共同設立者のうち、6人はコンピュータサイエンスの博士号を取得しています。
(立っている左から)フィールドエンジニアリングを担当するArsalan Tavakoli(37歳)、エグゼクティブチェアマンで初代CEOのIon Stoica(56歳)、プロダクトマネジメント担当副社長のAndy Konwinski(37歳)、チーフソフトウェアアーキテクトのReynold Xin(35歳)、エンジニアリング担当副社長のPatrick Wendell(32歳)。
(座っている左から)CEOのAli Ghodsi(42歳)、チーフ・テクノロジストのMatei Zaharia(36歳)。「私たちは自分たちのことをバークレーのマフィアだと思っていました」とゴディシは言う。


Databricks社のCEOであるアリ・ゴディシ (Ali Ghodsi)と彼の共同設立者たちは、事業を始めることには興味がなく、技術で利益を上げることにはさらに興味がありませんでした。8年後、少なくとも3人がビリオネアになりました。

サンフランシスコのダウンタウンにある13階の役員会議室は、緊張した雰囲気に包まれていました。2015年11月、バークレー大学の研究者7人が立ち上げた2年目のソフトウェア会社Databricks社は、話題性はあっても収益は乏しい状態でした。

取締役たちは、何度も何度も繰り返してきた話題を、気まずそうに話した。5カ月前から資金調達を試みていたが、ベンチャーキャピタルは売上の少なさを警戒して、手をこまねいていた。そこで、NEAのパートナーであり、既存の投資家でもあるピート・ソンシーニが、3,000万ドル(約33億円)の緊急出資を申し出てくれた。

次に必要なのは、新しい上司だ。創業者であるCEOのイオン・ストイカは、カリフォルニア大学バークレー校の教授職に戻るため、退任することに同意していた。これは、Databricksの競合であるスノーフレーク (Snowflake)社が、2020年9月に330億ドル(約3兆5千億円)のIPO(新規株式公開)を達成するまでに2度行ったことと同じです。イオンの代わりに、ストイカや他の共同創業者たちの強い要望で、当時エンジニアリング担当副社長を務めていた共同創業者のアリ・ゴディシを選んだのです。

「他の役員の中には、『それは意味がない』と言う人もいました。『創業者である教授を別の教授に変えるなんて、それはおかしい』という意見もありました」と振り返るのは、最初にVCに出資したベン・ホロウィッツ。彼自身も当初は、ビジネスを運営した経験のないキャリアのある学者に事業を任せることに懐疑的でした。そこで妥協案として、ゴディシで1年間の試用期間をやってみることになりました。
ゴディシは42歳、禿げていて髭も剃っていないが、ホロウィッツ自身が認めているように、数百社に及ぶアンドリーセン・ホロウィッツのポートフォリオの中で最高のCEOになった。Databricks社は、ゴディシ氏が就任した当時の110倍にあたる280億ドル(約3兆円)の評価額を得たことで、すでに同アンダーセン・ホロウィッツ社にとって最高のソフトウェアの成功例となっています。Databricks社は現在、5,000社以上の顧客を抱えており、フォーブスの試算によると、昨年の約2億7,500万ドル(約300億円)から2021年には5億ドル(約550億円)以上の売上を計上する見込みです。フォーブス誌の最新版「AI 50」に掲載されているほか、昨年の「Cloud 100」では5位にランクインしており、ソフトウェア史上最も収益性の高いIPO(新規株式公開)を間近に控えています。ゴディシのマジックによって、少なくとも5-6%の株を保有している、ゴディシ自身、ストイカ(56歳)、チーフテクノロジストのマテイ・ザハリア(36歳)という、14億ドル(約1,600億円)を持っている、3人の億万長者が誕生している。

