これまでのツアー価値に関する研究/今後の研究課題
2022年以降、チクセントミハイのフロー理論と観光における顧客満足度の関係について、現場視察、現場でのアンケート、日本の論文、海外の論文など様々な情報をもとに考え続けてきた。
チクセントミハイのフロー理論は、極めてシンプルな一方でその構成原理などまだ未解明な部分も多く、すべての現象に対して、100%明確な答えを提供することができない。
2024年現在も盛んに研究が行われていて、進化&深化途中にある現在進行中の新しい理論であるという認識を持っている。
この研究の目的
まだ民間人で、どこの研究機関にも所属していないので、「研究」という言葉を使うのは憚られるけど、この「考え」を深めている理由は、なによりもまず「『ツアー自体の価値』を心理学的に明らかにしたい」という思いに突き動かされているからに尽きる。根底には、日本中様々なところで「高付加価値ツアー造成事業」や「上質なツーリズム」などの言葉が溢れているが、つまるところ、「高付加価値とはなにか?」や「ツアーにおける上質とはなにか」という問いに対して、心理学的に明確に説明されない状態が長年続いているという課題意識がある。
ツアーの中心的、本質的価値である「楽しさに類する心理状態とはどういう状態か、そしてどのようにすればそういった心理状態に人をさせることができるのか」をあきらかにすれば、どうやって再現すればよいかも推測できるし、それによって、単価を上げ(高付加価値)、生産性を高められると考えている。
ツアーの価値、すなわち、ツアー料金の対価として得るもの、あるいは期待しているものは、物質的な価値ではない。物理的な「何か」ではない。
ツアーは「楽しかった」や「感動した」などという言葉で表されるように情緒的価値を提供するものである。そのため、情緒に直結する人間の気持ち、つまりは「心理」を解明することが何よりも重要であると思う。
日本において、高付加価値ツアーの文脈では、帰納法的なアプローチが取られることが多い。つまり、利益を出している事業者の実際のツアーを範にとり、「このようなツアーを行うと人気がでたので、このツアーの構造を明らかにして、横に展開していこう」とする考え方である。
一方で、演繹法的なアプローチは少ない。それは観光において、顧客の心理を理論的に説明できるものがない、ということであろう。そしてツアーの満足度に対する心理学的な説明が可能になるものが、このフロー理論だと信じている。
ツアーの文脈で、演繹法的なアプローチが唯一取られているのは、インタープリテーションにおける、TORE理論である。このTORE理論とフロー理論の関係について、日本や世界で発行されている論文をかなり調べてみたが、直接的に言及しているものはまだごくわずか。ただ「わかりやすく説明し、Enjoyableな状況にさせる」という基本的なTORE理論の考え方と、「思考の強度が高まった結果、時間感覚が変容する」というフロー理論の仕組みには、合理的関係性があるのではないかという仮説を持っており、TORE理論によって作られたツアーによってフロー状態に入る可能性は極めて高いと思う。
※ここでいうツアーは、初期にはアウトドアアクティビティを想定していたが、研究を深める中で現在は、歴史解説や自然解説、街歩きツアーも総括した、総体としての「ツアー」という呼び方をしている。
なぜフロー理論が重要なのか
フロー状態が、ツアーの本質的、中核的な価値であり、その発生の仕組みがある程度、形になっているため、ツアーに応用が可能な理論になりうる可能性がある。ということがひとつの要因である。
さらにフロー状態に入った場合、顧客の満足度が有意にあがるというさまざまな論文の研究結果が存在している。他者推奨意向度や再訪意向などに影響を与えることもわかっており、ツアーの本質的な価値だと考えているため、フローが重要だと思っている。
最新の研究や課題
2024年の直近の複数の論文から共通して指摘されており、かつ自分自身も論文を読んで疑問に思うのは、「フローの計測方法」に関しての点である。様々な研究者が各々の研究手法をとり、測定方法がバラバラであるという論文もあるし、主観的な手法によってデータをとるため、神経生理学的なデータ取得と整合性がとれないという研究もあった。フロー状態の測定に関しては、まさに研究の最中なので、今後明らかになるとよいなと思っている。
基本的には、時間を忘れたという感覚、オートテリックな感覚、前向きなマインド、このうち複数の要因が現れると、フロー、もしくはフロー類似の状態が発生していると推測している。測定はできる限り、ツアーの直後が良い。後日のアンケートは記憶に頼る点で少し曖昧さを感じる。
直近10年ほどで、今までフローという単一の概念で説明しようとしていた状態が変わり、テリックフローやクラッチ、パラテリックフローなどといった新しい概念が生まれてきているのは良いことだと思う。(一方で、改めて考えると、チクセントミハイ自身が以前から指摘していたような、内発的、外発的という捉え方が、パラテリック、テリックの両者に対応するような気がしないでもない。)
