37.抽象的に考えることの利便性
私たちは物事の抽象度を調節して考える事が出来る。
連想ゲームのように「手」という単語に対して右手→親指→爪などどといったように細かくしていくのを具体性と呼ぶ。
反対に手→腕→上半身→身体などと言ったように曖昧にしていく事を抽象と呼ぶ。
私たちは様々な具体と抽象を行き来しながら生きている。
これは何のためにあるのか。
私たちの脳は非常に省エネ出来ている。
オープンAIなどの人工知能の発展が目まぐるしいがああいったものを機能させるには電力などのエネルギーをたくさん消費するらしい。
しかし私たちは時には1日ご飯一杯で生活する事が出来たり少ないエネルギーでも活動を続ける事ができる。
その秘訣がこの抽象にあると思う。
誰しもテスト勉強をした事があると思うが、どんなに覚えた!と思っても当日になると思い出せないなんて事がある。
どうやら私たちの記憶は曖昧を作り出す事で様々なパターンに対応出来るようにしているようだ。
例えば初対面の人と会うとする。
この人を覚えようとする時、無意識に仕草や外見など様々なパターンを認識する。
具体性しかない場合、その時と同じ服装、同じ顔の向き、髪の長さ全てが一緒でないとその人と判断出来なくなる。
脳の中で「横向き用」「カフェにいる時用」などと回路をつくっていればいくら細胞が60兆あるといえど足りなくなってしまう。
そこで抽象度を高めてパターン形成をする事である一定条件を満たせば認識出来るようになっている。
これがあるおかげで運動や物事が繋がるようになる。
この感覚は前やった事があるな。
これはこうなんじゃないか。
そういった発想やひらめきと言われるものもこの曖昧さがなしえる技なのだ。
完璧に覚える必要はない。
むしろ完璧に覚えてしまっていてはダメなのだと思う。
抽象度が高め曖昧さを磨く事でより人間らしさを身につける事ができる。