小説「飛んでいけ」
つまりはこうであった。人間が感じる痛み、苦しみの根源を電子レベルまで分析、解体して取り出し、電話でも掛けるかのように特殊な回線にのせて飛ばす、という物であった。
「しかしながら、こんな物を発明したってどう使えばいいのか……」と博士は困惑の顔でその装置をしげしげ眺めていた。
確かにこの装置は、いかなる苦痛をも取り出すという画期的な発明ではあったが、一つ重大な欠点があったのだ。それは取り出した痛みは、必ず違う誰かに飛ばさないといけない、ということだった。そして取り出せるのは痛みや苦しみといったものだけであった。
「博士、それならいっそ動物に飛ばすというのはどうですか?」と助手が尋ねるも博士は首を横に振って、「人間と他の生物とは構造が違うのだ。どうしてもその壁は乗り越えられなんだ」とうな垂れる博士を見て、助手は胸が苦しくなった。
苦節十年。ずっと博士と共に働いていた助手はどうにかしてあげたかった。勿論、ただそれだけでは無かったのだが――。
「博士、それならひとまずこれを世間に発表し、この偉業を、そして博士の名前を歴史に刻みませんか?」
「いかん!そんなことをしてみろ、きっとこれを悪用する奴が現れるに違いない。これは、純粋に人を助ける装置なのだ!」
博士は真にもって純粋な博愛の精神を持っていた。助手は博士の精神を心の底から尊敬していた。ただ、欲を言えば欲を持って欲しかったのだ。
「博士、それならば生粋なマゾや、病気になりたい人を募集してみてはいかがですか?きっと保険金目当ての奴や自殺志願者なども殺到するでしょうが、勿論そんな悪どい奴らは断るんですよ!」
助手は嘘をつくのがとても下手だった。博士はこの助手の真面目さが好きだったが、そんな悪どい奴らの一員としても見ていた。助手は金と名誉がどうしても欲しかったのだ。博士は呆れながら答えた。
「お前は本当に何て言うのか、確かに今まで付き添ってくれたことには感謝している。できるならば、金も名誉も与えてやりたいのだが、人が人を苦しめるような事をしては何にもならん!」
助手は全てを見抜かれていることを知っていた。しかし今さら後には引けないので、半ばやけになって、「博士!それならばもういっそのこと、この装置を使って金儲けしましょうよ!例えば、病院と提携して裏で取引きするんですよ。痛みを飛ばした患者からは感謝されるし、飛ばされた病院側も患者が溢れて大もうけ!ほかにも色々と使え……」と言いかけて、博士の憤慨した顔にハッと我に帰り、「……というのは、勿論ジョークです」と小声で答えた。
博士は深いため息を吐くと、「……お前にはつくづく呆れるよ。全く、いっそのことお前のその下劣な考えを飛ばしてやりたいよ」と小声で呟いた。
「……博士、本当に申し訳ございません。……そうだ、博士のその博愛精神を私に飛ばして下さいよ!そうでもしなければ、私は苦しいだけです」
「先にも言ったと思うがこの装置は、人間の痛みや苦しみしか飛ばせないんだ。それに仮にできたとしても、そんなものはただの洗脳にすぎん……」
助手は落胆した。畜生、せっかくここまできたのに――。助手は必死で使い道を考えた。が、やはりうまくいく様な案は出て来なかった。
「はあ、もうどうにもならないのか。せっかく完成したのに、何も報われないなんて。どうして博士は僕の気持ちを分ってくれないんだろうか……ん?」
助手は博士に向って声を上げた。
「博士!分りました!」――。
後日、博士と助手は開業した。やってくる人は、どこも患っていない健康な人がほとんどだったが、特にカップル、夫婦、親子、またはアーティストなどの芸術関係の人が多く来院した。
休む暇もなく、金も名誉も申し分なく手にすることができた。博士はそれを大いに喜んだのであった。
「あの、本当に飛ばしてくれるんですか?」
「はい、大丈夫ですよ」
「私、すごく言われるんです。お前は本当に人の気持ちが分らん奴だなって。彼の心の苦しみが、痛みが分らなくて苦しいんです!」
「大丈夫ですよ。この装置であなたも人の気持ちが分るんです。言葉だけでは、やはり相手には届きませんからね」と博士が言うと、横に立っている助手が装置に手を伸ばした。
勿論、言うまでもないことはこの装置の最初の被験者が誰かということだろうか。
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※2012年頃の作品です。
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