各国の論文を読んでいて思うのは、ニュージーランドやアメリカなど西洋諸国でのフロー理論の研究は、フロー状態の特定などにかなり繊細なアプローチをとっていて、それが何であるか、について深く論じられている気がする。
一方で、トルコや中国本土、台湾などのフロー理論の論文は、フローの概念がまだ曖昧というか、かなりざっくり、大きな枠でフローを捉えているように読める。
フロー状態の分類
フロー理論を考えるときに登場する様々な補足的な言葉がある。これらはそれぞれ以下のような意味合いを持っていると個人的に(勝手に)理解している。
・テリックフロー
目的志向型のフロー。ある目的があり、この目的を達成するために努力があったうえで、集中をし、フローにはいる。
例:試験勉強、会社での作業(プレゼン資料作成など)、カヤックでの滝下り、スポーツでの好タイムなど。目標が必要なので、スキルと課題のバランスは、課題が高めにある状態。目標は上限や特定の基準が決まっているクローズドなものになる。
・クラッチ
テリックフローに似た現象だが、特に、緊張やプレッシャーを伴う場面で、意図的に集中力を高めて時間感覚が変容する状態という認識。ほぼテリックフローと同じなのではないかとも思う。
・パラテリックフロー
テリックフローに対して、目的志向ではなく、それ自体が楽しいという状態のフロー。チクセントミハイが描写する元々のフローに近い。目標がオープンであって、作業のゴールが決まっていない状態などもこれに含まれる。スキルと課題のバランスは、どちらかというと課題が低い状態で発生する。
例:ゆったりした河川でのカヤック、凪の海でのシーカヤック、自由創作での絵画、ジオラマつくり、合唱など音楽活動、喫茶店などでのママ友の会話など
・外的な(あるいは身体の)フロー
スポーツやアウトドアアクティビティなど、体を高速、高精度に動かす際に、脳の意識を集中させる中で、フローに入っていく、という考え方。五感からのインプット情報を脳で処理し、筋肉への電気信号を使って筋肉を動かすその作業自体に、思考を占有されるのではないか、と思っている。
・内的な(あるいは思考の)フロー
読書や映画鑑賞、食事、温泉、サウナ、勉強、研究(まさに今これを書いている瞬間が内的なフロー、ただこの文言を書いているときは意識が介在しているので、フローから出ている)など、身体を動かさないけれど、脳での思考強度が高まってフローに入るという状態。
インバウンドツアーなどもこちらだと思っている。
・グループフロー
キース・ソーヤーが提唱した集団でのフロー。オーケストラ、合唱、チームスポーツ、同僚と協働するプロジェクトなど、複数名で行うタスクでフロー状態に入ると、より深いフローが現れるとする理論。旅行も複数名で共感し思い出を共有し、作業をともにするという意味で、個々の瞬間にはグループフローが発生している可能性がある。
関連する用語
・内発的動機
下記のオートテリックに近いが、一応、自分の理解では、フロー状態になる前の段階でその活動に参加しようとする動機が、自分が楽しいと思う、自分が楽しくてやりたいと思う、など、自律性がある状態。パラテリックフローにつながる。
・外発的動機
同じく、フローに入る前の参加動機が、外部の報酬などによるもの。テストで点数を取るため、昇進試験のため、昇給のため、など外部の報酬が、作業を行う動機になっているもの。テリックフローにつながる。
・フローブロッカー または フロー阻害要因
フローに入ることを妨害する様々なもの。一般的には「気が散る!」とか「気を散らせないで!」と一喝される対象のもの。これは人によってことなり、例えば、お化粧を忘れたとか、スマホの着信があったとか、没入状態を邪魔して、我に返らせるものはすべてフローブロッカー。このフローブロッカーを減らすと満足度が上がることは証明されはじめている。
・フロートリガー または フック
チクセントミハイ自身は「フック」と呼んでいるもの。フローにはいる「きっかけ」のことである。このフロートリガーも様々ある。アクティビティなら「ルール」だったり「方法」を教えることによって、一定の思考の方向性を限定して考えるスタートを切らせることもできる。実際ガイドツアーで良いツアーを作るときに現実議論になりやすいのは、このフロートリガーの部分だと思う。当たり前だけど、フロートリガーは人によって違う。
・オートテリック
この言葉も、オートテリックな性格など、フローの前の段階で使われる事が多いのだけど、個人的な分類としては、まさにフローの中において、その活動が楽しくて楽しくて、そのためにその作業を続けたい、やめられない、という状況。という認識。
・Playfullness(プレイフルネス、遊び心)、前向きなマインド
フローに入る前に、その作業やタスク、遊びにたいして、後ろめたい気持ちがなく、完全にフレッシュで前向きな気持ちで取り掛かる心理状態。この状態だとフローに入りやすい。
