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さいきん

終わりがあるからこそ美しいのに


続けていたゲームのラスボスに挑みたくない症候群が頻繁に発生する。これに行けば全てが終わると分かっているから。人生の終わりは見えないのに、物語の終わりは実に単調で単純だ。

ページを最後までめくれば終わり、最終決戦は否応なしに終わりを突きつける。何となく、それが嫌で。まだこの世界に浸っていたくて逃げる。それは人生が上手くいっていなければいないほど。


物語は終わるから美しい。いつまでも淡々と下らぬ日々が続くなんてつまらない。輝かしい瞬間を抜粋して書き綴らないと、見ている側は面白くもなんともない。でもその裏に積み上げてきた日常と時間がある。それに、人は気づかない。

散々単調な日々を繰り返しているのに、忘れるのだろう。いや、繰り返しているからこそ見たくないのかもしれない。転生ものが流行る理由もそれだ。主人公でいられる時間なんてないからだ。


数週間ほど腐っていた。今も変わらず腐っている。簡単に言うとあまりに折られまくって表に出たくなくなった。正直今この瞬間もやるせなさが息をしている。表に出ていない間も文章は書き続けているのに、出したくなくなった。だいぶ疲れた。

理由は色々あって、積み上げてきた負債みたいなものがある一瞬で瓦解した。頑張ろうと自分を奮起した。君はやれば出来る、きっと何かが出来るはずだと誰からもかけられない言葉を自分にかけ続けて半ば洗脳のように繰り返した。

が、ついにそれも意味をなさなくなった。

悲しいわけじゃない。切ないわけでも苦しいわけでもない。ただ、ぽっかり穴が空いた。首を傾げて穴を見ているのだけれど、どうにも埋め方が分からず疑問符ばかりが頭に浮かぶ。

馬鹿みたいに脳内で動き続けた空想が、数多の物語が止まってしまった。意識すれば動くのに、無意識に動く事をしなくなった。

空虚感に呆然としていた。どこに行っても何をしても、誰からも必要とされず言葉は届かないと薄っすら気づいていた事実が濁流のように押し寄せて、最後の壁を破壊してしまったのだと思う。

まぁさすがにあまりに何もしないのはどうなのかと思ったのでnoteを書いてるわけだけど、正直何も解決には至ってない。穴は埋まらないし必要な物は手に入らない。コンクリートで埋めてしまおうかとも思っているが、それをすればここにあったものは二度と戻らなくなるだろう。

穴にいたのは夢や希望、期待に未来への幸福を願う、小さな自分。長い人生の中、どんどん小さくなっていくのをかろうじで保っていた形。それがどこかに行ってしまった。家出したまま帰ってこない。

草原も真っ青な空も木も星も月への道も数多の扉も海街も、全部そこにあったのに無くなってしまった。徐々に崩れていた地面を、幼い自分が必死にスコップで叩き地ならしをしていただけに過ぎなかったのだと知った。

枯れた花に唇を噛み締めて、また咲くように水をかけ肥料を与え、まだ大丈夫だよと言っていただけに過ぎなかったのだ。


気づいた時、口を開けて呆けたまま何もする事が出来なくなった。


冗談も空想も頭では浮かぶのに出す事が出来なくなった。トーマスの映画のポスターに書かれた、『トーマス ワールドツアー』を見て、お前機関車やろ、大陸横断どうすんねんと思ったり、数日前から左目が腫れてしまい化け物飼ってるのか?と思ったりしているのに、言葉が出ない。

目に関しては伸びた前髪が隠しているので気づく人もいないのだが。


とりあえず疲れてしまってSNSをやめていたのだ。見てはいたけど何かを発信したいとは思わなかった。というより、発信した所でと思う気持ちが強くなりすぎたのだろう。


多分そのうち何とか回復するだろうけど、このままゴミ屑みたいに息をして日々を過ごすだけなのかと思い呆然としている。



そもそも何故こうなったのかだ。少しマシになった脳みそは原因の究明を急いだ。何たって穴が空いているから。

多分だけど私は人一倍何かに期待してしまう性格なのだ。それは今までの人生であまりにも手に入らないものが多すぎたから。次こそは手に入ると思ってしまうのだろう。何とかして報われたくて仕方ないから。