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Databricks社のCEO兼共同設立者であるアリ・ゴディシ。ゴディシは、2013年にしぶしぶDatabricks社の立ち上げに参加した際には、パートタイムのエンジニアとしてしか参加していませんでした。「3ヵ月後、私は週に100時間も働いていることに気づきました。研究を続けることは不可能でした」。1年後、彼はエンジニアリング全体を統括するようになりました。3年後には会社を経営するまでになりました。

これは驚異的な成果ですが、特にゴディシをはじめとする創業者の多くは学術的な研究に没頭していたため、会社を設立することや、(将来を)予測できるコードである「Spark」という最高の技術を有料で提供することには消極的でした。しかし、その技術をオープンソースとして企業に提供したところ、「エンタープライズ(企業)向けには足りない」と言われてしまったのです。つまり、Databricks社は商業化する必要があったのです。

"私たちはバークレーのヒッピー集団で、ただ世界を変えたいと思っていたのです」とゴディシは言います。私たちは彼らに「ソフトウェアを無料で提供しよう」と言うと、「いや、100万ドル(約1億円超)払うから」と言われました。

"Databricks社の最先端のソフトウェアは、人工知能を利用して、コストのかかるデータウェアハウス(分析に使用する構造化データ)とデータレイク(安価な生データの保管場所)を融合させ、データ「レイクハウス」(単語の間にスペースを入れない、最高のギークスピーク(注;技術好きの話ことば)の伝統にのっとったもの)という造語を作成します。ユーザーがデータを入力すると、AIが未来を予測します。例えば、ジョンディアJohn Deere社(注;北米No.1の農機具メーカー。米国では農業は将来有望事業の1つ)では、農機具にセンサーを取り付け、エンジンの温度や使用時間などを測定しています。Databricks社はこの生データをもとに、トラクターが故障しそうな時期を予測します。Eコマース企業は、このソフトウェアを使って、売上を伸ばすためのウェブサイトの変更を提案します。また、証券取引所やソーシャルネットワーク上の悪意のある行為を検知するためにも使用されています。

ゴディシ氏によると、Databricks社はすぐにでも株式を公開できる状態にあるという。来年の売上高は10億ドル(約1,100億円)に迫る勢いだと、ソンシーニは指摘します。将来的には1,000億ドル(約11兆円)も夢ではないとゴディシは言いますが、それは控えめな数字かもしれません。これは単純な計算です。企業向けAIはすでに1兆ドル規模(約110兆円)の市場となっており、さらに大きく成長することは確実です。このカテゴリーのリーダーが市場のわずか10%を獲得すれば、その収益は "一千億円単位でカウントすることになる "にもなるとゴディシは言います。

イラン・イラク戦争から4年後、ホメイニ師が政権安定のために政敵を厳しく取り締まる中、革命の標的となった上流階級のゴディシ一家は、貯金を捨て、最初にビザを許可してくれたスウェーデンへの逃避を余儀なくされた。1984年、5歳のアリ・ゴディシは、母国の記憶が爆撃やサイレンの音だけという状態で、それが数十年に及ぶ旅の始まりだった。

最初は安い学生寮を転々としていましたが、ワンルームに学生ではなく核家族が住んでいることが大家さんにバレて、いつも数カ月で追い出されていました。時には、肌の色が黒い移民を指す蔑称「スヴァルツカレ svartskalle」(文字通り「黒い頭」)など、歓迎されない言葉を浴びせられることもあったという。

ストックホルムの汚い地区を転々としたゴディシは、妹と一緒に常に転校し、新しい友達を作らなければなりませんでした。ゴディシは、さまざまな人との出会いが、今日の社会的な器用さにつながっていると考えています。

天才的な技術者としての芽生えも早かった。ゴディシの両親は、子供たちに新しいプレゼントを買う余裕がなかった。アリは中古のコモドール64を見つけた。それはビデオゲームを読み込むことができるカセットプレーヤー付きの家庭用コンピューターだが、カセットデッキが修復不可能なほど壊れていたため、非常に安く購入することができたのだ。好奇心旺盛な小学4年生の彼は、マニュアルを読み始め、すぐに自分でゲームをコーディングする方法を見つけ出した。「私は技術に夢中になったオタクの一人でした」とゴディシは笑顔で語る。

