神様なんて
※この物語は2020年に角川文庫より発売された「紅い糸のその先で、」の初期原案、「ウラニアの慈悲」の視点別原案です。
飛び出した瞬間見た笑顔が、今まで見てきた君の笑顔の中で一番美しかったなんて、酷い皮肉だと思う。
物心ついた時から未来が見えた。最初は偶然だと思っていたそれは、何度も一致し僕に真実だと教えてくれた。そのせいで楽しみは減った。両親がプレゼントを買っておいてくれても、貰う未来が見えてしまい喜ぶ事が出来ず愛想のない子供に仕上がってしまった。全く酷い話である。
それでも誰かに、未来視の事を話す事は出来なかった。もとより信じてくれるとは思っていないからだ。否定される未来なんて見たくもないから、言わない方がずっといい。
そう、特に君に対しては。
生まれた時から一緒。隣に住んでいる女の子は見た目こそいいものの、口が達者で人から好かれる性格ではなかった。頭の回転が速いせいで同じ歳の子供には引かれ大人からは敬遠されるタイプ。でも、面白い女の子。
僕はその子と話す時間が一番好きだった。君が話す事を先に未来視で見て、その話題を広げるために事前に勉強するようになった。全く、健気な子供である。
つまらない話も難しい話も、君が話せば面白くなるのはもう才能と言っていい。ああ、君だからっていうのもあるだろうけれど。君は非科学的な事はあまり信用しない、いつだって現実主義で冷め切っている。悪い事ではないけれど、僕の話を真実とは思わないだろうと思っていた。
君は子供の頃から色んなトラブルに巻き込まれた。その度に僕は先回りをして助ける。いつかの君が、「ハプニングが起きる度いつも解人がいる」と笑っていたが、こちらとしては気が気じゃない。出来る事なら起きない未来まで持っていきたいけれど、そこまでの力を持っていないのがただの僕だった。見えるだけでヒーローのように圧倒的な力でねじ伏せる事など出来なかった。
未来が見えるという神様に聞いてみたい。最も、彼らは神様だから寿命など存在しないだろうけれど、苦痛ではないのか、と。大切な人たちの先が見える。それが、怖くてたまらない。どうしてこうなったのかは分からないが、慈悲などこの世界には存在しないと思った。
君が、死ぬ未来が見えてから。
正直、それまでの僕は、これが煩わしい能力としか思っていなかった。けれど君を救えるのなら、それも運命なのかもしれないと勝手に使命感に駆られていたものだ。
しかし、中学二年生のある日。帰り道に君が死ぬ瞬間が見えた。それは今すぐなのかもしれない。これを避けても、また遠くない未来にやってきてしまうかもしれない。
それでも僕は君を救いたくて、そして同時に救われたかった。今まで君と一緒にいる事で救われてきた人生でも、たった一つだけ救われないものがあった。
君が僕を信じてくれるのなら。そう、それ以外は望まない。トラックが君を跳ねるビジョンが見えた時、僕の背中に冷や汗が伝った。隣にいる君は何食わぬ顔で歩いている。
ここで言わなかったら、多分もう二度と言えなくなる。
だから、僕は口を開いた。
「俺、未来が見えるんだよね」
それを聞いた君の表情は、何を言っているんだこいつという様子で。明らかに信じていないのが見て取れた。というより、僕がまた冗談を言っていると思っているらしい。
「三秒後、そこから猫が飛び出してくる」
塀の上を指差した。指で三秒カウントする。木々の中から音を立てて猫が飛び出してきた。
「曲がり角で子供が走って来る」
突き当たりを左に曲がる。君の前を子供が走り抜けていった。
「最後」
君の手を引っ張って後ろに仰け反った身体を抱き止める。目の前をトラックが猛スピードで横切った。
「トラックに轢かれそうになる」
訝しんでいた視線は一転、驚愕の色へと変わった君を見て苦笑いが溢れた。
ああ、良かった。見えていてよかった。
君が、今日も生きていてくれて良かった。
「いつから見えるようになったの」
「子供の頃から」
「何で教えてくれなかったの」
「言ったら信じてた?」
「信じてたよ……多分」