でも人生はそんなに上手くいかない。手に入らないものがほとんどなのだ。身の程知らずなものに手を伸ばしているわけでもないのに、全部全部すり抜ける。酷いのが中途半端な期待を持たせて全てがすり抜ける。最初から手に入らないと分かっていればさほど傷つきもしないのに、いつだってそうやって滑り落ちていく。

子供の頃の成功体験が人を成長させるとよく言うので一旦成功体験を思い返してみた。何があるだろうか。色々思い返した時、私の成功体験は全て運動ばかりだった。

徒競走で一位になったとか、そんな小さなことから始まり、習い事の大会で優勝した。みたいな、そんな話。

なんだちゃんとあるじゃん。私は安堵した。でもその時の気持ちを思い出せない。一瞬で嬉しかった気持ちが消えてしまうのだ。それも何故だろうと考えた。だって頑張ってきたじゃん、ちゃんと結果も手に入れたでしょ?

すると全てはこの一言に辿り着く。

「あんたの優勝よりお兄ちゃんの敢闘賞の方が凄い」

小学校四年生の、空手の大会だった。金メダルを取って喜ぶ私は車の中で両親にメダルを見せた。その時言われた言葉に、私は確かに傷ついたのだ。

結局の所、私が運動で良い成績を収められていたのは子供の頃から大嫌いだった高い身長のおかげだったのである。手足が長く同級生と戦えば勝てるに決まってる。そんな状態で得たものばかりだったのだと、思い知らされる言葉が至る所で聞こえた。

じゃあ頑張らなくていいじゃん、だって何してもどこにいても、いつだって誰かと比べられて君の方が凄くないって言われ続けるなら。最初からやらなければ無駄にダメージを負う必要はない。

そうして努力しなくなった子供は、ずっと多分、誰かに認められて必要とされたかったのだと悟る。でも気づくのが遅すぎた。


今このタイミングで気づいて何とかしようと足掻いても、この世界でチャンスは平等に降り注がない。もっとわかりやすく言えば、私が欲しい物を手に入れるための世界で、私はあまりに弱すぎる。

レベルが足りなさ過ぎる。でも同じレベルの人たちはどんどん報われていく。ならもっと頑張ろうと書いた。沢山沢山、色んな物語を書いて空想してこれを世に――。

なんて思ってる時に折れた。もうベシャベシャだ。バキバキとかそんな次元じゃない。破片すら残らないほど、ぐしゃぐしゃになって穴が空いた。

望まれた普通になれないなら必死にここで足掻いて手に入れなければと、強迫観念みたいな思想でずっと生きていた。むしろそれが無いと生きられなかった。多分私の精神はだいぶ破綻していた。

でも耐えず泳ぎ続けた先に待っていたのがこれなら泳がなければ良かったと本気で思っている。思ってたけど口に出さなかった。言ってしまえばまた、マイナス思考、発言はよくない。人気が、表に出るならってとやかく言われるからだ。

でももう関係ないから言う。無理だ。普通に、不可能である。穴を埋めるめどもない。土日はやる事が沢山あるから一瞬で過ぎ去ると、少し前の自分は思っていたのに今の私は死んだようにベッドに倒れているだけだ。

平日の夜は書き物で一瞬にして日付が変わっていたのに、今じゃ22時頃に全てが終わり眠くもないのに横になっている。


時間ってこんなにあったのかと気づいてしまうくらいには呆然としている。

きっといくら慰めの言葉を貰っても意味はないし、そんな事言うなら本買えとか思っちゃうから何も言わないで欲しいんだけど、人には限界があるって憶えていて欲しいと思った。


まぁきっと、この穴も誰も目に付かない場所で必死に埋め立て、また砂の上に城を作るんだろうけど。

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