「初めての人生の歩き方――毎晩彼女にラブレターを」(有原ときみとぼくの日記) 第254話:未来の自分はいつだって笑っている。
「青春とは、狂気と燃ゆる熱の時代である」F・フェヌロン
★今日は #青春
もう口を開きたくない。
もうなにも見たくない。
もうなにも聞きたくない。
同棲を始めた彼女と衝突してそんな思いが溢れたので、ぼくは今日確かに口を開かなかったし、メガネもコンタクトも外して裸眼で過ごしたし、外にいる間は常にイヤホンを耳にしてなにも聞こえないようにした。
その状態で病院へ。
着々と進んでいく大腸検査の日程とその一週間前からの過ごし方をアホみたいな顔でただ聞いて、そのまま家に帰ってずっと読書をしていた。
夕方、やることをやって家を出て、一人で初めての銭湯に行くもその銭湯はあまりにもレトロでぼくはぼんやりする視界を手探りで歩きながらゆっくりと湯船につかる。
汗が流れていく感覚が全身に広がっていく。
ぼくは昔からこうだ。
なにか過大なストレスがかかると自分の内にこもってしまう。それも徹底的に。その瞬間から世界に対しての興味は一切失せ、情なんてものはただのゴミになる。
気持ちが死んでいる状態だ。
その状態をなんだかんだと楽しんでいる自分もいる。
だから夜、家に帰ってから彼女と子供と三人で話し合いをしたのだ。
約三時間。
すると途中で不思議な感覚に襲われた。下腹部からなにか熱いものが込み上げてきたのだ。
ぼくはそれを観察して、そして思わず彼女に言った。
「今、感情がやっと戻ってきたかも」
感情は生き物のようだ。
蓋をすれば酸欠になって死んでいく。
だが感情が死ぬことはどうやらないようだ。
ぼくはそんなことを思いながら、目の前の彼女と子供の話を精一杯聞く。
青春時代とはきっと感情の暴走なのだ。
現実的より、物理的より、感情が勝るのだ。
今、もしも昔の友達と再び再開することができたのならば、ぼくは一人一人に謝って回るだろう。
しかし、今でもぼくはぼくだ。根本的にはたいして変わっちゃいない。
それでもふと昔のことを思い出す度に、あの頃も精一杯生きていたことを思い出す。
夢なんかじゃない。幻なんかじゃない。
ぼくはケンカしているときもこう思うようにしている。
「今のこの状況を一年後の自分が見ていたらなんて思うのだろうか」
きっと笑ってる。
だって青春時代の狂気の思い出がすべて笑い話になっているのだから。
☆
すねてごめんね。
話し合いの場を設けてくれてありがとう。
でもこれだけは言わせてほしい。
乱視の世界も悪くないよ。
☆
初めての人生、嫌なこともたくさんあるし、その嫌なことの中にも楽しいことがたくさんある。
だから困っちゃう。
人生は楽しい。
楽しいから困っちゃう。
今日もありがとう。
今年も、残り97日。
またね。
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今後ともよろしくお願いします。
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