「はい嘘」
お前が信じるような人間じゃないのは、俺が一番よく分かってると言い切り歩き始める。余裕ぶっているように見えるだろうが、内心は気が気じゃなかった。
「じゃあ何で今言ったわけ?」
「何となく」
「何となく!?」
「言っとかなきゃなと思ったから」
「信じないって思ってたくせに?」
「うん、それでも」
だって今言わなきゃ、もうおかしくなりそうだった。何度も見続けた君の危険に、僕の心はもう保ちそうにないから。
立ち止まり振り返る。僕らの間には白線が引かれていた。
「言わなきゃこれは消えないだろ」
一歩、白線を越えて君の目の前で立ち止まる。身長はいつの間にか、数センチ抜いていた。
「俺さ、つむぎが好きだよ」
「……は?」
五月、午後三時過ぎの風が吹く。陽はまだ傾きそうにもない。
「でも付き合えない」
「それも、は?なんだけど」
「まあ、そう言うよね。お前はそういうやつだよ」
僕の告白に顔を赤らめることもせず、なぜと問う君に相変わらずだと安心した。ついさっき轢かれかけたのに、よくもまあ平然でいられるものだ。
本当はずっと、子供の頃から好きだった。一緒に過ごす時間が好きで、君の行動一つに心を振り回され、この力のほとんどは君のために使われていた。
君が、好きだった。けれど君は僕の想いに気づく事がない。ここまで来ると鈍感すぎて心配になる。でも付き合えない理由は一つだけ。
「つむぎはさ、あほだから」
「ごめんちょっと待って。……お前ふざけるなよ」
「だからそのあほさが無くなるまでは付き合えないかな」
「何で私があんたの事好きっていう前提なわけ?何その自信」
「好きだよ」
嘘をついた。
「いっそ好きにならなければよかったのにね」
一度回避した僕の目には、未だ君の死が見えている。これを回避しない限り、未来など訪れない。君が僕の事を好きになる未来なんていくらでも見えている。後はいつ、気づかせるかだけで。けれど、死を回避しないといけない。間違っても、僕の見えている未来が見えて、君が何か行動を起こさないように。
君を守るための嘘をつかないといけない。
それ以上、僕は語らず君も聞かなかった。次の日からいつも通りの日常を始めたけど、僕は時折君に見た他愛もない予知を教えるようになった。でも、君の友人がサプライズプレゼントを用意してくれていたのをバラした罪は重買ったらしく数日口を聞いてもらえなかった。これに関しては、プレゼントを選んだ人間が男で、そいつが君にアピールするためだったから阻止しただけだ。本当の事は言えやしないけれど。
あの日から数年。僕らはまだ隣にいる。制服は後一か月で着られなくなる。同じ高校に進学しても、ずっと一緒にいたせいで君には恋人の一人すら出来ない。流石に干渉しすぎだと友人に怒られたが、僕としては同じ立場に立ってもらいたいものだ。
高校生になってから何十回も君の死を見た。その度に回避して笑って誤魔化す。いつしか眠るのも辛くなり、君が隣にいて無事を確認出来る状態でしか熟睡が出来なくなった。
怖くて怖くて堪らなかった。明日、君がこの世界から消えたらどうしよう。今日手を振ったさよならが、最後になったらどうしよう。気づいたら僕は酷く君に依存した。学校から帰ってきて君の部屋まで行き寝る時間まで一緒にいるようになった。目を離した隙に、死ぬ未来を何度も見た。
その過干渉と依存を、君は受け入れた。仕方ないなと言いながら笑って共に過ごしてくれた。君も人見知りで多くの人と関わりを持つのが好きではないから、ちょうどよかったのかもしれない。
もうとっくに君が僕の事を好きなのには気づいていて。それでも決定的な一言を言わせたくなかったのは、いつか来るさよならが怖かったからだ。
そして気づく。君の死を回避するには僕の死しかない事を。庇って死ねば君は死なない。気づいた瞬間、最後に見えた死の瞬間が変わっていく。車に轢かれたのは君ではなく僕になっていた。君の泣き顔が見えて僕はごめんと口にする。
その日、未来が見えなくなった。
最後の日、隣で歩く君にバレないようになるべく平静を装った。