ホロウィッツは当初、企業経営の経験がないキャリアのある学者にDatabricks社を任せることに懐疑的だった。しかし、ホロウィッツ氏自身が認めるように、ゴディシは数百社に及ぶアンドリーセン・ホロウィッツのポートフォリオの中で最高のCEOとなった。

その成功体験は、閑静な工業都市スンツバルにあるミッドスウェーデン大学に入学してからも続き、ゴディシはさらに1年滞在してコンピュータ工学と経営学の修士号を取得しました。その後、スウェーデンのMITやカルフォルニア工科大学に相当するKTH Royal Institute of Technologyに入学し、2006年にコンピュータサイエンスの博士号を取得しました。

2009年、カリフォルニア大学バークレー校の客員研究員として渡米した30歳のゴディシは、そこで初めてシリコンバレーを目の当たりにしました。その9年前にドットコムバブルが崩壊し、金融危機が続いていたにもかかわらず、イノベーションはピークに達していました。フェイスブックは設立から5年しか経っておらず、まだ株式公開されていませんでした。AirbnbやUberは設立1年目でした。そして、いくつかの新興企業は、自分たちのテクノロジーがある狭い作業で人間を打ち負かすことができると自慢し始めたところでした。

「70年代に開発されたニューラルネットワークのアルゴリズムに、これまでよりもはるかに多くのデータと最新のハードウェアを用いると、超人的な結果が得られることがわかりました」とゴディシ氏は言います。

ゴディシは、一連の "特殊能力 "(注:ある能力に秀でた人に発給することができる特別なビザ)ビザでアメリカに滞在することができた。バークレー校では、当時24歳の博士課程の学生だったマテイ・ザハリアと協力して、データ処理用のソフトウェアエンジン「Spark」を開発しました。彼らは、大手企業がニューラルネットワークで行っていることを、複雑なインターフェースを使わずに再現したいと考えました。

「私たちのグループは、ソフトウェアエンジニアリングに興味がない人でも、大規模なデータセットを簡単に扱えるようにする方法を最初に検討したグループの一つです」とZahariaは言います。

その結果、Sparkは非常に優れたものとなりました。2014年にはデータのソート速度で世界記録を樹立し、ザハリアはその年の最優秀コンピュータサイエンス論文賞を受賞しました。企業に自分たちのツールを使ってもらいたいと思い、コードを無料で公開したが、すぐにそれが実際には普及していないことに気づいたのです。

2012年、7人の研究者が集まり、インド料理屋でミーティングを重ねた後、データブリックスを設立することになりました。起業の知恵は、ルーマニア出身のザハリアの論文指導者であるスコット・シェンカーと同じくルーマニア出身のイオン・ストイカという2人の著名な学者から得られました。シェンカーは、2012年にVMware社に約13億ドル(約1,500億円)で売却されたネットワーク企業Nicira社の初代CEOを務めていましたが、ストイカは3億ドル(約330億円)規模のビデオストリーミング新興企業Conviva社の幹部でした。ストイカはCEO、ザハリアはチーフ・テクノロジストとなります。シェンカーは、Nicira社の初期の投資家であるベン・ホロウィッツ氏と研究者たちとの最初のミーティングを手配しましたが、研究者たちはこのアイデアをほとんど受け入れませんでした。

「70年代のAIアルゴリズムをほじくり返しても、これまでよりはるかに多くのデータと最新のハードウェアを使えば、結果は超人的なものになる。」
アリ・ゴディシ

「私たちは、『彼が研究者ではないから、資金を受け取りたくはない』と考えました」とゴディシは言う。「私たちは、数十万ドル(数千万円)のシード資金を調達して、1年間活動してみて、何が得られるかを考えていました。」

