見出し画像

コロナ渦で「ファッション」から「食品加工」に業態変化した話

社会起業家のゆーじ(@yuji_upcycle)です。

今回は、「コロナ渦で『ファッション』から『食品加工』に業態変化した話」というテーマでお話させていただきます。

起業までの経緯

画像1

(↑スーツを着てるサラリーマンっぽい写真がこれしかないって悲しいw)

まず最初にボクが起業した時の話を簡単にお話しすると、ボクは産業廃棄物処理(リサイクル)の業界で3年半サラリーマンをしていました。

企業から出る廃棄物処理の業務を行っており、この分野には同業他社も多いし、新しいことをするとなると何億円も投資して新しいリサイクル工場を建てるしかありません。

このまま働き続けても、ボクにしか出せない価値を生み出す方法が思い浮かばず、色々と考えているうちに「リサイクル」ではなく「アップサイクル」をしたいと思うようになりました。

アップサイクルとは、本来捨てられるはずだったモノを活用して、より付加価値の高い商品を作り、販売することです。

このアップサイクルであれば、ファッションや食に絡めた商品開発が可能で、一般消費者向けのゴミ問題のアプローチもできると思い、強く興味を持ちました。

このような経緯で、ボクはアップサイクル事業で起業しました。

「ファッション分野」での事業を始めた理由

創業当初は廃材を素材にしてカバンなどのファッションアイテムを作って、販売をしたり、海外のアップサイクルされたカバンなどを仕入れて、販売することを考えていました。

なぜファッションアイテムだったかというと、ボクが起業した2018年はまだまだアップサイクルの概念も普及しておらず、アップサイクル=ファッション分野というイメージが強くあったからです。

シートベルトとエアバッグを使ったカバンなどが有名でした。

画像2

つまり、ファッション分野以外の選択肢を当時のボクは持っていなかったということです。今思えば事前調査が足りなさすぎますねw

アップサイクルの海外調査で1年間の世界一周の旅に出発

画像3

世界一周で調査した海外のアップサイクルについては、以下のマガジンにまとめてますので、そちらで詳しくご覧ください。

1年かけて海外のアップサイクルのブランドの代表やデザイナーの方々にインタビューをして、中には意気投合して商品を仕入れて、日本で販売もすることになりました。

ファッションアイテムを日本で販売し始めたら、、、

1年間の海外調査を終え、日本に帰国し、オランダで学んだ「自転車の廃タイヤをアップサイクルしたベルト」の製造販売や、タイから輸入したアップサイクルカバンの販売開始しました。

画像4

新聞に取り上げてもらったり、

画像5

熊本県の老舗のデパートでイベントをさせてもらったり、

なかなか好調かな?というタイミングで、新型コロナウイルスが大流行

外出自粛になり、ファッションアイテムの売れ行きが完全にストップ。ボク自身外出しないのに新しくカバンを買わないので、これには納得というか仕方ないと早めに業態変化を考え始めました

「食品加工業」への業態変化のきっかけ

コロナ渦に入り、当時やっていた仕事のほとんどがなくなって暇になったので、YouTubeをやってみたり、ブログを書いてみたり、色々と模索している中で、業態変化のきっかけは思ったりよりも近くにありました

画像6

ボクのじいちゃんが自宅で「漬物製造業」の許可を取って、漬物の製造販売を行っているのを目にしました。

じいちゃんとは一緒に住んでいますが、それがビジネスチャンスだとは一度も思ったことがなかったので、まさに「灯台下暗し」的な衝撃でしたw

ピクルスで「食のアップサイクル」

画像7

じいちゃんがやっているのはらっきょ漬けや高菜漬けで、ボク自身、正直あまり好んで食べるものでもなかったので、自分が大好きなものじゃないのに売れる自信がなかったので、何がいいかなーと考えている時に、ピクルスに出会いました。

ボクは海外経験も長いですし、ピクルスの方がカラフルな商品開発もしやすいので、ピクルス屋さんになることを決めました

アップサイクルで起業したボクがなぜピクルス?と思った方もいるかもしれませんが、もちろんボクがやるからにはピクルスもアップサイクルです!

画像8

大きさや形が不揃いで大手の流通に乗せにくいいわゆる規格外野菜を活用し、ピクルスを作ることにしたのです。言うなれば規格外野菜のアップサイクルです!

規格外野菜の多くは、生産者の方々が自己消費をしたり、多すぎる時は廃棄されることもあります。

これの新しい有効活用の方法を開拓することができれば、食のアップサイクルも新しいアップサイクルの方法として確立することができると思いました。

業態変化のチャンスは自分の通ってきた道に落ちている!

ピクルスの商品化までの道のりは、これまた険しく大変だったので、また別の記事で詳しく書こうと思います。

チャンスは自分の通ってきた道に落ちている!」とオリエンタルラジオに中田敦彦さんも何度もYouTubeで発言されていますが、今回のピクルス事業の立ち上げでこれを強く痛感しました。

なぜボクがピクルス事業を始められたかというと、

・飲食店で調理のアルバイト経験が長く、
 野菜を切ったり盛り付けたりが得意だったから。
・祖父が漬物製造業の許可を持っていたから。
・海外経験が豊富で、色々なピクルスを食べたことがあったから。

ボクはピクルス事業を始めてから気がついたことですが、今は何か新しいことを始める時には、自分の強みを過去の経験から見つけるようにしています。

まとめ

今回は、「コロナ渦で『ファッション』から『食品加工』に業態変化した話」というテーマでお話させていただきました。

もともとはファッションアイテムの製造販売を行っていましたが、コロナ渦でファッション分野の売れ行きが鈍化し、業態変化を余儀なくされました。

じいちゃんが漬物製造をやっていたのをきっかけに、ボクもピクルス事業に着手し、ファッションから食品加工へと業態変化をすることができました。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。ぜひ次回の記事も見ていただけると幸いです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?