終わりから今を救うきっかけをくれる物語。 清水晴木「さよならの向う側」
大人の読書感想文 №1
清水晴木
さよならの向う側
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死後に辿り着くふしぎな場所、さよならの向う側。
そこでは、最後に1日だけ現世に戻って、会いたい人に会える時間が与えられるが、ひとつ条件がある。そのとき会えるのは〈あなたが死んだことをまだ知らない人〉だけなのだ。
本作は、この制約上で5つの物語が綴られる。
第1話 Heroes
第2話 放蕩息子
第3話 わがままなあなた
第4話 サヨナラの向う側
第5話 長い間
甘ったるいマックスコーヒー好きの〈案内人〉にしたがって、彼らはそれぞれ会いたい人に会いに行く。
死ぬということ
5つのエピソードで語られる人々は、事故、事件、あるいは病気で、ある日突然その命を落としてしまう。そして、あまりにもあっけない死のあと、それぞれの物語は絶望的な終わりから始まります。
自分がこんな形で死を迎えるなんて、あの瞬間までは思ってもみなかった。(p10)
各話の驚くほどにさっぱりとした死の描写から、わたしたちの日常は、深く考えないようにしているだけで、いつも死と隣り合わせだと怖いほど気づかされる。
もしも、駅の階段で足を滑らせたら?
もしも、交差点で自動車が突っ込んできたら?
人間は誰しも、きっとあっという間に命を落とす。
彼らは、都合よく生き返るわけじゃない。
たとえ〈さよならの向う側〉で再会できたとしても「彼は奇跡的に息を吹き返して幸せに暮らしました、めでたしめでたし」となるような、都合のいい物語じゃない。
彼らの現実は変わらない。
でも、こちら側のわたしたちは今を生きている。
彼らとは違って、想いを伝えられる。
言えなかったさよなら
さよならが言えなかった経験はきっと誰にでもある。
わたしは、祖父が亡くなったとき「どうしてもっと大切にしなかったんだろう」と、とても後悔した。
社会人になりたての頃、慣れない新生活に追われて疲れていたわたしは、忙しさを理由にして、隣県に住む祖父にまったく会いに行かなくなった。その時点で、体調があまりよくないことを知っていたのに。
そうして、祖父は亡くなった。
幼い頃からやさしい祖父が大好きだったはずなのに、忙しさにかまけて電話すらしようとしなかった自分が嫌でたまらなくて、死ぬほど後悔した。そうやって言えなかった「さよなら」は、ずっとわたしの中に残っている。
第2話『放蕩息子』では、頑固な父とまったく相容れないまま死んだ山脇という男性が、後悔を吐露する。
俺は、その言葉の続きを知らなかった。俺は、その言葉の本当の意味を知らなかった。俺は、親父が今まで心の奥底に抱えていた想いを知らなかった。(p96)
彼ら親子は、お互いに伝えるべきことを伝えず、死ぬまでずっとすれ違い続けていた。さよならの向う側で会いに行った山脇は一方的に救われたかもしれないけれど、それでも、彼の父親は救われていない。
どれだけ愛しく想っていても、死んでしまったら伝わらないし、後悔しても想いは二度と伝えられない。
だから、今このとき大切な人がいるなら。
今、伝えるべきだ。死ぬほど後悔する前に。
特に第2話を読んで、死ぬほど、そう思った。
さよならだけが人生なのか
花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ
かつて詩人の井伏鱒二は〈花発多風雨/人生別離足〉という詩の一文を、こう訳した。花が咲く頃にいつも嵐が吹くように、人生もまた別れに満ちている、と。
「さよならだけが人生だ」
人はいつか必ず死ぬ。例外はない。
人は生まれたその瞬間から死に向かう。
でも、だからこそ、さよならの前にできること。
嵐で散った花々が、翌年また咲くように。
「さよなら」は「終わり」とイコールではない。
その「さよなら」が来るのは数十年後かもしれないし、あるいは、数分後かもしれない。緩慢に日々を生きているだけでは分かり得ない、終わりから〈いま〉を救うきっかけをくれた作品でした。
(総文字数:1,563字)
テレビドラマ化が決定しました💐
主演はなんと上川隆也さん!楽しみです!