交差点が青信号に変わり歩き出す。前を行く君の身体を引っ張り代わりに身体を投げ出した。スローモーションで後ろに仰け反っていく君とは反対に僕の身体は前に倒れていく。右側から猛スピードで車が走って来る事に気付いた。
ああ、きっとこれで良かったのだ。二人で笑う未来なんてどこにもなくてもいい。
どうか、どうか幸せに。これまで僕を救ってくれた分だけ、君も誰かに救われるように。好きな人でも見つけて、平和に生きて行けますように。そこに僕がいなくてもいいから。
どうか愛する人よ。
君が幸せになりますように。
けれど、僕の腕が突然引っ張られ自分がいた位置に君がいた。後ろに倒れていき君との距離が遠ざかる。なぜ、と問う前に見えた君は笑っていた。
不覚にも、それが僕が見てきた中で一番美しい君の笑顔だった。
僕の人生は、君がいないと回らないのに。
「ごめんね、大好きだよ」
言葉が聞こえた瞬間、小さな身体は一瞬で視界から消え跳ね飛ばされる。後ろに倒れ込んだ僕の耳に届いたのは誰かの悲鳴だった。痛む身体を抑え立ち上がり君の名前を呼ぶ。
「つむぎ!!」
視界の先、横たわった赤い身体が目に入る。恐れていた最悪の結末に、頭が真っ白になる。嫌だと唇を震わせても君からの返事は届かない。
そんな結末あるものか。こんな最期など、認めるものか。君の身体に触れると、僅かに上下する胸に気づく。まだ、まだ生きている。まだ、未来は存在する。
僕は急いで救急車に連絡しようとした、その時だった。
細い指先が、力無く僕の服を掴んだ。
「つむぎ?」
返事はなく反応もない。けれど指先は離れない。
未来が、見えた。
誰かが呼んだ救急車の来る時間は二十分、病院は歩いて八分。君の心臓が止まるのは救急車の中で、午後四時四十分。今は午後四時十分。
これは、酷い賭けだ。それでも僕は君の身体を抱き上げた。流れる血を服で抑え走り始める。君が頭を打っていて、脳に何か問題があればこんなのもうおしまいだ。
でも、僕の未来視は違った。血は溢れているが幸いにも頭に問題はなく、君が死ぬ理由は失血死。
ならばこの結末を変えなくては。
走り出した僕が病院に駆け込んだ先に見えた未来は、君の笑顔だった。
「ふざけんな」
目を覚ました先大泣きした君が視界に入った。ベッドの横で私の手を握りしめ、子供のように泣きじゃくっている。私はその様子がおかしくて、不謹慎にも笑ってしまった。すると尚更君が怒り始め嗚咽するから妙に冷静になれた。
「何が、ごめんねだよ」
「うん、ごめん」
「あんな所で伝えるなよ」
「だからごめん」
「庇って死のうとするなよ」
「……それはお互い様じゃない?」
人生最後の告白は、どうやら最期にならなかったらしい。
「解人が、人の事言える立場?」
「……それしか、道がなかったから」
「……私は言って欲しかった」
本当は、ずっと。聞いてはいけないと思っていた。私には分からない世界だから。問う事で未来が変わったらどうしようと思った。本当に大変だったら教えてくれるだろうと思っていた。でも、その考えは甘かった。だって子供の頃から何も言わずに私を守ってきてくれた人なのだ。
「私は、全部言って欲しかった。二人で、沢山考えて回避しようとしたかった。戦力外って言われても」
「それは……」
「ずっと背負わせてごめんね」
私の人生を。枯れた声でそう告げると、君は再び泣き始める。
「今もまだ、私の死ぬ未来が見える?」
その問いに君は涙を拭いた。私は挑戦的な笑みを浮かべからかうように君を見る。君はそんな私を見てから眉を下げ笑った。呆れたような、お手上げと言うような、そんな笑みだった。
「見えない」
「本当?」
「今見えるのは」
君は息を吐く。
「完治したつむぎが真っ先に俺の胸に飛び込んでくる事」
その言葉に私は思わず笑った。君も同じように笑い声をあげる。
「それ、自分の願望でしょ」
その胸に飛び込む未来は、きっとそう遠くはない。
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