ある夏の日、カルフォルニア大学のキャンパスから1ブロック離れた新しいオフィスで、創業者たちは会議室でぼんやりと座って、どれくらいの金額なら断れるかを考えていた。約束の時間から1時間後、ホロウィッツがやってきた。ホロウィッツは、「バークレーのこの場所は、交通の便が悪いんだ」と言ってから、本題に入った。「私は君たちと交渉するつもりはない。私はただ君たちにオファーを出すだけだ。乗るか、断るか、だ。」そのオファーとは、5,000万ドル(約55億円)に近い企業評価額での1,400万ドル(約15億円超)の資本金。断るには惜しい金額だった。

「この種のアイデアにはタイムリミットがあるものだ。」 とホロウィッツは説明します。「ほとんどの人はシードマネーで始めるのがよいが、みなさんは違います。」

ストイカはすぐに、カリフォルニア大学の卒業生であるNEAパートナーのソンシーニを、同社の2番目のベンチャー投資家として迎え入れました。これは、ストイカがConviva社にいた頃からのつながりによるものです。ソンシーニの会社はConvivaの筆頭株主であり、2014年の収益がゼロに近いDatabricksをポテンシャルだけで投資しました。(「私は最初の資金調達も主導するつもりでしたが、ホロウィッツが私の目の前でそれを奪ってしまったのです」と彼は言う。)この3,300万ドル(約36億円)の投資により、スタートアップは創業からわずか13カ月で評価額が2億5,000万ドル(約275億円)に達しました。

ゴディシは言います。「2015年はSparkがアップルパイ(注;何かを比喩しているけど現時点で不明。)以来のホットな話題になった年でした。」加速する成長を見越して、Databricks社は本社をバークレーの質素なオフィスからサンフランシスコの金融街にある高層ビルの13階に移転しました。チームは不運な階数を気にしませんでした。"縁起の悪い階数を気にすることもなく、「安い値段で手に入れたので、『これはいい』と思ったのです」とゴディシは言う。しかし、数ヶ月のうちに不運が現れてきた。

ホロウィッツは言う。「我々は、市場投入の方法を考えるのに時間がかかりすぎていました。Amazon Web ServicesやClouderaなどの大手企業は、Databricksを使わずにSparkを自社製品に統合していました。」ゴディシ氏は、「競合他社は皆、Sparkがいかに好きかを語り始めた。「しかし、我々にはほとんど売上がありませんでした」。

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By Nina Wolpow. Source: CB Insights(8位がデータブリックス)

2016年1月に就任したゴディシは、すぐに3つの施策を実行した。第1は、企業の最高情報責任者(CIO)への売り込み方を知っている人材で営業部隊を増強すること。第2は、データブリックスのC-suiteを "経験者 "で構成すること。第3に、ソフトウェアに独自の機能を持たせて、優秀なセールスマンが売れるようにする。当時、この技術はオープンソースすぎた。「他社がSparkのすべてを無料で提供していたので、我々には特別なものはありませんでした」とゴディシは言います。

1年後、経営陣は一新され、AppDynamicsやAlteryxなどの企業でEXIT(注:株式公開や売却を指す)を成功させた技術系のベテランで占められるようになった。ゴディシは、後任者の下で働くことを条件に、旧経営陣に留任の機会を与えた。「賢い彼らは、自分のエゴを捨ててくれました」と彼は言う。辞めたのは7人中2人だけだった。

新しいDatabricksプラットフォームが人気を博したのは、競合他社よりもSparkのコアエンジンをうまく利用していたからです。「他の企業はSparkをほとんど理解していませんでした」とゴディシは言います。また、創業者たちはSparkの生みの親であるため、新機能が公開されるずっと前からDatabricksに新機能を組み込んでいました。「我々は常に他の企業の1、2年先を行っている。」

