27年みつけられなかった自分を発見した。
ずいぶん間が空いてしまって悔しいかぎりです。具体的な目標を決めて書こうと思う自分と、義務を課すことで気持ち的に負担をかけたくないという精神衛生最優先の生き方をしたい自分とがせめぎあっています。
三連休で遊ぶ予定を立てていたのに(適当に駅前の桜を見て我が家でまったりするという最高のプラン)扁桃が炎して外から見てもわかるほどのパンパンリンパになっているのでおじゃんになって泣いています。悔しいから書く。
本とわたしとわたしの課題
学生時代はそれなりに本を読んでいたと思うんだが、社会に出てからはどうだろう。読んでなくはないけどライターとしてはちょっと心もとないくらいかも。そう思い、今年は本を読むぞっとなっています。主に小説を読んできたこともあり、繊細な描写や寄り添う表現力には自信のあった私、広告ライターをやるようになって少々自分の成長が頭打ちになってきたような気がして、もっと幅広く読書をしたいと思って数冊本を買っては読んでいます。あ、本は紙で読む派です。あと買う派です。
本って不思議なもので、一見自分とは一切関係ないテーマのものであっても、それが小説だろうとエッセイだろうと何だろうと、自分が抱えていた問題の解決の糸口が見えたりするんですよね。だから、煮詰まってるときこそ本を読んだほうがいいかも!!って思うようになりました。そう、私は煮詰まっている。何にか?何を隠そう、恋愛です。
脳バグと超絶浸透圧
恋に恋する時代(20歳くらいまで)はあったような気もするけど、当時でも友人には「まだ人を好きになったことないんじゃない?」と言われていた。で、それからはさほど意識することもなくつきあったり別れたりはあって、自分から好きになってつきあうことは一度もなかったけど人並みにそういう経験はしてるつもりでいたんです。だけど今の会社に入って、なんでもあけすけに話す人々を見て気づいた、あれ?わたしなんか違くね?と。そんな恋愛ってしたいもんなの?と。人ってそんな簡単に好きになれんの?人としてダメな感じの相手でもバイアスかかって好きになれちゃうの?この人だけ特別で許せるとかあんの?いや人類平等でしょ?されたくないことはしちゃだめだし、心を許したから何でもしていいとかないし、他人を自分のものにしたい気持ちとかないし、自分だって誰のものにもなりたくないんですけど???
まさに脳バグです。エラーです。要件定義からやり直したい。そこで出会ったのがこの『結婚の奴/能町みね子著(平凡社)』。能町氏のことはTwitterでフォローしていて、RTで読んだ方の感想を見て、「グサグサくる」みたいなのが多かったので若干ビビりながら読み始めたけれど、わたしにとっては超浸透圧ちょうどよくてごくごく飲み干しました。これこれ!!!そうそう!!!具だくさんでボリューム的にも大満足なのにしつこくなく、それなりに弱っていたハートをうるうる潤し、疲弊していた心も元気丸になりました(S次郎構文)。
取捨選択で落選し続ける「恋愛」
わたしに始めて恋人ができたのは中1のとき。それは好きだった男の子に告白されてだったからそれなりに浮かれたけど、進学校で恋愛禁止だったので公にできることもなく、毎日メールするくらいで3ヶ月後には飽きて終わった。同級生たちが恥ずかしげもなく「彼氏ほしい」などということをふんわりした軽蔑の気持ちで眺めていた。わたしは今まで「彼氏ほしい」と思ったことはない。素敵な方がいてわたしのことを気に入ってくれたらお付き合いするのもいいかもな、程度だ。それとは裏腹にいろんな人に出会いたい、見たい聞きたい知りたいみたいな欲求は強くて、インターネット経由で知り合った人に会うっていうのはよくやった。その結果お付き合いすることになったこともあるけれど、最終的には「割に合わない」という理由ですべてが面倒になって終わる。
実際、都内でひとり暮らしの社会人が家賃補助のない会社につとめて生活していたら、普通に自分の欲求をかなえたくらいでお給料はちょうど底をつく。趣味の時間とお金、そしてわたしの生命線である睡眠の時間を削ってまで、将来どうなるかもわからない異性との時間を過ごしたいかって思うと、おのずと優先順位は低くなる。勝算の低すぎるギャンブルみたいに思える。一緒にいて一瞬でもイラッとする可能性があるのならプロレスが見たいです…安西先生。かといってご馳走してもらうことも嫌いで、そのことによって自分の立場が悪くなるかもしれないなら普通に自分の食べた分はお支払いしたいですしなんなら精神的優位に立つためにお主の分も払おうぞの気概です。恋愛の駆け引きはクソくらえのくせに人間としてはしっかりマウントとりに行こうとしちゃう自分にも疲れています。積極的に取捨選択をした結果、恋愛はそうそう選ばれないんですよね。
