名残の季節、先生のことば
私は京都で月2回、お茶のお稽古に通っている。流派は裏千家。2020年の12月から始めたのでもうすぐ4年になる。先生は野花をこよなく愛していて、お庭で育てた茶花をまるで自然に咲いているかのように生けてはいつも私たちを楽しませてくれる。
「お稽古では本当のことを教えています」と先生は言う。本当というのは、お客様をお招きするときの茶室の設えであったり、本番通りのお道具とお点前でお稽古をするということだ。私のおばあちゃんは長年お茶を習っていたので、そのことを話したとき、「良い先生に出会えたね」ととても喜んでくれたのを覚えている。
お稽古の他にも、今まで課外授業として野点や陶芸体験、茶杓作りなども経験させてもらった。お茶の世界は本当にたくさんの分野のものづくりが関わっているので、それらを実際に体験することで、普段扱うものにより愛着を感じられるようになったし、もっと知りたいと思うきっかけにもなった。
10月は名残の季節。去りゆく秋の寂しさや儚さを「侘び•寂び」の心で感じ取れるよう、設えやお道具で表現する。
部屋に入ると藁灰の風炉が置かれており、黒く焼けた藁が綺麗に並べられていた。藁灰を見ると、今年もこの景色に出会えた喜びで胸が高鳴る。
今日のお稽古では、炭点前と薄茶点前をした。今回は、中国の五行説(木・火・土・金・水)を反映した「五行棚」を使ったお点前。五行棚は、それぞれの素材が五行に対応していて、全体で宇宙の調和を表しているのが特徴だと教わった。
お道具が違うだけで手順が異なるお点前だけど、ポイントポイントで指摘してもらいつつも体が覚えてきている感覚が気持ちよかった。
お点前の最後には、お客様からお道具の拝見を所望され、それに応じるタイミングがある。今回は柿の香合の見立てのお薄器。茶杓は拙作、茶杓名は「こぼれ萩」にした。たくましく育ちすぎたのよと困ったように笑う先生の後ろで、紫色の萩の花が眩しい日差しに照らされながら揺れていた。
年々昔通りの四季ではなくなってきている日本だけど、お稽古中は全身で四季の変化を感じ取ることができる。例えば掛け軸から。お花から。お釜から。和菓子から。香合、棗、お茶碗など全てのお道具から。目で見て、触れて、香って、味わって、聴く五感すべてが一体となり、私に今このときを教えてくれる。
初めてお稽古の体験に来たとき、こんな風に心落ち着く時間って今まで持てていなかったなと思った。
いつも何かに追われるように慌ただしく過ごし、時間をじっくり味わう余裕もなかった。
だけどここに来れば、日々の忙しさを一旦忘れて、目の前の一服を点てることに集中できる。真っさらな頭と心になって初めて、自然と繋がれている自分に気づく。
「お茶とは歩く禅ですよ」
先生が教えてくれたことばを噛み締めながら、これからもお稽古に通いたい。