売り上げは急速に伸び、2016年には1,200万ドル(約13億円)に達しました。ホロウィッツは、「最初の年があまりにも華々しかったので、その後はアリがCEOになるのは明らかだった。」と語る。自信を取り戻した著名な投資家は、マイクロソフトのCEOであるサティア・ナデラに推薦状を送り、DatabricksがAIとビッグデータの革命の先頭に立っていると宣言した。ナデラは即座に反応した。"何年も前からナデラに連絡を取ろうとしていたゴディシは、「ナデラがマイクロソフトの超一流の社員たちに連絡を取ったところ、彼らはすぐに、私たちと緊密なパートナーシップを結ぶことを強く望んだのです」と語る。両社は協力して、DatabricksをMicrosoftの595億ドル(約6兆円超;2020年暦年の売上)のクラウドサービスであるAzureに直接統合しました。マイクロソフトの営業部隊は現在、見込み客に売り込む際に「Azure Databricks」をアピールしており、2019年にはレドモンドの巨人がゴディシの会社に出資しました。

ゴディシは、Databricksの仕組みにはほとんど謎がないと言います。大量のデータをアルゴリズムに投入するだけで、そのデータをどのように分析し、予測するかについてAIモデルを訓練することができます。「誰も知らない超秘密のソースのようなものではありません。」

しかし、競合他社は、出遅れたため、データ処理ツールや人工知能ツールのどちらかに集中することを余儀なくされました。「学者として、私たちはただ大きなことを考え、『未来はどこへ行くのか』と考えていました。SFみたいなものです。」とゴディシは言います。

その間、DatabricksはSparkをはるかに超える拡張に注力していた。2018年には、機械学習プロジェクトを管理する「MLflow」をリリースし、その1年後には、企業がゼロからやり直す必要がないように、既存のデータレイクをレイクハウスにする「Delta Lake」を発表しました。どちらもヒットしました。Sparkは、顧客がDatabricksを利用する理由の5%に過ぎないとゴディシ氏は言う。

"他のオープンソース企業は、最初に作ったオープンソースの製品をそのまま使っています。DatabricksはSparkをはるかに超えてきました。」と語るホロウィッツは、同社への初期投資により、Forbes誌の2021年トップ技術投資家リスト「Midas List」の38位にランクインしています。アンドリーセン・ホロウィッツが全株を保有していたと仮定すると、当初の1,400万ドル(約15億円)の投資は現在89億ドル(9,000億円超)の価値があります。

Databricks社は、2月に10億ドル(約1,100億円)を調達し、世界で最も価値のある新興企業の一つとしての地位を確立しました。この新たな調達は、世界の大企業から契約を獲得するために必要な莫大な資金となります。その中でも、3年前まではDatabricks社と業務提携を結んでいたトップクラスのデータウェアハウスプロバイダーであるSnowflake社は、新たに上場したこともあり、大きな存在感を示しています。Piper Sandler社の技術アナリストBrent Bracelin氏によれば、現在でもDatabricks社のユーザーの70%はSnowflake社の顧客でもあるという。しかし、この2つの会社は、お互いに譲らない関係になりました。

ホロウィッツは、「スノーフレークは明らかに素晴らしいポジションにある会社だが、(経営の)プロのCEOを抱えている」と言う。「彼はいつまでそこにいるのだろうか?おそらく、それほど長くはないでしょう」。創業チームがいまだに全面的に関与しているデータブリックスは、「エンタープライズソフトウェア業界では、Databricks社を超える革新的な企業は存在しないだろう」としています。

Snowflakeの製品担当上級副社長であるChristian Kleinerman氏は、Databricksの新しいウェアハウス機能に陰口を叩きながら、「(Databricksが)ここ3、4年で行ってきたアーキテクチャ上の良い選択と思われることは、すべてSnowflakeが8年前に行ってきたことだ」と反論する。しかし、Snowflakeの次のアクションである、ユーザーがデータをAIツールに投入するためのハブは、Databricksと「非常に似た」方法で使用されるだろうと認めている。