まさかのセクシャルマイノリティ
わたしのような者は、Aロマンティックというようですね。恋愛感情がないもしくは希薄。デミロマンティックというのもあって、それは強い絆や信頼関係のある相手に対して稀に恋愛感情を抱くというもの。自分がどちらかなのはまだよくわかってない。27年生きてきて自分がマイノリティだと気づかないとはね…。でもなんとなく人から「まだ好きになれる人と出会ってないだけ」とか言われるとそうかもな、で終わってた。最初はショック(?)みたいなのもあったけど、今はスッキリしている。結局、トキメキとか特別な感情じゃなくて、人間として尊敬できて、信頼に足る。おもしろい、素晴らしいと思わないと一緒にはいられない。「許す」ことができない。基本的に人の話を聞くときに相手の立場で考えるんですが、たとえば会社なら「こういう状況だったからあなたはこう思ってこういう判断をしたんだよね。次はこう考えようね」とかなるけど、生活でこの寄り添い方するとだいたいろくなことにならない。普通の人って許され続けるとダメになってく。なにしても許してくれる優しい人、みたいになって自分だけが消耗して相手が傲慢になる。わたしはその人が特別だからそうしてるわけじゃないのにね。そんで「割に合わない!」ってなって相手がビックリするっていうの何回かあったな…( ^ω^)お…
それにわたしだけ特別扱いで他の人には厳しいとかも萎えてしまう。人の本質は恋愛から切り離された部分にあると思っているから、あーわたしには優しいけどほんとうはそういう人じゃないんだな、だからいつかはわたしもそっち側に行くかもしれないな、結婚したらやばそうだな、とか冷静に思っちゃう。よくあるじゃんか結婚したら本質出てきて~みたいなの。それって恋愛による特別な感情で許せるっぽいんだけど私の場合普通に許せなくて即別居離婚になると思うんだよね。
「やりたい」「やりたくない」じゃなくて「やるべき」「やらないべき」思考なのもわたしが恋愛に向いてない理由のひとつで、よくある子どものオムツを替えられない旦那の話とか聞くとゲロ吐きそうになる。自分が望んでこの世に来てもらった子どもに対して「やりたくない」からやらないって何?ていうか「汚い」って何?理解ができない。愛がないじゃんそれは。子どもがかわいそうだし、父親がそんなやつだって将来知ったら普通に嫌いになるだろ。
そういうわけで自分がスクリーニングしまくってるから良きパートナーと出会えないのかなって思っていましたが違ったみたいです。そもそも恋愛とか恋愛感情が嫌いなんですよね要は。そんなの簡単に翻りますよ。順番が違うのたぶん。恋愛きっかけで信頼関係が築かれるらしいじゃん普通は。でもわたしは信頼関係ができないとまず土俵に上げられないんですよね。だからパートナーいるほうがカースト上みたいなのはあっそっかふーんって感じです。「彼氏」「彼女」っていう言い方すらキモイんだよね。「彼氏さんいるんですか?」とか聞かれると、いるかもわからない誰かもわからない人間に敬称付けててキモイな~と思っちゃう。
衝撃作『結婚の奴』
しかし、人間として魅力を感じる人にはセクシュアリティを感じないという現実もあります。でもずっとひとり暮らしするのも心もとない。そこで、能町氏の結婚にはその手があったか!!!!!と。衝撃でした。まさに光。天からの。その発想はなかったマジで……すごい、いやすぎょい。絶対に性的対象にならない人との同居。すぎょい。。。(語彙力霧散)
本当は、老夫婦みたいに桜並木を歩いたり純喫茶めぐりをして完結するパートナーがいたらいいなと思わないことはない。あたらしくできたお店に一緒にいこうよって気軽に誘える人がいたらいいなって。だけどそれにあれやこれやが絡んでくるともうめんどくさい、おだやかに共生したいと思っている隣で性的対象として見られていたらなにもかも興ざめなんですよ。尊敬に値しない動物みたいに思ってしまう。だから一緒に出かけるのは友達のほうがええなってなるんですよね。だから能町氏の結婚には、桃源郷を見た!もちろん想像に及ばない苦労もあるだろうし、簡単なこととは決して思わないけれど、勝手に心のお守りにしたいと思ったのでした。
はてさてわたしの今後がどうなっていくかはわかりませんが、猛烈に斬新な切り口を与えてくれた一冊でありました。ありがとうございます本当に…!!!そう、これからも精神衛生最優先で生きていこうと決めた。ドキドキとかしなくても素晴らしい人生だった(終わったん?)。
それでもマッチングアプリでABテストやったりするのやめられない阿呆なわたしを笑ってください☆★☆★
コピーライターの悲しい性(だってあんなん求人広告じゃんもはや)w
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