・自律性、コントロール感
自らの意思を持って、そのタスクに取り組む、取り組める状態だとフロー状態に入りやすい。自律性がない、受動的な体験はフローに入りにくい。
・新奇性(新規性とも)、予測不可能性、複雑性
フロー理論に関する本や論文に時々でてくる、フローに入りやすい要因として挙げられる要素。これは、旅行中に出くわす、建物、ストーリー、食事、人、服装など様々な要素について、本人の居住地の習慣、慣習、風俗、常識といった考え方と比較して、新奇性、予測不可能性、複雑性があると、「考えて解釈する、理解するという作業が発生する」ため、フローに入りやすいとされる。
・シリアスレジャー
日本語にすると「真剣なレジャー」などと訳され、よくわからないが、要は趣味で楽しむアウトドアスポーツ、趣味のアウトドアアクティビティ、という意味。ニュージーランドの論文などでしばし使われる「アドベンチャー レクリエーション」もほぼ同義。
・インタープリテーションにおけるTORE理論
よいツアーには、テーマがあり、テーマに基づいて全体が構成されていて、顧客の興味関心に結びつける努力をし、楽しいものである。という考え方。このTORE理論のOとRとEは、人が思考によってフローに入るプロセスと近似している。特にEのEnjoyableは、楽しいという言葉を使っているが、人が「楽しい」という状況になる場合、フローが発生していることが多いので、やはりTORE理論とフロー理論は表裏一体、方法論と心理で平行したものと捉えている。
関連理論
フロー理論の論文や、ツアーの満足度に関する論文でしばしば登場するのは、リバーサル理論や、MTE(Memorable Tourism Experience 記憶に残る旅行)、マインドフルネス、神経生理学、インタープリテーションにおけるTORE理論、経験経済などである。
こういった研究は、フロー理論の研究と並行して行われていて、フロー理論と親和性が高かったり、重複していたりすることも多々ある。それぞれは理論的な対立構造ではなく、それぞれが並行して発生していて、観点によって捉え方が違う、という認識を持っている。
アウトドアアクティビティにおけるフロー
アウトドアアクティビティも、趣味、教育、リフレッシュ、観光など様々な顧客セグメントにわけることができる。セグメントごとに目的が違うので、すべて一緒にすることはできないが、趣味的なアウトドアアクティビティでは、道具を使いこなすことが求められ、上達をする必要性があり、テリックフローが発生することは間違いない。一方でリフレッシュ目的のツアーなどでは、パラテリックフローが発生する。ラフティングやキャニオニングなど、危険から身を守るために意識を集中さぜざるをえないというような形態のツアーは、テリックフローが発生しているのではないかなと思っている。
同じジャンルのツアーでも発生するフローが違うことがある。たとえば、カヤックの場合、ホワイトウォーターカヤックで、滝から落ちる、あるいは激しい瀬を下る、という場合は、緊張やプレッシャーを感じているので、「テリックフロー」状態であるのに対して、静水の湖などで行われるツアーは、顧客に緊張やプレッシャーを過度に与えないので、「パラテリックフロー」である可能性がある。
ここで念をおしておくと、日帰りツアー(アウトドアアクティビティや体験型アクティビティ、体験ツアーなどの総称)の楽しさや満足感、達成感や評価に直結する感情的な要素がフローだけだとは思っていない。リラックスが重要な要素なこともある。ただ、いずれにせよ、フローは、評価に直結する感情として主要な要素だろうと確信している。
インタープリテーション系ツアー(街歩き、観光案内、歴史案内、自然解説など)
体を動かすことによらないツアーにおいては、思考のフローがツアーの満足感や価値の主たる心理的主因になっているのではないかと思っている。そもそも、チクセントミハイ自身が著書「フロー体験 喜びの現象学」で章立てて説明している通り「思考のフロー」というものはあり、典型的には読書などが含まれると記述がある。読書は、情報を視覚によって得、脳内でイメージをして理解するという作業である。こういったプロセスと、インタープリテーションによるツアーは、視覚など五感による情報を得て、脳内で考える、というプロセスが一致していると考えていて、基本的な流れは同じだと考えている。
またTORE理論とフロー理論の親和性も高いと思っており、まだ未解明な部分はあるが、ツアー中に時間感覚の変容を感じるのは、IP系ツアーも同じである。フローはアクティビティの種類によって変わるというたぐいの考え方ではないので、基本的には応用可能、というかフローそのものが発生し、「楽しかった」という感情につながっているのではないかと思う。
今後の課題や研究の目標
日本国内においても、また世界においてもまだ正確に論文がかかれていないと思われる領域が3つあり、この領域を調べ、明らかにしたいと考えている。