市場が枯渇したり、経済が減速したりした場合に備えて、毎年「空が落ちる Sky is falling」という演習を行い、詳細なアクションプランを作成しています。新型コロナウイルスが襲いかかった時、長年かけて行ってきたデジタルトランスフォーメーションがわずか数ヶ月に短縮されたため、これらの危機対応計画によってDatabricks社は大きな混乱に対処することができました。

いずれにしても、ゴディシ氏の見立てでは、Snowflakeは4つの主要な競争相手の1つに過ぎません。他は、クラウドのビッグスリー、Amazon、Microsoft、Googleです。この3社はいずれもDatabricks社に出資しているため、厄介な状況になっています。しかし、彼らは皆、長い間、独自のデータ分析スイートを構築してきました。

ゴディシは、既存の大手企業と新たに参入してきた企業の両方からの脅威を認識しています。「私を知っているほとんどの人は、私がこれまでに会った中で最も"偏執的な"CEOだと言うでしょう」と、長年インテル社の社長を務めたアンディ・グローブ氏の言葉を借りて語ります。

"私は戦争の中で育ったので、それは自然なことだと思います。子供の頃に路上で人が死ぬのを見ていれば、いつでも何が起きてもおかしくないと思うでしょう」。ゴディシは毎年、社員に「空が落ちてくる the sky is falling」という演習をさせている。市場が枯渇したり、経済が停滞したりした場合に備えて、詳細な行動計画を立てるのだ。

Covid-19が発生したとき、Databricks社はこれらの危機対応計画により、数年かけて進めてきたデジタルトランスフォーメーションをわずか数ヶ月で完了させることができました。Databricks社は、オーストラリア、インド、日本、スウェーデンなど、世界各地にオフィスを開設し、技術者や営業担当者のチームを作っています。

ベイエリアに戻ったゴディシは、息子の腎臓がんという、より身近な問題に頭を悩ませていました。深夜に救急外来を受診した後、ゴディシは現在の状況を振り返る。テクノロジーとデータはすでに進歩しており、ゴディシと妻は腫瘍ができる前に息子の病気の遺伝的素因を発見することができました。Databricks社のような企業は、次のステップである、AIを使って新しい治療法の発見を早めることで、製薬会社やヘルスケア企業を支援しています。

「10年、15年前にこのようなことが起こっていたら、彼は死んでいたでしょう。彼が嘔吐し、がんがあちこちに転移するまで発見されなかったでしょう」とゴディシは言います。「このようなテクノロジーが助けになるのです。」

元記事の記者はこちら
Kenrick Cai

翻訳あとがき
CEOアリ・ゴディシを初めてみたのはロサンゼルスの全社キックオフだった。当時ほぼ日本では無名のデータブリックスに入社して、期待と不安の中、最初に出演したのはベン・ホロウィッツ、話してる内容はこのコラムのように「学生だったアリたち」の話。お金をだして「さぁ、最初に何をしたい?」と訊いたら「卒業したい。」だったそう。そんな笑い話がでてくるくらい、会社は明るく、そして若く、情熱のある人たちで構成されている。一方、私のようにシニアな人がそのような若手をビジネス面で支えていく。20年ほど前のグーグルがそうであったように、シニアと若手、そしてその間の中間層がうまくコミュニケーションできて、会社が廻っている感じを受けた。そんな雰囲気を日本でも組織が成長していく中で創っていけたら、と思っています。
一握りの大企業だけが享受できるAIの世界ではなく、いつでもAIを利用できるSaaSをリリースしたデータブリックス。「データとAIの民主化」をお客様とパートナー様とで、ぜひ成し遂げたいと思っています。
内容に興味をもったら是非コメント、あるいはDMをください。
長文、ご拝読いただき、ありがとうございました。

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